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正しい自分を見つめ直すとき
- 自分の姿勢や身だしなみ、言動をチェックし、真剣に見つめ直すことはありますか
- 自分の影を見て自分の若さや姿勢に気づき、改めて正しい姿勢で歩くことを心がける
- 他人の姿や経験から学びながら、自分自身を向上させることが大切
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質問者が選んだベストアンサー
長い間 今まで自分は正しいと思ってきました。 確かに間違ってはいないと思うのですが そして長い事虐められっ子と思っていました。 子供の頃からいじられてきたのです。 悪い事をしない 我慢を重ねてきた 常に優しく 感じよく人に尽くしてきた 自分では出来る限り自分を犠牲にしても 善い人でありました。 そう思っていました。 死んだらおそらく天国に行けるであろうと思っています。 実際その通りなのですが 殆ど人に利用される人生でした。 そして馬鹿にされる 人の言いなりになる でも それは私の我慢によって成り立っていたように思います。 そろそろ人生も終着駅に近くなり 反省をしています。 このまま死んでいくのも嫌だな と思い 少し自分を変えようと思い始めたのです。 でもあまり変わらないのです。 今までだったら言わないで我慢をしていたことを 言うようにしたのです。 でも周りの人は珍しい物でも見るような目で 不思議そうな顔をしています。 どうしてでしょうね。 まだまだ反省しなければならない事が 私には有るのでしょうか それともこれはこれでいいのでしょうか 悩んでいますよ 死ぬまでに大声を上げて あなたは私にひどい事をした こんな事もあんな事も と言ってみたいと 思っています。 一つだけ反省することは 「あなたは正しいわ でもそれが辛いこともあるの」 という声が聞こえてきそうなのです。 それが私の反省することかもしれません と 最近思っています。 いいえ決して人を責めてはいないのですけれど 「責められているように感じてしまうのよ」という声も 聞こえてくるようです これかな と思います。
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- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15945)
わりと、しょっちゅう有りますね。言葉遣いとか、迷惑行動を見た時とか 逆に素敵だなと思う行動を見た時も。 小さな、お子さんの感性に驚かされることも。頭が固くなってるなと。 人間観察は楽しいですよね。
お礼
zabusakuraさん、こんにちは。 時代が変わって初めてですね(笑)。 こういう事は、ちょっと気を付けてるとよくありますね。 今朝もTVの司会者が、タレントに向かって「羊、羊」と言ってたので、何かなと見たら「執事」の事でした。 最近のTVは、アクセントが滅茶苦茶です。 「もっと勉強せんかい」と言いたくなります。 zabusakuraさんの、料理に対するアドバイスを素直に受け入れ、更に美味しくするところなどは、いつも偉いなと感心します。 「逆に素敵だなと思う行動を見た時も」ありますか、そういう観察も大切ですね。 子供の成長を見るのは楽しいですが、自分の老化は悲しいものもありますね。 頭も、身体も固くなります。 「人間観察は楽しいですよね。」は、余裕の言葉ですね。 僕は趣味のカメラで、街角スナップが楽しいです。 自画自賛ですが、IDのイタリアで撮った写真もお気に入りです。 特に、左のオジサンの余裕の表情がなんとも言えません。 ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
正に「人のふり見て我がふり直せ」ですね 職場で喋ってばかりで作業効率の悪い女がいます 私語禁止ではないんですが、うるさぁて気が散ります 私は黙って作業をするタイプですが、時々あの女みたいに迷惑かけてないかな?って思う時がありますね
お礼
michiyoさん、こんにちは。 「人のふり見て我がふり直せ」のモデルになる人は沢山いますね。 しゃべるのは多少仕方ないですが、仕事をおろそかにするのは良く無いですね。 「姦しい」と言う字は、本当によくできてると思います。 西洋では確か「女学生の行進」と言うそうです。知らんけど。 海外ツアーに行った時に、おばちゃんたちが空港の道の真ん中を大きな声でしゃべりながら、道いっぱいに広がって歩いてると、一緒と思われたくないので、大分離れて歩きます。 本人たちは分からないのですね。 ミチヨさんは流石良い心がけですね。 目指すは、孤高の人ですね。 ありがとうございました。
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お礼
purimuro-zuさん、こんにちは。 良いお話をありがとうございます。 色んなことを感じました。 「あ、一緒だな」と思ってホッとしたことも有るし、「僕もいじめっ子かも」と少し反省したり。 少し心配し過ぎかなと感じましたが、人にはその人に合った生き方があるように思います。 それは、損な人生だったり、辛いことばかりだったりするかもしれませんが、それが居心地が良かったりすることも有ります。 その時は、それで良いんだと思うようにしています。 物事には必ずメリットと同じ量のデメリットがありますからね。 人の上に立って、責任感のある仕事ができれば良いでしょうが、それよりも少し落として、自分の好きなようにできる部分が多いほうが良い時もあります。 たまに、ここは自分が先頭に立って、と言う場面もありますが、長く続けるのは辛いです。 人に振る舞い奢るのが好きな人がいて、振る舞ってもらい奢られるのが好きな人もいます。 その両方がそれで仕合せなら、入れ替えないほうが良いですよね。 言い替えれば、奢りたい人には奢らせておけば良いということです。 あるいは、奢らせてあげてると考えても良いと思います。 こんなことで、自分の誠意や好意が相手に伝わらないことも有りますが、仕方ないですね。 人の気持ちは分からないものですが、「阿保は、自分以外の全ての人を、阿保と思ってる」という芥川龍之介の言葉が有ります。 この言葉を都合よく使って、自分を慰めたり、相手を馬鹿にしたりして心の中で遊んでいます。 人の考える「良し悪し」は、「好き嫌い」から来てる部分が有ると思います。 特に女性は、これが強いようです。 だからイケないというのではなくて、人の考えは違って当然と考えると、気が軽くなるということです。 人を責めるのも適当に、自分を責めるのも同様にと。 そして最近は、自分を一番に考えるということにすれば、不平不満が少なくなります。 人生も少ないんですから。 妻にも言います、だから娘より僕を大事にしてくれと。 ありがとうございました。