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浅間さんを祀る「祠」の向きについて!

その昔、富士山信仰が盛んだった田舎の漁港町です。 昔の「祠」が道路拡張で移設され、祠が無くなり 「石塔」(石碑)が建ってます。 石碑の向きが(表側)が東の方向(富士山向き)に 向いて立てられています。 祠のない台座が碑の後ろにあります。 お参りする人のお尻が富士山向きはおかしいと 言う人がいます。 碑の正面の向き、祠があれば向きはどちらむきでしょうか? 正しい向を教えてください。

みんなの回答

回答No.1

(1)別に参拝の対象ではなくただの石碑でしょ。だから特に方角は見ていないと思いますよ。見やすいようにじゃないですか?碑は碑であって神社じゃないですから。 祠の址の説明の碑だから台座の前に立っていて、それがたまたま東を向いているだけのことです。 (2)漁村の神社は船が出ていく方向を向いていることが多いです。これは船の安全を見守ってもらうためと、帰ってきた船に神社の明かりで場所を示すためです。そこが富士講の遥拝所なら富士山を背にして当然ですが、住んでいる人中心に建てられたなら浅間神社と言えど必ずしも富士を背にしているとは限りません。 上のいずれかの理由でそのようになっているんだと考えます。

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質問者

お礼

ありがとうございました。

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質問者

補足

1700年代、紀伊半島太平洋側地方の田舎では”富士山信仰”が盛んであった。 「浅間=富士山」であり、富士山を祀る”祠”が沢山建てられた。 富士山が望める(望めないところでも)東向きまたは東南向きに 富士山の方向向きである。 海の近くの地では、石碑(石塔)・浅間神社と刻み海岸傍に 富士山に向けて建てたのである。 神社のお参りには「禊」をするが、ここでは「海」に入って身を清める 場所でもあった。 この碑は富士を敬う「祭祀」の場所である。 又、浅間さんを祀る祠には”大日如来”の像が鎮座しており 祠の向きは当然富士山の方向を向いているのである。 江戸時代に特に(江戸)で盛んに流行った「お伊勢参りの伊勢講」と 同じ「富士講」が明治に入って組織された。 注:伊勢志摩國浅間信仰(参考)