- ベストアンサー
国鉄時代のトイレ・・・!
もう60年も前のことですが、国鉄の特急列車でも、トイレはそのまま線路上にまき散らしていたのを記憶しています。沿線の住民のことが気になったものです。時代背景もある中で、国鉄としては、設備などの対策の議論はどうだったのでしょうか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
昭和25年(1950年) 徳島医科大学生理学教授の岡芳包博士と徳島鉄道病院耳鼻咽喉科医長片岡義雄医師が、走行中の列車トイレからの汚物の軌道調査をしています。 レール沿いに白い紙を設置し走行する列車のトイレから赤インクを流し、 どのように紙に付着するかという方法。 平地を 単独走行時はレール沿いに落下する。 他の列車との擦違い時やトンネル・鉄橋を走行している時はレールに落下せず列車の窓や雨樋部分(昔の車両には目立つようにあった)にまで舞い上がることがわかりました。 この実験結果は、 昭和26年4月と昭和27年5月の日本交通災害医学会総会において 「列車便所に関する研究」として発表されています。 各地域から改善要望は出されていましたが、 路線延長や新車両の開発でお金が回らず、 上記研究調査と連動していたのかは不明ですが、 昭和26年4月~6月に大宮-高崎間で改良型流し管のテストを実施。 結果「流し管を車体中央側に925mm寄せ、さらにレール面に195mmまで近づける」ことで飛散範囲が格段に小さくなることが判明。 ただし当時運行していたトイレ付列車すべてを改造してはいなかったようです。 昭和33年(1958年)11月 新幹線の建設計画が具体化されたことで、 列車に取り付ける汚物処理装置の開発が至上命令となりました。 昭和34年(1959年)度予算で約150万円を計上し、 貯留式(タンク式)と粉砕式(消毒式)との試作開始。 先に粉砕式が完成。 昭和35年(1960年)からこだま型特急(151系電車)と ブルートレイン(20系寝台車)に設置。 その後他の車両にも採用されました。 ただ、粉砕式は粉砕消毒後の処理としては垂れ流すことには変わりがありませんでした。 昭和36年(1961年) 新幹線の車両にタンク式トイレを採用。 しかし,1往復毎にタンクに溜った汚物を回収しなければならず(車両基地で)列車運用上のネックとなりました。 在来線の車両はトイレの位置がばらばらで汚物の回収がスムーズにできないためタンク式の採用はなされませんでした。 昭和38年(1963年)9月 岡山県知事三木行治氏が「列車の便所から放棄される汚物の処理について」という嘆願書を当時の国鉄総裁石田礼助氏に提出。 昭和39年(1964年)度 浄化式(日立化成TZ式)と循環式(鉄道車両金具製造,五光製作所)に絞り比較研究を開始。 結果、循環式が採用され、 昭和42年(1967年)10月から 順次循環式への改造が始まり昭和44年(1969年)度末までに 新幹線の車両は全て循環式になりました。 しかし、 在来線の車両に対する循環式への改造は予算の壁にぶつかり粉砕式が継続。 ただし、改良が施され点検ブタ・飛散防止覆い・異物取り出し装置の設置とタンクの大型化に寒冷地用としてヒーターの設置がされました。 昭和40年(1965年)6月 清掃法改正 列車を運行事業者に対して適切な屎尿処理を行うことが義務付けられました。 昭和43年(1968年)8月14日 第88回業務運営会議において 「大都市発着または通過列車の便所使用制限方法と汚物処理装置の地上設備の設置方法との検討を急ぐ事」との通達を発布。 これを受けて同年8月22日 「列車トイレット(原文ママ)改良の基本方式」として イ、車両には汚物を貯留して基地に戻ってから処理をする循環方式を採用する。 ロ、地上設備における処理方式,規模,市町村側との関連調査等を実施する。 ハ、粉砕式の今後の処置を検討する。 ニ、都市部での便所の使用制限を実施する。 ホ、さしあたり東海道線,山陽線から実施する。 が定められ、 同年8月29日 「列車トイレット改良研究会」では 車両の改善と取り付けは改造の難易により A大改造を要する〔気動車〕 B便所を移設すれば可能なもの(旧形客車) C比較的改造容易なもの〔電車,軽量構造の客車〕の3ランクとする。 新車についてはタンクを取り付ける。 食堂車には従業員用なので汚物処理装置は設けない。 既存車両については汚物処理装置が完備されるまでは応急対策として汚物の飛散防止を緩和する目的で流し管に覆いを設ける。 長距離団体用として、創価学会用と修学旅行用を、汚物処理装置の取り付け対象車両とする。 等を決定。 昭和43年(1968年)9月3日の常務会において 新幹線に使用した循環式を、夜行の特急急行・昼の特急急行・長距離団体用に取り付けることを決定(総額800億円のプロジェクト)。 昭和56年(1981年)度末の統計では 汚物処理装置を取り付けた車両は5,350両におよび、 国鉄が分割民営化される直前の時点で、 全汚物発生量の75%が衛生的に処理できるようになりました。 2002年3月にJR北海道の車両を最後に粉砕式の使用が無くなりました。 粉砕式トイレを設置している車両は走っていますが、 実質使用できないようにしています。
その他の回答 (6)
- longrailjpn2018
- ベストアンサー率7% (195/2487)
東海道新幹線で、初めて撒き散らさない循環式のトイレが導入されましたね。 最近は、東京メトロや京王電鉄など凄く金のある大手私鉄の駅は、なんとウォシュレット🚽や手洗い石鹸まで導入され始めました。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2711/13692)
そう言われて思い出しましたが、東北本線は上野、赤羽間はトイレ使用禁止でした。対策はその程度でした。いたずら好きの友人がトイレに赤インクを流したら、窓を開けていた後部車両の乗客のシャツが赤く染まりました。 20年ほど前にオランダのローカル線に乗ったことがありますが、トイレの便器を覗いたらレールと枕木が見えました。昔の国鉄と同じだったようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- 2012tth
- ベストアンサー率19% (1893/9468)
50代♂ 回答 つい最近まで…国際線の航空機は、フリーズドライ して空中散布していた。 飛行場に駐機している航空機の後ろ側に繋いであるジャバラホース は、バキュームですよ。 事故でバラバラに成った機体の側は悪臭が…
お礼
ほんとですか!?
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
長年問題になっていました。薬物を混ぜて放出するなど対策は取られていましたが、当時は長距離列車が多く、処理施設が完備されていないこともあってなかなか対策が進みませんでした。何より問題だったのは、汲み取りトイレに慣れていた時代ですので新幹線などのタンク式トイレには女性の生理用品、おしめなどを投げ捨てる人が後を絶たず、故障が相次いでいたことです。家が隣接していることが多い通勤区間ではトイレを閉鎖する処置が取られていたところもありますが、そこから外れてしまうと利用率が上がって、長距離列車、特に大の利用が多い夜行列車からが大問題になりました。 その後、新幹線の建設が進んで長距離列車が激減したこと、そもそも長時間乗る人が少なくなったこと、トイレを供えない車両が増えたことなどもあり、また線路に撒き散らされた排せつ物が雨で流されることが無い「橋上駅」「地下駅」が増えたこと、保線作業員や車両担当者の労働環境改善のためもあって平成以降に新造される車両は全てタンク式になりました。 昔「国鉄職員は勤務時間中に入浴している」ことが問題になったことがありますが、これはトンネル内などで退避中に浴びてしまうことが多かったためだということは案外知られていません。 ちなみに、今でも旧型客車を運用している大井川鉄道の車両は垂れ流し式のままです。構造上タンクを取り付けるスペースが無いためです。それ以外でも特殊な車両ではまれに垂れ流しのものが使われていることもあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
畑にも人糞を撒いていたぐらいですから、問題視されなかったと思います。 60年どころか、1970年頃まではバラ撒いてたんじゃないかな?
お礼
ありがとうございます。
- suiton
- ベストアンサー率21% (1110/5262)
こちらが詳しいようです。 http://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo032.htm https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%97%E8%BB%8A%E4%BE%BF%E6%89%80
お礼
ありがとうございます。
お礼
ご丁寧なご回答ありがとうございます。