• 締切済み

怒るとか泣くとかが恥ずかしいんです。

外に出るとそこそこの感情の発散を目撃します。 たまに激しいものがあります。初対面なのに、コンビニの入り口で「肩ぶつかったじゃねーかクソジジイ!!」「はぁ!!?んだと!?」とか、そういうこともあります。 なのに私、感情を出すのが恥ずかしくて仕方がないんです。 怒ったり、泣いたりとか。げらげら笑いも大親友としか無理です。人前ではもちろんのこと、一人でしても罪悪感嫌悪感にさいなまれます。 友達はたとえば静かにしないといけないのに大声でぺちゃくちゃ喋っている人に対して「おい!静かにしろよ!!」くらいの怒り方は頻繁にします。でも、それを聞いて嫌な気分にはならないし、すごく人間らしいと思います。正義感も感じるくらいです。 なのに自分がそうしてしまうと想像しただけでも恥ずかしくなってしまうんです。 それが私の長年の悩みです。 人前で怒ることもできない。泣きたくても必死でこらえる。楽しくてもオホホ笑いで我慢する。それが上品に見える人もいれば偽善者に見える人もいて、敵も多い人生でした。 それよりなにより、すごく嫌いな人がいて、その人がわがまま言ったり迷惑かけたりしてイラッ!ときたとき、ムカ~って顔をしてしまっただけで自己嫌悪に陥るんです。 社会人だったら人前で感情を爆発させないのは当たり前かもしれませんが、感情をほぼ封じるというのは人間としてどうなのかなって思います。 でも恥ずかしい。 共感してくださる方いますか?小さいことなんですけど、すごく悩んでいます…。

みんなの回答

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.5

たとえば、人前で「おならをする」「あくびをする」「くしゃみをする」「げっぷをする」「鼻をかむ」と考えると、結構人前で「見せたくない自分」っているものだと思います。 質問者さんにとっては、それが「感情的になること」なんでしょうね。 そういう側面から見れば、質問者さんが「恥ずかしい」と感じることに共感できる人は多いと思いますよ。 それと。ひとりでいる時に我に返って恥ずかしくなるっていうのは、あるあるだと思います。 質問者さんにとっては、感情を表さないことは「自分を守ること」なんでしょうから、そのままでもいいんじゃないでしょうか。 わたしにも、出せないものはあります。 助けを求めたり、自分の苦手を口に出すことは難しいです。人に「こんなこともできないの」と思われるかもしれないと考えると恥ずかしくなりますから、口をつぐんでしまいます。 こういうのって、本気でどうにかしたいと思っても、恐怖が勝ることが多いので、結局今の自分を受け入れていたりするんですよね。 「出来たらいいのにな」と思いながら、出来ない自分を受け入れる。 多かれ少なかれ、みんなそうやって生きているのだろうと思いますよ。

回答No.4

こんばんは 控えめな優しい人なのでしょう。 人には タイプがあると云う話を 思い出しました。 人 其々だと云う事。 無理に タイプを(性格などを) 変える必要も無い。                   (のかも知れない、し 自由) もっと 正直に 素直に 成りたいと云う事ですか?  (*'▽') それならば 正直に 素直に 成りなよ♪                   ☆ミ

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.3

感情の表出は顕著ではないけれど、 エスプリの中で頻繁に負の感情が顕現していて、 それを抑圧・抑制している状態にあるとしたら メンタルヘルスには宜しくないでしょうなぁ。 アナタ様は、ご両親及び他のご家族と 良好な関係性が築けていて、ご友人・知人との 関係性も良好なのであれば、大丈夫なのですが、 《感情を封じ》ているのが現状であるとしたら、 (私ならば)危いと感じてしまいます。 肩が触れたことが原因で、 殺人事件になったケースがあるのです。 インドを旅して来ませんか。あの喧噪の街中で、 肩が触れ合って諍いが生じるといった ケースが殆どないのです。 「マン・ウォッチング」を怡しむようにしませんか。 それと、茶道の「一期一会」の精神を身に着けて、それを あらゆるシーンやフェーズに敷衍するようにすれば、 生な負の感情の発現が減衰されて行くように なり得ます。 「ホスピタリティとは、相手の心に自分の心を沿えてゆく力。            (高野登 元リッツカールトン日本支社長)」 ※ホスピタリティ=オ・モ・テ・ナ・シ 幼い頃に、ご両親との豊饒な感情の交流の機会が なかったとしますと、人間関係に必須な感性・感覚が育って なくて……負の感情エネルギーがナルシシスム(=ナルシズム)や インテリジェンスと共に騒ぐタイプのインナーになってしまう ケースがあります。 私は、中学生の頃から、 「どんな嫌な人にも必ず、いいところがある。  (Edmondo De Amicis)」 といったスタンスで、「マン・ウォッチング」と 親しんでおります。 一時期流行った「アンガーマネージメント」は、 6秒間の静止で怒りは収集するとしても、怒りが 生じて来ないようにする方法は示していません。 アナタ様は、自身と 人生観・価値観・美意識・人生哲学etc.が異なる人を どのように関わっていますか。 (私は)千人千様のエスプリの煌きや輝きに 歓びや怡しみを感じます。 アナタ様のお悩みをクリアする方法は、他の 有力な回答者さんから得られるでしょうが、 先ずは、垂直思考を休止して、 マイナス・イメージをプラス・イメージに言い換えてみる トレーニングというか思考ゲームを行ってみては、 どうでしょうか: 「優柔不断」「短気」「気紛れ」「頑固」「飽きっぽい」 「雑」「KY」「心配性」「陰気」をプラスの言葉で 言い換えてみませんか。 これで、多少は、水平思考に近づける筈です。 理想は、水平思考を更に進めたダイヴァーシティ思考ですので、 それを目指しませんか。 人間の幅を広げたり、懐の奥行きを深くするには、 世界を旅してくるのが捷径です。 但し、超豪華ホテルに宿泊する大名旅行ではなしに、 ちょっとした日本の文化を伝えながらの 触れ合い旅を、お勧めします。 [平凡な人生って感じても         星に住んでいるって思えばステキ (冨田真朱)] [こんやの宿も燕を泊めてゐる (種田山頭火)] [生えて伸びて咲いてゐる  (種田山頭火)] [萬華鏡この世は夢を見るところ   (中尾藻介)] [ふだん着でふだんの心桃の花   (細見綾子)] 「人づき合いが上手いというのは、       人を許せるということだ。(Robert Lee Frost)」 これからのアナタ様の人生航路が 豊饒&豊穣であることを 祈っております。 Bon Voyage!

  • KGS
  • ベストアンサー率24% (1324/5321)
回答No.2

世の中には、すぐ感情的になってしまうのが悩みという人がたくさんいます。 そういう人は、貴方のようなタイプが理想的に見えるのでしょう。 悩みというのは人それぞれで、本人しかわからないことですから。 人は動物と違って、本能だけでは生きていけません。 自分を守るために、出したい感情を押し殺して欠点を見せないように警戒します。 それだけ周囲に敵が多いということでしょう。 敵というより、敵と思っている人でしょうか。 だから、自分を認めてくれて安心感を与えてくれる対象を探すのです。 人によって、それは彼氏、彼女であったり趣味であったり悩みを共有してくれる友人であったり、SNSの「いいね」だったり。 でも、お友達の中には貴方と正反対の人がいませんでしょうか。 そういう人がいて、もしそういうタイプに憧れているとしたらその人は逆に貴方のようなタイプが理想的に思われているかもしれません。 こういうことで悩むことができるのは、若い人の特権だと思います。 私も若いころは、同じような悩みがありました。 年とともに恥ずかしさが消え、人の目を気にしていたのにいつの間にか気にならない。 恥ずかしいという感覚は大切にしてください。 年とともに失われていきます。 失った恥じらいは取り戻せません。 どうか大切にしてください。

  • unnoun
  • ベストアンサー率16% (409/2496)
回答No.1

今時の年寄りは無職ほどキレやすいです。哀れだと思います。まぁでもゲラゲラ笑いまで辛抱してたら誰とも付き合わない方が賢明です。

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