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私は病気でしょうか?
私は病気でしょうか? 人と関わることに疲れ億劫になってしまいました 物事に対してのやる気もなくなり、たまに頭がボーッとして無気力です 説明を受けても頭に入らず何回も聞いてしまうことがよくあります 人と関わると友情や愛情を育むことができ、 関わりを断てば争いや喧嘩やしがらみがなく傷つくこと、気をつかうこともなくなります 必要以上に用もないのに関わるのが苦痛なんです 会社に行けば独り言を言いながら仕事をしている先輩が、 この人そんなに自分をさらけ出して誰も聞いてないのになんで喋ってんの?と見えたり たまに会う人なら話題は絶えませんが毎日会うとなると話すのがしんどいです もともと心を許した話しやすい人でないと友達にはなりませんし、 会う頻度が増えてきたり会う時間が長くて自分が疲れたら平気で家でゴロゴロすると伝え家に帰ります 毎日ラインをする友人は6人います 働き出して最近はうれしい、楽しいという感情がほとんどなくなりました 最近彼女ができたのに、特に素直に喜べてなかったり、 好きなゲームを買っても楽しめずすぐに飽きたり 学生時代は気の合う友人とだけ、家族とだけ関わっていても不自由しなかったけど 社会人になると関わらなければいけない人がグッと増えました たぶん社会人になってから人と関わるのが億劫になったんだと思います 今は働かなければいけない、働くには人と関わらなければいけない 人と関わると心身ともに疲れ休日はほとんど家を出ず寝る 何か自分が病気なのか分かりません みなさんは社会人になったときどうでしたか?
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- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
いまの職場は、不本意な業界・業種で、 不本意入社なのでしょうか。 であるとしたら、お早めに、 本意のステージに移りましょう。 本意の業界・業種で、本意の入社ならば、 Apathy Syndrome(=無気力症状群)という病気があります。 これは、分裂病(=精神分裂病=Schizophrenia=統合失調症)の 陰性症状でもありますので…お早めに、精神科の(有る)病院で 診察を受けることをおススメしたいです。 [アタマが、ボーっとするのは、 別の心因性の病気が隠れている可能性が ありますので、要注意です] お大事に!
ただのわがまま
- sashakiss
- ベストアンサー率48% (665/1362)
病気じゃないって思います。 社会人になって ご自分がされている仕事が、あまり褒められなかったり 認められなかったり、ちょっと揶揄されたり、 会社の人間と話が合わなかったり、 自分が話しかけたとき、相手のリアクションが 自分の想像していたものと違ったり・・などなど・・・ そういう小さな出来事が積み重なっていくと 今のあなたのような状態になってしまいます。 人は、自分がなにかをしたときに 褒められたり、感心されたり、 小さなことでもいいんですけれど、 なにか認められた、というものが全くないと 自分自身の存在意義を感じなくなって 意欲がなくなるものです。 今のあなたは、心の奥に、半分あきらめの気持ちもあって なにをしても楽しいと感じられなくなっているのだと思います。 ご自分の良い面を、思い出してみてください。 ほんとうのご自分はどんなご自分ですか? 誰も褒めてくれたり認めてくれていないなら 自分で自分の良いところを見つけて 今は自分で自分を褒めるしかないです。 私自身、社会人一年目は、地獄でした。 社長からはバカ扱いされ、同僚からもそのように見られ 怒られるから余計に心が萎縮して、 普通ならミスしないであろう簡単なことも ミスしてしまって、完全に自分に自信がなくなりました。 それでも、そんな状態でも 私はなぜかわかりませんが、 いつか会社に、なくてはならない存在になってやるんだ、と ひそかに思っていましたから、完全に潰れなかったんだと思います。 食事も喉を通らなかった1年でしたけれど 仕事が終わってから 経理学校に通い、簿記2級それプラス、秘書検定2級も取得しました。 年が明けてから、社長の態度が変わったとき 「勝った」と思いました。 これはとても快感でした。 認められてからは、仕事は楽しくなり、 ミスもなくなりました。 結局、自分を守るのは自分でしかない、ということを学びました。 働くには人と関わらなければならないですが、 生きていくにも関わらないと、人は生きてはいけません。 関わるのがお辛いなら、 必要最低限だけ、職場では関わっていればいいのではないでしょうか・・ 社交辞令も無理な笑顔も、必要はないと思います。 接客業なら話は別ですけれど・・・ 今のあなたは、本来持っている良さが 全て隠れてしまっている状態なのだと思うんです。 本来のご自分を、なんとかして取り戻してください。 今のあなたは、本当のあなたじゃないはずだから・・・
- givemi
- ベストアンサー率11% (120/1073)
病気じゃなくて性格じゃないんですか? 全文を読んで私はそう感じましたが。
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
えっと 書かせてもらったとおりなのですが、今までの人生では、誰かや社会があなたに目標を持つという人生を与えてきました そのころのあなたはまだ子どもで、それを当たり前にようにこなしてきました これを自己実現欲求を満たす行為・・と呼びます で、自己実現欲求に至るまでの準備が、強制的に人に会う場所(学校や部活)があり、そこには多くの人(友人とか)が必要で、・・・つまり、人よりも優れていなければ、自己実現できない場所に放り込まれていました(受験や資格など) これは当たり前のことで、人は教育(現場)と呼びます しかし、もう大人であるあなたは、誰もその場所を準備してくれません もちろん、自分で会社を決めて今に至っている現状も、目標(自己実現欲求)を経た場所ですが、それは社会では当たり前のことだったのです たとえばですが、あなたの目標に結婚したいとか、良い車に乗りたいとか、なにかの資格をとりたい・・などがあったとしたら、そのためには人と会わなければいけないし、人にあって教えをこう必要があるため、我慢できることだったりします また、承認欲求が強ければ、自分がいまこの目標に向かって頑張っている姿を人に見てもらいたくなるので、人の中で生活したくなります それが子どもの頃は普通に、用意された場所があったわけですが、今はその場所も自分で探したり、出向く必要があります(目標があれば・・です) ので、何かしらの目標があれば、我慢できますし、目標があってそれに頑張っていれば、人は人に話したくなったりします(これが承認欲求) のでので、何かしらの目標も無いのでしたら、人といる意味やゲームをやっている意味や、好きではない人との関わりを我慢する意味もわからないのでは?と分析させていただいた次第です 昔は五月病と言って、新社会人が就職した後、目標を見失い、無気力になったり、昔の自分をうらやましがったりしたものですが・・・
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
簡単に言うと 自己実現したいなどの、あらたな目標がない・・・ということです 子どもの時期から今の自分まで、レールというか・・常に目標が目の前にあったと思います それは、生きていくために人が乗り越えるものですが、今まではその社会の仕組み・・用意された目標が、普通に設定されていたと思います 受験だったり、なにかうまくなりたいだったり、就職だったりと、いつも目の前に生きていくための目標がありましたが、現在はもう、自分で新たな目標を見つける段階なのです もう周りの大人たちは、なかなかその目標を準備してくれませんし、これやってみないか?などの救済のような目標も、人によってはなかなか回ってきません 人は、頑張っているとついでに承認欲求が生まれたり、人と関わることでプラスになると思えるようなことがあれば、今のような状態になっていないと思います ですので、もう大人ですから、あらたな目標を仕事でも趣味でも良いですので見つけることで、自己実現欲求を呼び起こされることをお勧めします
お礼
回答ありがとうございます やりたいこと、目標を見つけるのと関係性があるように思えないんですが何か関係があるのでしょうか? よく分かりません