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3万年まえの人類

台湾からの航海が成功したというニュースがありますが 3万年前の人類って現代人と大分違うのでしょうか? それとも似たようなもの? 特に言語や知能の推定の程度など研究されたものが ありますか? 航海にでてあるかどうかわからない島を目指すというのは 相当の団体行動をとる能力と冒険心が必要と思うけど

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回答No.6

考古学上現在の人類とされるものが現れたのは約20万年前とされています。 約2千万年前には石器を使っていたとされています。 石を割ったり磨いたりして道具として使うにはそれ相当の知能が必用です。 3万年前には現代人と変わらない知能を獲得していたと考えられています。 >特に言語や知能の推定の程度など研究されたものがありますか? 研究は沢山あります。 ただし化石をもとにしていますので知能を直接測ったものはありません。 頭蓋骨の大きさから脳の大きさを割り出しています。 化石と同時期に出土する道具類などから推定しています。 >航海にでてあるかどうかわからない島を目指す 推定ですが漁労などで海岸をはねれて出漁した際に島を目撃していたと思われます。 あてもなく漕ぎ出したのではないと思われます。 ただ水平線上に見える島へ敢えて行ってみようという動機がよく分かりません。 動機は不明ですが台湾や琉球諸島の遺跡や遺物から同じ様式のものが見つかっていることから舟で移動していたであろうとされています。 今回はそれを実際にやってみて出来るか出来ないか実証したものです。 出来ることを実証できましたが島へ向かった動機は分かりませんでした。 学問的には実験考古学といいます。 蛇足 1万年ほど前には伊豆諸島の神津島の黒曜石が関東地方に運ばれて石鏃として使われていたことが分かっています。 少なくとも本州から太平洋上の島へ間違いなく辿り着いていたということです。 過去にはノルウェーの学者が手作りの帆船でペルーの海岸から出港して約8千キロ航海して南太平洋の島に到着したことがありました。 このときも島を目指した動機は解明されませんでした。

japaneseman5963
質問者

お礼

回答ありがとうございます 島に山があるのか分かりませんが 水平線の彼方の船はせいぜい16キロくらいまでしか見えないと なにかで読んだような 富士山だと名古屋あたりからでも見えるとか

japaneseman5963
質問者

補足

黒潮に逆らうとか、記事をよく読んでませんでした 案外行けそうな配置のようですね。 ジョン万次郎の例もあるし

その他の回答 (5)

  • okvaio
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回答No.5

日本人の祖先は、 http://www.sunda-wind.net/news/5842 言語は余り発達していなかったようです。 しかし、動物的本能は、この頃の方が鋭いものがあったのではないかと 思います。 また、アフリカ原住民の視力は良い人で8.0程度と推測されており、優れた 暗視能力も併せ持つようです。 テレビ番組で計測した結果、12.0(視力表の2.0の記号を30m離れた位置から 判別できる視力)があったそうですので、これ以上かもしれません。 方角は太陽や星を便りだったようです。 日中は太陽が真上にあり、方角を失ったようです。 最大の難関は、台湾と沖縄の間を北上する黒潮の流れに逆らって 漕がなければならなかったようです。 距離200km、所要時間約45時間。 石斧で木を切り出し、中をえぐって作った丸木船。 冒険心とやる気があれば、できるものですね。 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070900398&g=soc

japaneseman5963
質問者

お礼

回答ありがとうございます 45時間ですか、食料はたいして入りませんね 北の共和国からは動力船で来るようですが

  • SPROCKETER
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回答No.4

 エジプトでスフィンクスが作られたのが1万年前ぐらいですし、中国文明が始まったのが5000年以上前だと考えられていますから、3万年前と言えば、石器時代の人類でしょうね。  石器で丸木舟が作れるかという問題ですが、隕鉄があれば作れない事は無いようです。隕鉄を探すのが大変ですけどね。  新人が生まれたのが数万年前ですから、新人だったのでしょうが、額が狭い初期のホモサピエンスぐらいでしょうね。  星座がわかれば方位がわかるので、北極星さえ識別出来れば、北へ向かって航海する事で日本へ辿り着けるからでしょうが、アポロで月へ行くぐらいの技術力が必要だったでしょうね。

回答No.3

3万年前に存在した「人類」はホモ・サピエンス(現生人類)だけなので、見た目は現代人との差異はあまりないでしょう。 言語については、まだ「文字」の発明がありませんでしたから、何とも言えません。ただし、この頃の人類は「狩猟生活」を送っていたとのことですので、何らかのコミュニケーション手段があったと推察できますね。「知能の推定」ですが、現生人類と脳容量が変わりありませんから、知能も現代人と同等であったと推定できます。 >相当の団体行動をとる能力と冒険心 それよりも「自然要因」や「社会的要因」の方が大きいと思いますよ。 考えられる「自然要因」としては、急激な寒冷化もしくは温暖化のため、それまでの狩猟対象だった動物や魚類が取れなくなったり伝染病が蔓延したりしたため、新天地を目指さざるを得なかったということです。 「社会的要因」は、その場所で狩猟生活していた集団のところに、あとから別の集団がやってきて争いとなり、その争いに敗れた集団がさらに別の場所を目指さざるを得なかった、ということが考えられます。

japaneseman5963
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • dragon-man
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回答No.2

石器時代より遙かに前の3万年前の人類があんなボートを作れるわけがない。やらせもいいところです。ばかばかしい。

japaneseman5963
質問者

お礼

回答ありがとうございます げんに人が住んでるんだからなんらかの 手段で移ったという事実はありますね。 私も先祖がどこから来たのか皆目わかりませんが アフリカンの痕跡としては黒髪くらい? ロマンといえばロマン

  • seble
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回答No.1

そんなに昔の事は忘れましたが、確か、文字はおろか、まともな言語もなかったように思います。 ただ、好きや興味で航海に出たというよりは、天災その他の原因でやむにやまれず出たと推測する方が理にかなっています。 前門の虎、後門の狼って事ですね。

japaneseman5963
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 丸木舟で成功っていうことのようですが鉄器の斧があったようにも 思えない。 ひたすら漕ぐというのも現実的でないような。 筏方式で食糧を積んだのを引っ張ってゆく みたいなのが現実的だと思う。ヘイエルダール?の航海が有名ですね。