- 締切済み
死別について
暗い話で申し訳ございません。 仲の良かった友人が自死によりこの世を去りました。本当に突然のことでした。4カ月ほど経ちますが未だに信じられない気持ちです。正直信じようとしない自分もいます。ご実家へ手を合わせさせてもらいに行きました。そこで実感が湧くかと覚悟していたのですが実際はそうでもなく未だにふわふわとした感じです。 頭の中が混乱しています。あの子はもういないんだと頭では分かっているつもりですが、本当はどこかすぐ近くにいるのではないかと期待してしまいます。それなのに、その子との楽しかった思い出やふとした仕草、表情、声が突然頭に鮮明に浮かんでは涙が止まらなくなります。その度に悲しみに押しつぶされそうになります。 どうして良いのかわかりません。 このような状態は一過性だとは思いますが今が辛くて仕方がありません。 このような状態に対処する方法などなにか助言などございませんでしょうか。
みんなの回答
- gigamax2
- ベストアンサー率27% (170/628)
こんばんは。 一番の解決法は時間です。時間は人それぞれでしょうが、現実を取りあえず受け入れる事が最短の道。 もう一つは死生観の確立。死んだらお終いという唯物主義の感性を無くすことが出来れば尚早いかな。 故人のエネルギー体は不滅ですよ。
- minttea3
- ベストアンサー率26% (287/1096)
「死」というのは、常に「生」の隣にあります。 それは人間が生まれて死ぬ動物である以上、当たり前のことです。 けれど、宗教を持たない現代日本人は、死を隠蔽してしまいました。 そのため、今の若者は死生観を育てず、持たず、死に対しての免疫がありません。相談者さんのように、突然身近に死が現れると、ただただ動揺してしまうようになってしまいました。 少なくとも、相談者さんの親世代までは、幼少期に「死」をいきなり身近に感じて考える、という経験をしているものなのですが。 相談者さんは、これまで「死」に遭遇する経験がなかったのではありませんか? よりよい「生」を生きるためには、「死」を意識する必要があります。 今回のお友達の死は、相談者さんに生や死を考える機会を与えてくれたのでしょう。 他人の死に、実感などわかないのが当たり前です。 遺族でも同じです。 ある日、ある時、突然に「その人の不在を肌で感じる」ものなのです。それまで、実感などわかなくて当たり前なのです。 どうぞお友達の死を機会に、ご自分の、人間の、生や死について、よく考えてみて下さい。 そういう思考をせずに生きるのは、ただの動物と同じです。人として生きるために、どうぞ生きることについて考えてみてください。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15944)
私も親友を癌で亡くしました。まだ若く、本当に進行が早く遠方に嫁いだ もう一人の友達とは亡くなる前に会えませんでした。 子供も、まだ小さくて。 しかも知り合いの、お子さんもその直後に亡くなり精神的に酷かったです。 同じ気持ちの人と寄り添うと楽になるような気がします。 お子さんを(小学生で、お母さんの目の前で亡くなられました。)亡くされた方は 丁度、親友を亡くしたばかりの私と気持ちを共有したことが 慰めになり、楽になったと、おっしゃってました。
お礼
回答ありがとうございます。 似た境遇の人と話をするのも良いのですね。 私も共通の友人と話をしてみようと思います。
- gongorogon
- ベストアンサー率16% (706/4250)
生あるもの、いつかは死す。 死というものを、未だ受け入れられないのですね。 子供の頃に動物を飼うと、いいと言われています。 幼い時期から死ということに直面し、理解ができるようになるそうです。 あなたが悲しんでいると、お亡くなりになった方も悲しまれていると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 生あるもの、いつかは死す。そうですよね。 亡くなった子を悲しませないためにも悲しみすぎないようにします。
- marissa-r
- ベストアンサー率21% (634/3008)
ツライ事、苦しい事て認めたくない思いが強いもの。 しかし現実、事実と受け止めないと心身に影響が出てしまう可能性アリです。 私はそんな時、活字にします。 ここのサイトもその一つです。 意外と人の悩みて似かよっているもの。 質問に対し回答を書いていると自分を客観視できて頭の中が整理できます。 そして知らない誰かに投げた叱咤激励の言葉に気付く事もできます…『そうだよな』て。 今も同じかなぁ。 対象は異なっても皆さん同じ様な経験をしていますからね。 好きな言葉に『忘れない。でも思い出さない。』てのがあります。 思い出して思いに耽るのには時間が必要ですよね。
お礼
回答ありがとうございます。 活字にしてみるの、実践してみようと思います。 「忘れない。でも思い出さない。」素敵な言葉です。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
つらい気持ちは、自分が作り出したものです。 その気持ちを、長く持ち続けるのも、早くその気持ちから脱するのも自分次第です。 人は、生まれてくれば、やがて死んでいきます、早い人もいれば、遅い人もいます。 死んで悲しいのは、その人がかわいそうだからではありません。 自分の大事なものが、いなくなったからです。 自分の欲深さが、そのような気持ちにさせるのです。 自分の欲望を捨てることができれば、楽な気持ちになれます。 それが可能なのは、自分自身だけです、 そんなときに、宗教にはまる人もいます。 欲深いからはまるのです。 自分の気持ちを正当化させるための一つの方法です。 もう一つの方法は、現実を受け入れることです。 自分が長く生きれば、生きるほど、周りの人は少なくなっていきます。 さみしくなっていきます。 自分が健康で長生きしたいのなら、これ、この気持ちはついて回り、逃れることはできません。 日常の普通にある出来事ですから。 長く生きれば、自分が買ったものは壊れ、何回も買い替えねばなりません、 一緒に暮らしてきた人々も少なくなり、最後には自分一人になります。 それが普通のこと、普通のこととして、自分の心をコントロールして、 次のその人のいない、生活に向けて行動していくしかないのです、
お礼
回答ありがとうございます。 受け入れるしかないのですね。 欲望を捨てることができるようになろうと思います。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
参考になるかどうか…。 私も数人の知人を自死で失ってます。 その中の一人は、中学の同期で同じ運動部で、高校は別でしたが試合などで交流は続き、 その後、偶然にも二人とも新規開店する大型スーパーのテナント店長として顔を合わせ、 テナント会の会長と役員という立場で一致協力して地域一番の大型店として栄誉を得たのですが、 その後に独立した彼は一時成功して地域の有名人となったのですが、他地域から経営参入した同業者に会社ごと乗っ取られ、 その後は転業を繰り返しながら地獄の苦しみを味わったようです。 最後に偶然顔を合わせた時は大型スーパーのテナント店の、その片隅に場所を借りて一人で細々と買う価値も無さそうな商品を販売してました。 その一週間後、地方新聞の片隅に彼の自死が報じられていました。 …妻子を残して。 今思い出しても彼の悔しさが、本人でもないのに込み上げて来ます。 たまに思い出しては心の中で彼に言うのです。 「お前の若い時の勢いを俺は知ってるぞ。 事情はお前の足掻きも見ていた俺ならわかる。…わかるけど、あの若い時の勢いで何とかできなかったのか?」と。 勿論、彼からの返事は返って来ません。 でも、私は今でも時々彼と話をします。…心の中で。 彼の親族とは関係を持ってません。 彼との交流は心の中で今でも続いてます。 現実の親族とは顔を合わせてません。 現実の世界では既に彼の事は忘れてます。 彼との交流は、今では私の心の中だけです。 それでも、彼は私にとって今でも尊敬に値する人物の一人なんです。 …この質問で一人の知人の事を思い出したので、 彼に関して取り留めのないことを回答として綴ってみました。 …貴方の友人も、貴方の心の中で生き続けて貰えたら。 そういう思いです。
お礼
回答ありがとうございます。 g27anato様も辛い経験をお持ちなのですね。 心の中で話をする、心の中で生き続ける。素敵です。 私も友人と心の中で繋がり続けたいと思います。
- tarekatsu
- ベストアンサー率34% (72/207)
自死したその友人は、やっと生きている苦しみから解放されてされ、楽になったのです。 あなたはその自死した友人の何を分かってあげられていましたか?助けられなかったご自身を悔み悲しいのでしょうか。 あなたが仰っているのは、友人のことではなく、ご自身の悲しい、辛い、押しつぶされそうばかり。 友人がそれまでどれだけ悲しく、辛かったことでしょう。。。文章から、今のあなたの感情はエゴだと感じてしまいました。 大切な人を失ってことに対して、一過性のものなどないと思います。だけど、人は辛い思いを忘れることで生きていけます。 現状はあなたの苦しみではなく、その友人の自死を認めてあげてほしいです。押しつぶされたのは結果として友人です。 いまは無理でも友人の死を認めることで、今後もその友人以外の接する人に何が出来るかを考えられるかも知れません。
補足
回答ありがとうございます。 友だちとは学校時代とても仲が良く、一緒に授業を受けたりご飯を食べたり遊びに行ったりしていました。まめに連絡をとるほうではなく誕生日などのイベント時にメッセージを送り合う程度だったのですが、お互い進んだ道で頑張っているんだと思っていました。そんなところへ突然の訃報でした。 確かに今私は非常に自己中心的です。自分の辛さのあまり、友の苦しさを知らないままでいます。 何があったのか何思っていたのか、本人もいなくなり、ご家族様はあまり人と会えない状態、彼女の周りの関係などはほぼ知らない状態で、正直私は何の情報も持っていません。ただ手元にあるのは友人との楽しかった思い出たちばかり。それがなんだか余計に苦しい。 あの子に何があったのか。知りたい...
- NAYAMINAKUNARE
- ベストアンサー率14% (307/2063)
もしかして恋人だったのでは?男性は5月の週明けか 一番多い。女性は週末です。なるべく、違うことをかんがえて、思い詰めないように。後追いなんて考えてはダメですね。良かった記憶は今は閉じておいて、気丈でいるしかないです。
お礼
回答ありがとうございます。 亡くなったのは恋人ではなく友人ですが本当に親しかった人です。 後追いはあの子が一番悲しむと思うのでしないと決めています。 気丈でいられるよう努めます。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
そちらの地域のグリーフ・ケアの専門家に 会ってみませんか。 [その人との思い出の全てを文章や イラストにしてみることもお勧めしたいです。 その人に捧げるオマージュやレクイエムなども 書いてみませんか]
お礼
回答ありがとうござます。 グリーフケアというのがあるのですね。 近くにないか探してみようと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 身内が数名亡くなった経験はありますが、病死や老衰である程度覚悟心の準備をする期間がありました。 ですが今回に関してはあまりにも突然で頭も心も追いついていない状態です。 今回のことを機に改めて生や死について向き合ってみたいと思います。