AI=人工知能は、謂わば、学習する計算機。
囲碁の差し手による変化は天文学的な数値に上るという。
私も少し囲碁をかじった経験はあるものの、先読みについては、精々一つの差し手で30手先が限界。
AIがプロ棋士に勝つのは、当たり前のことでしかないですね。
ただ、人間が長い歴史の中で築き上げた社会や文化などのあらゆる方面にAIが進出して人間社会を脅かし始めている。
いづれ近い将来には、人間の職業のあらゆる部門において、AIがこれにとって代わるという。
しかめっ面をしながら頭を扇子で叩きながら行われる人間同士の試合だからこそ面白味がある囲碁や将棋の世界に、果たして、AIが参入する理由は何処にあるのでしょうかね?
AIがプロ棋士に勝つまでの歴史には、それなりの面白味があるのかもしれませんが、よく考えてみれば、勝って当たり前の時代ならば、面白くも何ともない。
つい最近、ネット棋士が天元(碁盤の中央)に第一手を置き、AIに勝ったらしいですが、これ迄の囲碁の歴史には存在しなかった突拍子もない手筋(データに無い)ならば、或いは、人間が勝てるのかもしれませんが、そうまでして人間がAIと戦わなければならない理由はないと思いますね。
そうした現状に翻弄される囲碁将棋界の姿勢が、何かやるせないですね。
多少なりとも囲碁を嗜む者からすると、何とも詰まらない時代になったものと感じますね。
AIの研究は研究として、囲碁や将棋は、やはり、人間の世界であって欲しいですね。
お礼
もう終わりというご見解を伺い考えてみたことがあります。それはパラリンピックのことです。バネ付きの義足を装着している選手がオリンピックの選手より速く走れたら、どうなのだろうということです。脚力を鍛えるよりバネの使い方の競争になるかもと思います。100メートルの選手が自動車と競争しても意味がないのですが、後も同じなのかどこか違うのかに興味があります。プロの棋士が強いソフトの出現後、勉強する意欲が低下しているかどうかが気になります。勉強するよりソフトを調べるほうが強くなれるかどうか、については答えが出ているようですが、勉強の仕方が変わってきていることはみなさんおっしゃっているようですね。