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生活習慣の違いは価値観の違いですか?

洗濯の仕方の違いや 掃除や茶碗洗いの仕方の違いも 価値観の違いになってしまうのでしょうか?

みんなの回答

  • okok456
  • ベストアンサー率43% (2746/6352)
回答No.10

習慣、慣習、常識、価値観 大げさに言えば価値観と言っても良いのかもしれませんね。 双方の習慣、慣習、常識、価値観をどこまで認め、妥協できるかですね。 余談 常識、価値観は変化するものですね 「そんな洗い方じゃ・・・こうした方が良い。」と言われ試して納得出来たらそうすれば良いでしょう。 もっと良い方法が有れば試してみれば良いでしょう。 トヨタの常識、価値観 は常に「改善」のようです。 https://www.haramasahiko.com/kaizen/kaizen_thinking ただし、使わない洗剤や道具が増えるのは考え物ですね。 「常識」より「良識」が大事ですね。 アインシュタインの言葉 『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』 が好きです。

回答No.9

【補足】人生観・世界観とは? 人生観:  (一働く庶民として)どのような伴侶との間に何人の子供を授かり、何を第一義にして家庭を築いていくのか? 世界観:  (一働く庶民として)なんの為になぜ仕事をして金を稼ぐのか?その金と自分の時間とを誰のために使うのか?  三角錐も上から見れば円、横から見れば三角。このように、それぞれの立ち位置によって物事も見え方、感じ方は違います。ですから、各自が社会での立ち位置をどこに求めるかで、その人生観と世界観とは大きく変わってきます。また、《社会での立ち位置=生き様》ですから、それは正に、人生のあり方、意義、目的を決定する重要な要素。 >質問者は如何なる人生観と世界観を有していますか?  この問いは、質問者の立ち位置に関するそれと同義です。こういう立ち位置問題こそが価値観の核心であり、こまごました生活の所作は単なる文化の違い。それは、話し合えば解決すること。でも、前者は、そうはいきません。お互いに譲れない一線がありますからね・・・。  ちょい、人生観・世界観について補足しておきます。

回答No.8

Q、生活習慣の違いは価値観の違いですか? A、否。  各自の価値観を構成する二大要素は、各自の人生観と世界観です。洗濯、掃除、茶碗の洗い方は、単なる文化の問題です。それは、時代や経験を反映して変化していきます。でも、人生観と世界観は、各自の《生き様》を通じて更に打ち鍛えられます。 >価値観の違いになってしまうのでしょうか?  このように問う質問者は、いかなる人生観と世界観を有しているのでしょうか?

  • inuusagi_8
  • ベストアンサー率41% (906/2193)
回答No.7

それは単に生活習慣の違いではないでしょうか。 ですが、茶碗や部屋をどこまで綺麗にするか(どんな状態を綺麗と判断するか)は衛生観念の違いなので価値観かと思います。

noname#250375
noname#250375
回答No.6

 男が女を捨てる時には、価値観の違いだと言って、  いろいろな理屈を言います。    洗濯の仕方の違いや    掃除や茶碗洗いの仕方の違いも  元々、価値観とは、多くの人が、「生きて行く上で、これは守っていかないといけない、大事なことだ」と認めていることでしょう。そういう意味では、洗濯の仕方や掃除や茶碗洗いの仕方は、含まれないでしょう。  服装や家の中はいつも清潔にしていること、食事するときの所作(箸の持ち方、食器の扱い、音)などは、価値観にはいるのでしょうね。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.5

少し違うかな。 いいカップも普段使いの食器も一緒くたに洗うっていうのは、価値観の違いかもしれないだろうし。 物を大切にしたいから、良い服はクリーニングに出すとか。それがおしいとか。 生活習慣の違いは価値観の違いは全てのことには当てはまらないとは思う。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.4

生活習慣の違いが、そのまま、個人の生き方の原点である価値観にまで影響を及ぼすとは限らないと思います。 うちのかみさんなどは、生活習慣という意味では、私とは正反対。 例えば、私が掃除洗濯や臭い、整理整頓といったことについて、とても鈍感で無頓着であり、ある程度できていればよしとするタイプであるのに対して、かみさんは、汗だくになっても徹底的にこなさなければ気が済まないタイプ。 それは、綺麗好きとか、きちんとしているとか、行き届いているといった性格の問題ですが、私がだらしないことに対してグチグチ愚痴をこぼして済む程度の話です。 しかし、人間の価値観という内面については、基本的なものの考え方が重要なのであって、こうあるべきだという信念や人に対する思いやりのように、目には見えない人間性の問題です。 生活習慣は、謂わば、かたちの問題、拘りの問題であるのに対して、価値観は揺ぎ無い精神の根幹部分。 比較対象にはならないですね。 大金持ちと赤貧では、生活習慣もさることながら、生活環境が生む金銭感覚の違いや社会的地位の違いによるものの見方の違いがあるのかもしれない。それでも、それぞれの世界を融合させ、歩み寄ることも可能となる。 ただ、生活習慣といっても、それが極端な潔癖症であるとか、病的な神経質ともなると、それ自体が人間としての価値観を凌駕駆逐し、その上に立ってしまう可能性はある。 つまり、「トイレの後に手を洗わないのが許せない」とか「髪の毛一本が床に落ちていたことが我慢できない」などと、生活習慣が人間の価値観を超えてしまうというばかげた事態に陥る可能性が生まれる。 要は、掃除や洗濯の重要性は認めた上で、その事と、人間の持つ信念や情といったものを比較したとき、生活習慣は最重要の問題ではないと思いますよ。 生活習慣は、いくらでも変えられる程度の問題だということです。 ただ、私自身、決してかみさんに、自分のだらしなさについて譲ることはありませんが、そのこと自体、大きな問題ではないということだと思いますよ。 そしてもし、生活習慣と人間の価値観を混同したとき、関係が破綻するのかもしれませんね。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

価値観の違い、でないような気がします。 親子でも兄弟姉妹でも洗濯の仕方は違うし 個性の違い、と思います。

  • ko_wave
  • ベストアンサー率22% (57/254)
回答No.2

価値観というより、これまでの生活の影響ではないでしょうか? それぞれの家庭のやり方が当たり前だと思ってしまうので、他の家庭のやり方が不思議に見えてしまうことがあるものです。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.1

こだわり方の違い、習慣の違い、性格の違い。まとめて価値観でいいのでしょうね。

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