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自己肯定感を高めるには? 嫌われるのが怖いです
もうすぐ高校三年生になる、17歳女子です。 私は離婚やら再婚やら色々あって心の体調を崩し、病気とは診断されていませんが現在心療内科に通っていて、副作用の少ない薬を飲んでいます。 不登校のようになった時期もありましたが、先生や友達のサポートのお陰でなんとか回復していっています。 さて、本題ですが、小学校高学年くらいの頃からでしょうか。人に嫌われるのが怖いです。それまでは初めて会った人にもすぐに話しかけるほどでしたが、気付いたら人見知りになっていました。記憶力が良くない方なので、いつなのか、何を境にしてそうなったのか分かりません。親が離婚した時期とも重なっていません。 自分が嫌いな人には嫌われても何も思いませんが、特に友達や先生には嫌われたくなくないという気持ちが強くなってしまいます。 小テストの手応えが悪かったりすると、先生に嫌われたかも...どうしようと考えてしまい、その日はずっと落ち込んでいて、1人家に帰ると泣いてしまいます。楽しいことがあると治るのですが、思い出すとまた苦しくなります。 また、電車に乗った時等、学校以外で2人以上で話してる声が聞こえると、私の悪口を言われているような気がして怖くなります。そんなわけないとは分かっていますが、怖くて辛くなるので、緩和するためにいつもイヤホンで音楽を聴いています。 きっとその原因は私の自己肯定感が低いせいだと思っています。なので、ネットで調べて「自分の短所を長所に置き換える」「自分のいいところを書き出してみる」という方法はやってみたのですが、どうしてもやはり自分はダメなやつだ...と思う心が消えません。 どうすれば自己肯定感を高めることが出来るのでしょうか?なにかおすすめの方法はありませんか?それ以外でも、和らぐ方法等があれば教えてもらいたいです。 長文失礼致しました。
みんなの回答
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
方法が違うんじゃないでしょうか。 自己肯定の方法の中には「自分で自分のお母さんになる」というものもあったと思います。 今の質問者さんに大事なのは、おそらく自分の不安との向き合い方ではないかと思います。 >小テストの手応えが悪かったりすると、先生に嫌われたかも...どうしようと考えてしまい 先生に嫌われた→嫌われたと思うのは、どうして? テストがたぶん、出来なかったから→テストが出来ないと思ったのは、どうして? こうやって、ひとつひとつ自分の気持ちを探っていくと、例えばですが テスト勉強をサボったから→サボったことへの罪悪感 こういうものが隠れていたりします。 それを見つけたら ・そっか。サボっちゃったか。人間、たまにはそんなこともあるよね。 ・サボっちゃったことが苦しい? なら、次はちょっと気合入れてみようか。 ・頑張りすぎると疲れちゃうからさ。無理はしない程度でね。 ・徹夜して、逆にテストの成績が悪くなったら、元も子もないからね。ちょっとでいいんだよ。 ・単語だけ気合を入れるとか。その程度だって、十分「がんばった」って思えるはずだから。 質問者さんの場合は、こんな風に自分の不安を認めて励ましたり慰めたりしたほうが、効果的じゃないかと思います。
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
若いので比較的、すぐにに治ると思いますので、アドバイスを書きますね まず、今の時期は、自己分析はしてはいけません 理由を簡単に説明すると・・・ 何も入っていないカバンから、何かを出そうとしても何も出せないのと同じで、自分というカバンから、違う自分を出そうとしても、出てくるはずがないのです つまり、書かれている方法(ネット?)は、もう少し年齢や経験を重ねたあとにする作業で、今は意味がないのです 自己分析も同じで、いくら自己分析してもカバンの中になにもないので意味はなく、それよりも、自分のカバンの中に、新しい自分となるモノ(価値観・経験)を入れていく時期なのです では?どうすればよいのか・・・です 書かれている「自分の短所を長所に置き換える」「自分のいいところを書き出してみる」を、「他人の長所・短所を探して分析する」「他人のいいところを書き出してみる」が、正解なのです つまり、自己分析に注ぐ力を、他者分析に方向を変えてあげることです 自分よりもうまく生きている人・人に好かれている人・前向きな人・・・など、逆にあなたが嫌われたくない人の分析をすることで、様々な方法や価値観を自分のカバンに入れるチャンスなのです また、それが先生や友人や知り合いなら、相手の尊敬できる部分・素敵な部分について、相手に質問しても良いのです その中で自分が取り入れてみたい考え方や方法、心の向きなど、できることから始めても良いですし、心に留めておくだけでも良いのです そのようにしていけば、自分の趣味や好きなことに加え、あなたというカバンの中には、たくさんのモノが入っていくのですから、そこから取り出す作業も容易になります なので、自己分析は一旦、辞めてください そしてそのかわりに、他者へ興味を持ちましょう 今の自分を肯定する意味はなく 新しい自分を構築していく準備だと思いましょう ・・・・意識して頑張ってください
まあ色んな出来事が続けてあったのだろうし、高校生ぐらいの多感な時期には誰でも多かれ少なかれ通る、悩み事の道だとも思いますが。 けれど、これも良い機会だからこの際あなたに覚えておいてほしいのは、あなたのような繊細で内省的な性格傾向を持つ人には、無理に自己肯定感を高めて楽になろうとする生き方は、結局のところ不向きだと云うことなんです。 正直、変に意識して感情のコントロールを図ろうとすると、逆にそれが精神的に大きな重荷になってしまって、却ってしんどくなるだけでしょう?。 で、そのしんどさを埋め合わせるために、また別の前向き思考を上塗りして何とか自分大好き無敵人間になろうとして、でもまた無理で、ああ自分やっぱり駄目だとまた落ち込んでしんどくなって、でもしんどくて落ち込むのも駄目だからまた別の考えで上塗りして・・・の繰り返し。 その負の連鎖の無限ループを抜け出せなくて、苦しんでいるわけ。 だから、あなたのような人は、そうして意識して不自然に自己肯定感を高めようとする必要があるのでは無くて、そうでは無くて、そもそも自己肯定感を高めることに【こだわるのを止める】べきなんですよ。 『自己肯定感が低いから生きにくいのでは無くて、自己肯定感が高くないと生きていけないと云う考え方を絶対視し、それに【縛られてしまうから】こそ、生きにくくなる。』 ここは特に大事なところだから、自分の中でキチンと考え直してみて。 『あなたが苦しんでいるのは、自己肯定感が低いからではなくて、自己肯定感は高く持つべきだという【一つの考え方に頭が縛られていて、精神が柔軟性を失っている】からだ。』 あなたは、何かあって自分駄目だと 思うとき、ただ単に物事への感情としてそう思うだけでは無くて、そう思う自分を駄目な自分なんだと云う風に、自分の言動を【二重否定】してしまうんだよね。 そして、その二重否定の最大の原因になるモノこそが、何度も繰り返しになるけど、あなたの頭と心を重苦しい重力の錘に括りつけてしまっている、この考えかた。 『自己肯定感は高く持つべきだ。』 ・・・とは云え、 『自己肯定感は、低いよりは高い方が良い』 と言えば、何となく常識的で正しい言葉の様な響きに聴こえもするけれど、本当のところはこれも間違い。 正解は・・・。 『自己肯定感は、低くもなければ高くもないのが、一番だ。』 『そもそも自己肯定感が高くないととか低くては駄目だとか、そう云う考えに一々縛られ無いのが一番だ。』 『自己肯定感なんてどうでも良い。何であれ自分の心が苦しくなる考え方は全て不要だ。』 物事って、理性ではなくて感情を根拠に思考すると、大体が訳分からない方向に行ってしまい勝ちになります。 そして、実はシンプルに考えれば直ぐに答えが分かるはずの問題でも、無意味に意味を持ち、複雑化してしまうんだよね。 例えば、人に嫌われるのが怖くて、何か悪いことある?。 ・・・何もない!。 人に嫌われるのが怖いのが悪いことだなんて、全然無い。 あなたは人に嫌われるのが怖い事を理由に、警察に捕まって刑務所に送り込まれたりはしない。 あなたが自分のことをどう評価していようともどう思っていようとも、その事だけで誰かに迷惑掛かるわけでも、社会のルールに違反している訳でも何でもない。 絶対にしてはいけない、あってはいけないと自分の頭と心を縛るべきルールは、そんなところには存在してい無い。 ・・・だから!。 人に嫌われるのが怖くて良いんです。 自己肯定感が低くて良いんです。 落ち込んで良いんです。 泣いて良いんです。 弱くて良いんです。 不器用で良いんです。 学校の成績悪くて良いんです。 悪口言われてそうな気になって良いんです。 ・・・そんな自分のこと嫌いで良いんです。 大嫌いで良いんです。 駄目な自分嫌いなのは人間なら当たり前だ。 誰だって当たり前だ。 だから何なら、一思いにこう大声で叫んでやれば良い。 『人に嫌われるのが怖くて生きにくくて何が悪いかぁー!。』 『そんな駄目な自分のこと嫌いなのは、当たり前だぁー!!!。』 ・・・どうかな。 少しは楽になった?。 もし楽になれたのなら、どうかその感覚をこそ、忘れずにいて下さい。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
関係妄想・被害妄想があって、 幻聴(=Auditory Hallucination)や 幻覚(=Hallucination)がないのですね。 で、いま、いちばん困っているのが 自己肯定感が低いことなんでしょうか。 置かれた所で咲くという言葉がありますが、これは、 自身が咲くだけでなく、他の人をも咲かせることを 意味するのだそうです。この意味が真に真に解れば、 アナタ様の周辺は花園になり得ます。 いまいま可能なことで、社会貢献して、 小さな成功体験を積み重ねながら、 暮らしていれば、自然にお望みの状況に なります。大丈夫です。 自身に嘘をつかず、自身を欺かず、 自身を騙さず、自身の知性・感覚・気持ちetc.に 正直に…無理せずに、喜びや悲しみをシェアしながら 暮らしていれば、状況や環境が変わってくる 筈ですので、急がないことでは ないでしょうか。 父方・母方、どちらかの家系に メンタル系の障害や病気の人がいたり、 現在いるということは、ないのですね。 であるのなら~~~ CiaoCiao.
- marissa-r
- ベストアンサー率21% (634/3008)
自己肯定…よりも自信じゃない? 他人からの評価を気にするのは自分に自信が無い、て事だよ。 自分に自信があれば『これが私なんだから!』てなる。 それが私σ(^_^) 他人に関心が無いので余り評価も気になりません。 だって、これが私のなんだもの。 自分の事だから良い部分も分かっている、悪い分身だからも分かっている。 でもこれが私なんだよね。 私の悪い部分を嫌って遠ざかるのも仕方ない、私の良い部分を好いてくれて仲良くしてくれたなら、ありがとう、かな。 親は親なんだよ。 そして“私は私” 他の誰でもない、私。
僕の感じたことを書かせてください。 役には立たない回答かもしれませんが よろしくお願いします。 質問者様は 今 、 自己肯定感を高めようと、努力されてます。 確かに低い自分も自分だが 高めようとしている自分も自分。 2人自分がいる状態、のような気がします。 つまりは 自分を助けようとしてる自分が、確かにいる。 それは、自分に寄り添ってくれている。 ここじゃないですか? 2人の自分。 二重人格とか、多重人格とは、違うんです。 低い自分だけど、それを高めたい ならば 自分を信じて、やってみる。 どうやって? もう一人の自分が応援してくれます!
- agehage
- ベストアンサー率22% (2752/12074)
自分はちょっと普通ではない 普通ではない事が悪い事ではないが、少し生きていくのに苦労する みんな何かしら苦労してるので、仕方ない事だ ↑ こんな考えが出来れば心配する事はありません 完璧を求めているうちは悩み続けるでしょう