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【なぜ暴力団は「天照大神」を崇拝しているんですか?
【なぜ暴力団は「天照大神」を崇拝しているんですか?】 暴力団と天照大御神とはどういう関係があるんですか?
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どうも最近は暴力団と地回りとやくざと任侠がごっちゃになってしまっている人が多すぎて困ったもんですね。確かに重なる部分もあるので、そこを辿れば今の暴力団に行きつくかもしれませんがね。 最近の暴力団では神棚を祀っているところも少なくなってきたみたいです。と関係者の知人が言っていました。昔ながらの手締めや何かをすると思っているともう映画の水井でしかないかもしれません。 地回りは地域を守り、その代わりにミカジメ料などを得てトラブルを解決していた連中です。やくざは賭場を開いて稼いでいた連中、元々は鳶や人足などがほとんど。そのうちに副業として一方ではお上の御用を受け賜る連中がおり、一方では賭場を開く連中が生まれました。前者がやがて手先となって警察の下につくようになり、後者は暴力団に近づいていきます。後者でも最初は地域の祭礼などでは人員を出して管理したり取り締まりもしましたがやがて反社会勢力になるものの多かったのです。 地域の祭礼にも協力している以上、信仰も深かったでしょう。やがて様々な節目には神棚を据え、神前に大切なことを誓うようになりました。 時代劇、特に忠臣蔵では熊野の誓紙を持って誓いを立てる場面がありますけど、そのほかにも武家や道場などでも神棚を立てて相続や仲間になるための儀式をしていたのです。 そんなところからの習慣で昔の地回りややくざでも神棚を常設したり、何かしらの儀式を行うときに神棚を設けることがありました。 しかし明治になり、朝鮮の統治や満州などとの関係が深くなると、大陸での喰いっパグレや日本に来てもうだつの上がらない人々が、やがてこういった組織に入り込むようになりました。さらに第二次大戦後には大陸との裏社会のつながりも増え、次第に組織の幹部にまでなるようになりました。そしてとうとう巨大組織の長に大陸系の人間がなる時代へとなりました。 それでも一応はまら下部組織では古来の日本人が仕切っている組が多かったことから風習から節目には神棚を設けたり、事務所に神棚を常設する組が多かったのですが、次第に日本全体の信仰心が減衰し、大きな組織では大陸系の人が仕切るようになってきたので、神棚を用いることもなくなってきたわけです。 彼らに限らず世界では今でも自分たちの上に存在する者を信じ、それに対して誓う事で信頼というものを得てきました。いまでも米国大統領も就任に際しては聖書に誓いますね。 今は違うと言っている人も居ますけど、基本的には自分の信じる信仰の聖典を用い、無い場合は憲法書などで代用するだけです。基本は聖書なんですよ。 それと同じように、暴力団組織でも自分たちの上にある「神」に誓うことで互いの信頼を保っていたのです。 それが例えば武術なら香取大明神と鹿島大明神であり、暴力団では天照大神であったという事なんです。 ちなみに清水の次郎長では米穀取引や運輸業を生業にしていたことから四国の金毘羅さんを信仰しており、そこから森の石松の金毘羅代参の物語が有名です。 ちなみに任侠は昔はこういう連中が仁義などに厚かったために、弱いものの味方をして施政者にも逆らったことを言います。国定忠治などはその典型でしょう。
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- catpow
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天照大神は、日本の主催神であり、神社のトップに位置する神です。 そして、天皇家は、その天照大神の肉体子孫とされています。 戦前であれば、どこの家庭でも、神棚があって、天照大神を拝んでいたものです。 ですから、現代であっても、日本人であれば、だれもが天照大神を敬っていてもおかしくはありません。 暴力団は、昔気質なところがあるともいえるので、戦前のそういった伝統を守っているだけだともいえるでしょうね。 それから、暴力団員は、刃物や拳銃などにお世話になる業界であり、命をかけるお勤めも多いはずです。 となれば、「神頼み」する機会も多いでしょうから、神の助けを借りたいと思う気持ちも、一般の人より強いのだと思います。
- citytombi
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こちらに、ヤー公と祭壇の関係が載っています。 http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini07.htm
お礼
みなさん回答ありがとうございます