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自死してしまった
よろしくお願いします。昨年4月29日に一つ違いの兄が自死してしまいました。私は兄が二人、弟が一人の4人兄弟。父母共に健在です。父親が営む紙加工の会社で両親、自死してしまった兄、私とで細々と仕事をしてきました。父親との関係や会社の経営状態など悩むこともたくさんあったとは思いますが。働いていた工場で亡くなっていました。発見したのは兄の奥さんでした。皆「何故?」という想いが残ったままですが、生きていかなければならない。私もこのまま悲しむだけではなく、この経験をマイナスだけで終わらせたくないと思っています。ただ人生の時間は有限だし、流れも早く、兄の分も生きるつもりが自分の人生ですら活かすこともなく、他の生き物に貢献する事もなく、ただ流されてあっという間に終わってしまうのではないか?焦りはあるのに何をしたらいいのか?もうあまり遠回りをしている時間はない気がします。少しだけ導いていただきたいです。人間生きていること自体何も意味はないのかもしれませんが。
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人間は死に対して本能的に憧れを持っています。本能の部分に生きること、死ぬことへの欲求があるのです。 お腹が減ったり、眠くなるのと同じ領域に生きたい、死にたいと思うことも含まれています。誰に教わった訳でも無いのに不意に魔が差して、欲求に従ってしまう。そういうことも人間にはあるんですね。 一方で自殺は何かに対する当て付けが根本にある場合もあり、お兄さんが職場で亡くなったことを考えれば、職場に何か改善すべき原因になるものがあるのかもしれません。 お兄さんは命を使ってシグナルを送った。 何かを改善することに人生の意味はある。 導きには人間の構造を分析する必要がある。人間には理性と感情の両輪の働きがあります。 理性に深く結び付いているものは自身の身体そのものです。身体の成長の最大の目的は理性を向上させることにあります。故に身体の成長と共に獲得出来る理性は増えます。理性は学び尽くせないものなので、人間の成長には「限りがない」ということになります。 感情には喜びと悲しみがあって、必ずこの二つの感情に集約されます。人間は喜びから笑い、悲しみから怒るのです。感情には約束することができないというルールがあって、ある日突然その感情と出会う事になる。感情は時に炎の様にその身をやつします。炎は全てを焼き尽くす象徴ですが、陶器や磁気が炎の中から生まれる様に、人間の心の成長も感情の炎が焼き尽くした後に訪れます。 悲しみが無ければ人間は成長することは出来ません。成長には必ず先に悲しみが起こります。人間は甘っちょろい嘘や虚構が大好きな生き物で、自分だけは悲しみが起こらないと高を括って生きる生き物です。 お兄さんが引き起こした不可逆な現実、そして大きな悲しみは貴方の心の中に成長の種を残した。 貴方の成長に欠かせないピースだったということを言えるように。 理性と感情が成熟した人間の究極の到達点は、思いやりがある人間です。貴方も必ずそこへ向かう。悲しみこそ多くの希望を生み出す学びなのです。貴方はそれを確かめてください。
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お兄様と一緒に会社をしていたのですね?それは、頼りにしたり、頼られたり大変だったと思います。しかし、まだ、いかねばならぬ道だから、目的をもって、生きてみたらどうですか?私も闘病生活で、目的は、節約だけです。働けないことが多く、他人の悩みを聞いてあげて、回答したりして、自分の存在を否定しないように生きていますよ。目的は、毎日これをするだけでもいいし、息をうまく吸うとか?それと、誰が前向きな人と付き合うとか?どうでしょう?
- keizo99
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確かに、貴女の生き方、考え方がどうのこうのと、言える身分でわありませんが、お兄さんもそれなりに、考え頑張られていたと、思います、でも焦れば焦るほど、空回りし自暴自棄に入っていき、悩み、心労がかさみ疲れたと、おもいます、自分の悩みを、内訳たりすることも、人にわ必用です、一人で抱え込む体質からは、脱皮することを心がけてください、確かに日々に追われ自分自身を見失う事も、ありますが、その時、一度物事を客観的に判断見る事が必用でです、焦りとつかれで、物事の判断がにぶつている、環境からわ、マイナスばかりの思考になりますので、外から自分を仕事を客観的に、ながめる、判断する事が執拗です、そこで、残された時間がないてとか、人生のあせりわ禁物です、焦るから物事が見えなくなるのです、開き直りもひつようです、もしも現在の仕事が出来なくても、終わりでわないのです、過去の延長が未来でわありません、過去わ、過ぎさつたもの、未来わこれからさき、貴女が作り上げるものです、現在から抜け出せないのわ、今に執着しすぎて、見えなくしているのでわ無いかと感じます、ものごと開き直りも必要かも、働ける、健康な体があれば、新しく、あらたにリセットした人生もあるのでわと、考えませんか、貴女わ貴女の人生があり、生きている意味があるのです、いずれその事わ、感じる、分かるときが、必ずきます、安易な悲観な考えは捨ててください、
- aria70
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4年ほど前に最愛の父をガンで亡くしました。父親が病におかされていることを知ったのは父が亡くなる2ヶ月ほど前のことで、私の両親は双方の祖父母たちの言いつけで、私が6歳の時から私が嫁ぐまで別居結婚を続けていました。しかし離婚後は、まるで2人とも別人でもなったかの様に、どちらかが病気に侵されていてもお構いなしと言う感じで、娘の私にも必要以上に気を使うなと言うまでになってしまいました。 そのため私は父が病気で苦しんでいる時、お見舞いにもいかせてもらえませんでした。ある時、知人の計らいでようやくお見舞いに行けた時には既に手遅れで亡くなっていました。 しかも、亡くなったのは私が見舞いに行った日の明方4時の事で、当然の事ながら、誰にも看取られないまま逝ってしまったのだと思います。数時間前まで息をしていたのかと思うと、本当に全身の毛穴が開くほどの衝撃で、それまで自分の一存で見舞いにも行かせなかった母や父の秘書に私には絶対に近寄らせるな!と言っていた後妻など、本当に奈落の底に突き落としてやりたいくらいの怒りが湧いてきました。 無論、父とその後妻との間には娘と息子がいたので、私は葬儀に参列するどころか御線香の1本もあげさせてもらえませんでした。 多分、私の中でこれは病気や事故や自殺などで最愛の人を亡くすよりも酷い事で、最愛の父が亡くなったにも関わらず涙一つ流れないほど衝撃だったのか、以来、自分の感情を表す事が無くなってしまいました。 あれから5年近くになりますが、ただただ淡々と生きています。自暴自棄になって仕事を辞める事も無かったし、気晴らしに旅行に出かける事も無かったし、誰かを好きになる事も無くなったし、40年近く付き合って来た親友とも一切、連絡を取らなくなってしまいました。 しかし、表面上は明るく飄々と過ごしているので、誰も私の心がそこまで病んでいるなんて知る由もありません。ただ心の中では冷たく暗い気持ちが佇んでいるのか、私から見て旦那や子供に囲まれて幸せなはずなのに、文句ばかり言っている人間を見ると、ザマァ見ろ!!とさえ思ってしまう自分がいます。(例えば浮気されたなど) 長々と書いてしまいましたが、こーゆー時って時間に身をまかせですかないと思います。一生懸命がんばって、そこから逃れようと思っても簡単に逃れられるようなものではありません。 多分、こういう時って旅行したらとかもっと自分のために楽しんだなって言う人が多いと思うけど、自分の心が浮かないときは、きっと何をやっても楽しくないはずです。 だから、私は本当に自分の心が楽になった、と思える時が来るまで、何もせず淡々と生きていく事にしました。嫌な事も悲しい事も全て受け入れられる強さが身につくまで、ポーッと生きていればいいのではないでしょうか? 人に迷惑さえかけずにきちんと生きていれば必ず良い事もあるはずです。 今迄は母や周りの親戚、後妻など、烈火の如く居た堪れない気持ちもあったけれど、今はそんなに不平不満が多いなんて、可愛いそうな人達だなぁと怒りすら感じない仏の心境です。
- pipipi911
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例えば、サラッと読めますので、 公立図書館等で、 『本当にあった15の心あたたまる物語』 『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』 『サトゥルヌス菓子店』 を読んでみることを 勧めしたいです。 〈ミールに通った日々〉は、 ロシア語ではなく別のことでも 参考になります。 ゴミ(=廃棄物)を適切に 処理していれば、それが 地球への貢献になっています。 問題解決の有力なツールである 「マインドマップ」「マトリックス図法」 「連関図法」「特性要因図」を 活用することを検討してみませんか。 書き方は、検索すれば解ります。 まぁなにはともあれ、 アナタ様の、これからの 人生航路が豊饒&豊穣であることを 祈っています。 構えず、飾らず、肩の力を抜いて、 あるが侭を、あるが侭にのスタンスで、 自身に嘘をつかず、自身を欺かず、 自身を騙さず、自身の知性・感覚・気持ちetc.に 正直に無理せずに、 自他肯定[=I am OK, You are OK.]で喜びや 悲しみをシェアしながら暮らしていれば、 アナタ様に、いいことが起き続けるように なるでしょう。 [外界は自分の心の鏡である。 Orison Swett Marden] 「The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』)」 Good Luck! Ciao.
簡単に言うと、人は産まれた以上は、子孫を作り死へ向かいます。 そこに付け加えて、若き頃は勉学に励み、大人へ近付き恋を知り、、 結婚して、子供を授かり、育成したり働いたりしながら自分をも高めていきます。 人が生きている事自体、意味が無いか、有るかは多分、、 その人の産まれてからの家庭環境や、人間関係、家庭においての 全般の豊かさなど関わっていく全てが良い巡り合わせなら貴女様のお兄さん の様に自死は選ばず、何とか自力で踏ん張って楽しい環境に していこうと努力する筈です。 それが出来なくなった何かをお兄さんが感じ、頑張っているんだけれど どうしてもその成果が結果として実らず、、どんどん負の境地に入り込み 考え方も良い巡り合せの運びにならず「死」を選ばれたのではないかしらね? 私は生きている事に意味はある、、と思っております。 ですから、生きていれば、良い事ばかりだけでは有りませんから、、 嫌な事、辛い事など悩みがあった時こそ、周りが気付いてあげる事が 凄く死から遠ざけていけるのではないか、、、と思います。 お兄さんが亡くなり貴女様もお辛いでしょうが、誰にでも死を考える時が ございます、、そんな時、こちらからアピール出来るくらいのちょっとした 自分の気持ちをどこかで吐き出していくと良いですよ。^^ 色んなチャレンジをしてみるのも人として生きていく楽しさを味わえますし 遠回りしたって、、良いじゃない!^^ 「生かしてくれて、有難う。」と胸を張って天寿まっとう致しましょう~。
- skp026
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私も知り合って10年の親しい人を亡くしました。 書類上は自死ではなく事故と判断されましたが、 私としては、それの可能性を否定しきれていないと思っています。 あと私自身も、それを本気で考えて、直前までいったこともあります。 そんな私が気を紛らわすのにやっていることは、 質問サイトに回答をすることです。 質問サイトには、質問のなりをした雑談のものは対応せず、 本当に困っていると感じたものに回答をしています。 実生活でも席をゆずるとか、扉の開け締めを手伝うくらいはします。 あと寝る前とかでは、私にやさしくしてくれた人や動物を思い出します。 すごく信頼してくれている様を思い出すのは、こころに良さそうです。 ※ 質問サイトには、それをしようとする人の書き込みもあります。 私なりの、それを思いとどまった経験などをご案内しています。 ただ、質問サイトの運営としては、そのような質問は 削除することが多いので、そうなると私の回答も消失することになります。 それでも届くかもしれないし、参考にしてくれるかもしれないので、 できるだけ回答は続けるつもりです。 なにかの足しになればと書き込みましたが、 参考にならなかったらごめんなさい。