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トゥーランドットのティムールについて
オペラ『トゥーランドット』で、カラフの父親ティムールは、最後どうなったのでしょうか? リューのあとを追って、命を絶ったのですか? 来月初めて観に行くので、邦訳つきのCDで予習中ですが、ティムールの存在がラスト場面にはないようなので、気になっています。
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リューの自殺後は父はもう出てきませんのでそこは言及されていないのでしょうね。 でもプッチーニの作品では男は殺されることはあっても 自殺する奴はいません。 ピンカートンのような最悪の男も生き続けるのに対し 蝶々さん、アンジェリカも、リュー、トスカ自殺するのはいつも女です。 ミミやマノン、アンナは自殺ではないけど死にゆくのもいつも女。 自ら死を選んだり、病気になる男はいませんね。 殺し殺される男ばかり。 ジャンニ・スキッキのブオーゾさんだけは病死しますけどこれはドラマのきっかけで、結果としての女たちの死とは違いますね。 多分ですがティムールも姫の夫となった息子のお蔭で 手厚い対応を受けたのではないかしら? プッチーニ自身も恋多き人だったようですがフォーカスされるのは女性の影ばかり。そこに女性の死はあっても男にはどれだけ影響を受けたかは解りませんね。彼の中には男の「芸術に貢献する死」は少ないように感じます。
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- whaihansei
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どうなったのでしょうね~ シニア男性ですが、市民オペラ合唱団で出演も しましたが考えもしなかったです。 リューが自害後、ティムールと合唱団が遺体を 運んで行くのですが、ここのティムールソロと 合唱が大変美しいです。聴きどころです。 なおプッチーニはここで筆を終えました。 (なおオペラはDVDで観てください。 字幕ついてます。)
お礼
回答ありがとうございます。 市民オペラ合唱団、素敵ですね。 ティムールはバスで、ソプラノやテノールとは違う魅力がありますよね。私は素人でよくわかりませんが、重み、というのでしょうか。 芸術作品においては、あまり何事においても白黒はっきりさせない方が純粋に楽しめるかもしれませんね。 来月はしっかりティムールの魅力を味わってきたいと思います。
補足
そうですね、CDのあとに映像の方も少しずつ観ていこうと思います。アドバイスありがとうございます。
- mousike
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プッチーニの『トゥーランドット』の原作は、イタリアの劇作家、カルロ・ゴッツィによる同名の戯曲です。この作品は、ドイツの文豪シラーがドイツ語訳、脚色したことでも広く知られることになりました。プッチーニ自身も、ゴッツィの原作だけでなく、シラーのドイツ語版戯曲のイタリア語訳を紹介されて、これを読んでいます。 オペラの脚本は演劇のそれとは違い、音楽的効果を第一に考えなければなりませんし、歌うための歌詞として書かなければいけませんので、ストーリーもずっとシンプルにする必要があります。オペラ『トゥーランドット』の台本も、原作とは大きく違い、登場人物もかなり異なります。トゥーランドットとカラフの愛の成就に焦点が当てられ、それ以外の原作のドラマは大幅にそぎ落とされているので、ティムールはそれほど重要でない脇役に過ぎません。 カラフを守るために、その名を知るのは自分だけだと言って自害するリューは、このオペラの中では重要な役柄であり、その最後の場面は感動的ですが、実はこのリューという人物は原作にはありません。プッチーニは、『トゥーランドット』はオペラの素材としては面白いと思ったものの、冷酷なトゥーランドットと正反対の人物を登場させる必要があると考え、リューを新たに創造し付け加えました。トゥーランドットが出す三つの謎も、原作とは全く違う内容です。 オペラでは、カラフが謎を解く場面が一番のクライマックスで、カラフが自分の身の上を明かすのは、トゥーランドットがカラフを受け入れたあとですが、原作では、カラフを拒否し続けるトゥーランドットが策略をもってカラフの名を知り、すべては終わったと嘆くカラフが自ら命を絶とうとする劇的な展開になっています。オペラの『トゥーランドット』のようなロマンティックな終わり方ではないのです。ティムールは、ゴッツィの原作ではあまり多く登場しませんが、シラーの戯曲ではもう少し重要な役どころとなっています。 ゴッツィの原作もシラーの戯曲も日本語訳がどうも出ていないようなので、公開されている原文を少しのぞいてみました。作品が長いので、ところどころ照合しただけですが、だいたい以下のような展開になります。 オペラでは、カラフとティムールは最初からともに放浪している設定ですが、原作では、国を追われたティムールとその妻の元を離れたカラフがひとり北京へやってきて、そこで、オペラには登場しない人物ですが、かつての自分の教育係、バラクに遭遇します。バラクはそこで、スキリーネという女を妻としていますが、スキリーネは奴隷としてトゥーランドットの召使になっており、バラクは偽名を使っています。 カラフがトゥーランドットに惹かれるきっかけもオペラとは違い、肖像画のようですが、トゥーランドットの謎解きに名乗りを上げます。トゥーランドットの父、アルトゥームやその書記官は、カラフに高貴なものを感じ取り、思いとどまらせようとしますが、カラフは、死かトゥーランドットのどちらかだと言って引きません。 カラフがトゥーランドットの謎を解いたあと、カラフを受け入れる気がないトゥーランドットは、さらに三つの謎を解かせようと考えますが、父のアルトゥームは怒り、トゥーランドットに寺に入れと命じます。しかしトゥーランドットは、さらに何とかしてカラフの正体を知ろうとします。この頃、ティムールは北京に姿を現し、バラクと遭遇します。 ゴッツィの時代のイタリア演劇には、いくつかの典型的な登場人物のタイプがあり、狡猾で策謀に富み、事件を起こす「トルッファルディーノ」という役柄があります。『トゥーランドット』では、宦官の監督官がその役をしますが、口の軽いスキリーネの不注意からこの監督官がティムールとバラクに気づき、その狡猾な対話でティムールを追い込むと、カラフの身の上を案じたティムールは「ああ、わが息子」と口にしてしまい、カラフの身の上を知られてしまいます。ゴッツィの原作では、ティムールはこの場面のあとは2度と登場しません。このあたりは詳しく読んでいませんが、ティムールの身柄はアルトゥームの書記官に預けられているようです。シラーの版では、ティムールとバラクが剣を抜いた宦官たちに取り囲まれ、トゥーランドットが二人をさらに問い詰めようとしたとき、トゥーランドットの父、アルトゥームが現れ、二人はトゥーランドットの命により王宮内の隠れた部屋へ連れていかれます。 トゥーランドットは、スキリーネをカラフの部屋へ送って名前を聞きださせようとしますがうまくいかず、もう一人の召使、アデルマとのやり取りで、カラフは自分の身の上を明かしてしまいます。カラフは、トゥーランドットから自分の名前がわかったと告げられると、先ほど書いたように、すべては終わった言い、自ら命を絶とうとします。その少し前から心境に変化があったトゥーランドットはそれを止めます。 このあと、アデルマも自害しようとする場面がありますが、そこは省略します。トゥーランドットの父、アルトゥームは、ティムールが書記官の元に身を寄せていると知り、カラフがこの国を勝ち取ったこと、そして、失ったかつての自分の王国を取り戻すことを宣言して喜びます。ゴッツィの作品は古典劇なので、ロマンティックなシーンで終わるわけではなく、トゥーランドットはすべてを受けいれ、これまでの自分の過ちを認めることで幕を閉じます。ティムール自身はもう登場しません。 シラー版のラストシーンでは、ティムールやバラクがほかのすべての登場人物とともに王宮の広間に再び現れ、そこで初めて再会したカラフとティムールが抱擁し、バラクがカラフの足元に跪くというシーンで幕が下ります。 以上のように、原作にはリューは登場せず、むしろカラフとティムールの強い絆が感じられる内容で、ティムールは死んでいません。いずれにしても、仮にも一国の王であったティムールが、一応奴隷の身分であるリューのあとを追って死ぬという展開は考えられないと思います。
お礼
原作についての詳しいご説明を、大変興味深く読ませていただきました。オペラとはだいぶ違うのですね。確かに、オペラではストーリーや筋書きよりも音楽性が重視されますものね。 私としては、ティムールがリューを娘のように思っているような感覚でいました。ですが、王であった者が亡くなった奴隷のあとを追うとは考えにくい、というご指摘にははっとさせられました。色々な視点から考えることは大切なことですね。 今回のオペラは、細かい内容は気にせず、あくまで音楽を中心に楽しもうと思わせられました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど、プッチーニのオペラ作品にはそのわような傾向があるのですね。参考になりました。ありがとうございます。 ティムールについては、やはり自分で想像するしかないのですね。おそらく何の罪もない人なので、死なないでほしいと感じていました。(年齢的に先はあまり長くはないにしても。) だから、sakura2568さんのご回答と同じ考えでいきたいと思います。