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目の不自由な人の視力が回復したとき
こんにちは。 ちょっとナーバスな内容かもしれませんが、ずっと以前から疑問に思っていたことです。以前に眼科のお医者さんにも質問したのですが、よくわかりませんでした。 と言いますのは・・生まれながらにして、もしくは幼少の頃から目の不自由な人がいるとします。その方が成長してから治療を受けて視力が回復したとします。その人の美的な価値観ってどうなるのでしょうか?難しいことを聞くつもりはないのですが、健常者の価値観というのは、おそらく小さな頃に親や周りの人、テレビなどから植え付けられたものだと思うのです。例えば、この花はきれいだねとか、あの人は美人だねとか言われてその価値観がそのまま私たちの価値観になってしまったような。でも、目が不自由でその後に視力を回復した人は視覚的な価値観というものを当然持っていなかったわけですから、初めて世の中を目で見た時に、私たちとはまったく違った物の見方をするかもしれません。人間の姿ってなんておかしな形をしてるんだろうとか、バラの花ってなんて醜いのだろうとか・・そこまで極端ではないかもしれませんが。 どなたかそのような実例(?)をご存じの方いらっしゃいませんでしょうか?ご存じでなくても、感想でも結構です。よろしくお願いします。
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中途失明ではなく、先天的に視力がなかった人の場合、 開眼手術等によって視力が回復しても、 モノを「認識する」能力はあまり回復しません。 「見えているけど見えていない」状態とでも言いましょうか。 たとえば目の前に絵を置いて、それを書き写させると、書き写せたりします。 しかし、それが何の絵なのかわからなかったりします。 それが明確な形を持った絵であっても。 そして、触ったり指でたどったりすると、 初めてその絵が何の絵か、わかったりします。 つまり、視覚によって認識することが出来ず、 触覚によって認識しているのです。 つまり、人間にとって、 「見る」という機能と、 「それが何かを認識する」という機能は、 脳の中では別の機能なのです。 それを人間は発達の過程で経験的に統合し、 「見る」ことで「認識する」ことができるようになるのです。 先天的に視力を持たなかった人の場合、 「見る」という経験をしないままに発達してしまうため、 「認識する」事との統合が出来ません。 その代わり、 「触る」事によって「認識する」ことが出来るようになるのです。 話が回りくどくなりましたが、 開眼手術等で視力を得た人にとっての「見る」という行為は、 視力をもともと持っている人々にとっての「触る」という行為と、 同じようなものなのではないでしょうか。 つまり、我々は触っただけではそれがなんだか特定できず、 みて初めて「これは・・・だ」とわかりますよね。 よく芸能人がやっている、 箱の中に手を突っ込んで、それが何かを当てるゲーム。 これと同じではないかと思うのですよ。 これを価値感の話に置き換えると、 我々は例えばバラの花を触っても、 とげがチクチクして痛いだけで、 それを触ることに価値感は見出せません。 ですが、見れば美しいと思います。 そして、我々は触覚よりも視覚を優先しますので、 たとえ触ると痛いとしても、 バラは価値のあるものだと考えます。 これに対し、中途開眼の人にとっては、 確かに「見る」事ができるようになりましたが、 依然、「触る」ことに価値が置かれていることに変わりない。 つまり、視覚よりも触覚を優先すると思われるので、 バラが良い物とは思えないかもしれません。 その代わり、対象が「人間」の場合、 これは見ても触っても心地よいものです。 それが自分にとって大切な人ならばなおさら。 ですので、 我々はそれを見て喜びを感じ、 触っても喜びを感じます。 また、中途開眼の人にとっても、 それまでの経験から大切な人を知っていますので、 その人を見てもよくわからないかもしれませんが、 触れば心地よさを覚えるでしょう。 そして、「見る」「触る」「心地よい」 という経験を繰り返すうちに、 「見る」だけでも「心地よい」と 感じられるようになるかもしれません。 長くなってしまいましたが、 こんな感じではないでしょうか。 視覚と認識に関する話は本当ですが、 価値感との関連については私の想像です。 ご了承ください。 実際にこういったことを経験した方、 もしくは身近にそういう方がいた方から、 投稿があると良いですね!
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- jupiter5
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再投稿になりますが、ちょっと気になることがあったので、フォローします。 #6でdiseaseさんがお話くださったアメリカの話題ですが、それはおそらく、先天盲ではなく、中途失明の方ではないでしょうか? #3のDiogenesisさんがお話くださったように、20世紀に入り、先天盲の方々の開眼手術が可能となったため、開眼直後の混乱について、数多くの知見が得られています。心理学を中心とする多くの研究からわかっていることは、4歳以前に視力を失った人の場合、「モノを見る」事を通じて「外界を認識する」ということを適切に学習できていないため、開眼しても直後には「何が見えているのかわからない」状態になるということです。かつ、リハビリには相当の時間がかかり、それでも晴眼者と同じような視覚機能を獲得するには至らない人が多いので、「自分の結婚相手が美しいか否か」を判断できるようになるのは、並大抵の事ではないのです。 ですが、言い換えると、中途失明の方の場合、例えば青年期に事故で視力を失った方などが、その後の手術によって開眼した場合、「モノを見て認識する」ということを理解できているため、比較的回復は早いのです。 とすると、例えば20歳で視力を失い、その後知り合った人と結婚したが、35歳で開眼手術を受け、視力が回復し・・・、となった場合、すでに20歳までの期間にモノを見ることの意味も獲得しており、さらに言えば「美しい女性」の基準も出来てしまっていたはず。そして運命の開眼手術。初めて見る自分の結婚相手の顔。 ・・・!!これが自分の結婚相手!? ということがあったのかも知れません。
- POKIE
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医学的に正確かわかりませんが、あなたが見えなくても、という映画ご覧になりました? 幼少時に視力を失った主人公が(視覚の記憶がない)視力を一時的に回復する話(視覚回復の混乱の中でのラブストーリー)です。皆さんの言われている事が映像的に体験できます。 映画の中で、主人公は”美しいというのはこういう風に見えるものなんだね”なんていってました。 あっ、今調べたら劇場未公開(私は外国で見た)ビデオはあるようです。良い映画です。 http://www.ywad.com/movies/162.html http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=159614 またこんなの発見 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/7848/nottosee.html
- disease
- ベストアンサー率18% (1239/6707)
途中から目が見えるようになった人も、普通の人と同じ美的感覚を持ちます。 以前、ニュースで報じられましたがアメリカで目の手術をして目が見えるようになった人が、それまで面倒をみてくれていた奥さんがあまりにブサイクだったので、即離婚したということがありました。 つまり子供の頃から経験を重ねて得るものではないということです。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
#4です。 モリヌークス問題と これに対するロック,ライプニッツ,バークリーの3者の回答を 簡潔にまとめたページがありましたのでURLを紹介しておきます。 モリヌークスはロックの友人というより ロック・ファン!というべき存在だったようですね。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
美的な価値観以前に そもそも先天的盲人が成人後に開眼した場合, 目で対象を認識できるのかという疑問は古くからあり, 哲学および心理学の歴史上「モリヌークス問題」という名で知られています。 ジョン・ロックの友人モリヌークスが ロックに宛てた書簡の中で問うたことからこう呼ばれるようになったということで, 経験論者であるロックの答えは否定的なものであったはずです。 ロックの時代にはこの問題を思考実験のような形でしか論じることができませんでしたが, 角膜移植等の開眼手術が現実のものとなるとともに 先天盲の開眼手術後の視覚について実証的研究がなされるようになりました。 日本では心理学者鳥居修晃氏による研究が有名です。 (下のURLを参照してください) ひとくちに先天盲といっても 失明時期や残存視力の程度による違いがあるのですが, 基本的に開眼手術を受けただけでは目あきと同じように目で対象を認識することはできません。 目で対象をなぞるような形で視覚を使うことから始めて 適切な訓練を受けることで色や2次元図形についてはある程度まで見分けられるようになりますが, 3次元の認識は時間をかけても困難であると言われています。 立体図形はちょっとした視点の移動によって全く異なる網膜像を与えますし, 陰影と表面の柄の交錯も事態を難しくしているようです。 また人影を見分けることができるようになっても 接近離脱に伴って人が伸び縮みするように感じられて気持ちが悪くなることがあるそうですし, 階段の昇り降りの際には目をつぶったほうが安全という話も聞きます。 このような状態ですので 開眼者の美的価値観についてはまだ詳しいことはわかっていません。 しかしながら盲人には盲人なりの美的価値観があるはずで, それは触覚に依存する部分が大きいと思われます。 また盲人が触覚で対象を認識するとき視覚中枢が活動しているという報告もあり, 視覚と触覚は不可分の関係にあることが推察されます。 このようなことを考え合わせると 開眼者においては触覚をなぞるような形で視覚的な美意識が形成される可能性があります。 もっとも開眼者の視覚弁別力は訓練を経ても触覚のそれに遠く及ばないので 触覚が使える場合はそちらからの情報が優先されることになるのではないでしょうか。
下記URLは参考になりますでしょうか。 全盲の方が書きこみされています。
最初から何も見たことがない人は視覚のイメージが 全くないわけですから すべて聴覚や臭覚、触覚のイメージだけだと 思います。 この音は危険とかこの臭いは母親の臭いとか そういう風にものを感じているんだと思います。 だから目が見えるようになって初めて物を見たら 全く別の世界に来たように思えると思います。 でも物がきれいとか人の容姿とかのよしあしは 社会的な先入観だけではないと聞きました。 左右対称でなかったりバランスが悪いものには 人間は本能的に不快感を覚えることがあるそうです。