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見栄を捨てるということは、例えば車をぶつけて凹まし
見栄を捨てるということは、例えば車をぶつけて凹ましても修理をせずにそのまま凹んだまま乗るということも見栄を捨てるの一つだと思いますか?
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「見栄を捨てる」という言葉が正しい日本語として一般的ではないので、質問者さんもよくわかっていないのだと思います。一般的には「見栄を張らない」ことを意味します。 自分の運転が下手で、車をぶつけて凹んだとしても、みばえが悪いだけで、運転には支障がないのであれば、それで仕事にも支障をきたさないし、何の問題も無いのであれば、車は修理してもしなくてもどちらでもいいでしょう。 見栄を張る人は、借金してでも修理するでしょうが、見栄を張らない人は、お金に余裕がなければ、修理は後回しにしてそのままのり続けるかもしれません。 そもそも見栄を張る人と見栄を張らない人では乗っている車が違うはずです。着ているものも違いますし、持っている物も違うでしょう。根本的な考え方が違うのですから、それが見えるところに表れてくるのです。 「見栄を捨てる」という言葉が使われることがあるとすれば、「見栄を捨てていない」 人がいて、その人に対して使われる言葉なのでしょう。そういう人にとっては車が凹んだまま乗ることが見栄を捨てることの一つの手段になるかもしれません。 見栄を張らない人は、人生そのものが、見栄を張っていませんから、運転する際にも謙虚な気持ちで安全運転を心掛けていますので、車をぶつけるようなこともしないかもしれませんね。(笑)
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- kaitara1
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車で言えば無理なローンや維持費をかけないで身の丈の車に乗るというようなことでしょう、へこんだ車に乗って平気なのは下着で街中を歩くようなものだと思います。事故直後のような緊急時以外には考えられないのでは。
車で見栄を張る人であれば、そうかもね。 そもそも車なんて動けばいい、ヘコんでるからって 走行になにか問題が?と言う私からすると違うと言えます。 クビの部分がよれよれのTシャツを着る方がよっぽど恥ずかしい。