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昔は海外旅行と言えば成田経由が定説だった?
昔は海外旅行と言えば成田経由が定説だったのでしょうか?
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noneya6さんはお若いのですね。この質問で分りました。 首都圏に関する限り、 海外へのフライトは成田からしか出ていなかったのですよ。(注釈※1、※2、) 成田空港が使用開始になったのが約40年前。羽田が本格的に国際線ターミナルを拡張したのが約7年前。 つまり約7年前までの約33年間は、海外と言えば成田に行くしかなかったんです。私など、羽田から海外へ飛べるようになってから暫くの間は、空港まで家から近すぎて、海外へ行く、という実感が湧いてこなかったものです。海外へは成田まで延々と時間をかけてから飛び立つもの、という不便さに慣らされてしまっていましたから。 注釈※1)成田が出来る前は国際線も全部羽田から出ていました。私が海外へ新婚旅行に行ったのは羽田からでした。帰って来てすぐに成田が開港しましたけどね。 注釈※2)国際線が全部成田からの時代にも、中華航空(チャイナエアライン)だけは例外的に羽田から出ていました。
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- go_hidego
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私は約30年前に伊丹空港からハワイに行きました。ですので成田経由と いう経験はありませんね。一時期は成田経由での飛行機も増えましたが 案外成田は不便ですからね。ですので定説ではなかったですよ
お礼
伊丹から成田やソウル経由も多かったですね。
- tiltilmitil
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かつてのメインだった羽田が手狭になったために開港したのが成田です。当時最新の空港であったために優先して使う航空会社も多かったのです。その後は最新という優位性も薄れ、余裕ができたことで改修された羽田が十分な能力を持ったために都心からのアクセスのいい羽田が多くなりました。
お礼
羽田が増えたんですね。
- cbm51901
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それは成田空港が出来てからの話です。 それ以前(昭和30~40年代)は羽田空港が日本の空の玄関の窓口でした。その頃は、サラリーマンの海外赴任などが決まるとよく、出発時に、見送りに来た同僚や親戚が空港で万歳三唱する姿などがありました。 成田空港が開港したのが昭和53年。この頃から海外旅行の玄関窓口は成田に移ったわけですが、立地は悪いし、警備が厳重過ぎるし、とにかく使い勝手が悪かったのを記憶しています。 近年では、再び羽田を日本(東京)の空の玄関にしようとする動きが加速していますね。
お礼
これからは東京の人も羽田の時代なんですね。成田空港が開港した昭和53年から、関西空港が開港した平成4年ごろまでなんですね。賑わっていたのは14年ほどのことなんですね。
お礼
国内線、国際線とも羽田の時代なんですかね。関西では、国際線、国内線とも関空の時代かもしれません。