男性に愛されるような女性でありたいのに
お立ち寄り下さりありがとうございます。
街ゆく人々、親族、同僚…人との関わりのなかで、ふとタイトルのように感じてしまい、時々辛くなることがあります。
先日、何気なくつけたテレビ番組で、お見合いパーティーのようなものが開催されていました。
対照的な二人の女性A子とB子は同じ男性をそれぞれ好きになりました。
A子は明るく社交的でコミュニケーション能力も高く容姿端麗。男性のご両親からの受けもよく、笑顔の素敵な女性です。
B子は物静かで上がり症。容姿ではAに劣りますが、可憐な印象。男性と積極的に話すわけでもなく、表情は固く緊張気味。
A子に告白するだろうと思われていた男性が最後に選んだのはB子でした。
男性は選んだ理由を「僕と話してて、彼女が少しずつ笑ってくれるようになったから」と話します。泣いて喜ぶB子。
頑張っていたのは誰の目にもA子でした。しかし、嫌な言葉になりますが、A子の陰に隠れ、積極性に乏しいように見えた大人しいB子が実は全てを持っていて、男性の心をも掴んでいったことに私は少なからぬショックを受け、ハッとしました。男性に愛される女性像とは程遠い自分の女としての姿を突きつけられた思いがしたからです。
私は「もっと頼って欲しかった」と言われて別れを告げられます。何も私が有能な女性であるわけではありません。
「君は一人でも平気でも、あの子には俺が必要なんだ。」「何故俺を頼らなかったんだ」これに類する言葉を何度聞いてきたことでしょう。
私はそう言われれば心の中で「何をそんなに頼ればよかったの」「頼って欲しいという前に、貴方は私に一体何をしてあげたいと思っていたというの?私は貴方から労いの言葉ひとつかけてもらった記憶もない」と思ってしまいます。頼って欲しかったという言い分がひどく狡猾なものに思えてならないのです。
男性の「もっと相談してほしい」「もっと君の力になりたい」「何でも言ってくれ」という庇護欲求?というのでしょうかを満たすことが私はとても苦手なことのようで、それが一体何故なのか自分でもわからないのです。
男性の話を笑って聞いているだけで愛されている女性を見ると、私は羨望と自分の可愛げのなさを思い知らされます。
僻みでしょうか。
しかし、笑っているだけで男性に好かれても私は嬉しくはなかったし、男性に女性として見られることにプレッシャーを感じてしまうのです。
可愛い・綺麗と言って頂いたことも有難いことにあります。そう言っていただいた時のあの居心地の悪さは一体何なのでしょうか。彼氏にさえ、そう言われても嬉しくないのです。体を触られると、結局女なら誰でもいいでしょうに…としっかり思ってしまう。
男性の前で素直に甘えてみせたこともあります。声色をいつもと変えてみたり、褒めて立てて媚びて…。
それを何の苦もなく、さりげなく出来、周囲に愛嬌をふりまき、自分の愛する男性に愛されて、自信に満ちたとても自然な笑顔の女性が男性に寄り添う姿を見るにつけ、心から憧れ、羨ましく思いながらも、自分との乖離を感じて苦しくなります。
男性の征服欲を満たすことが私はとても苦手で、それが一体何故なのか自分でもよくわかりません。でも何かが圧倒的に欠落していることだけはわかります。
男性に愛されたいのなら男性の持つ征服欲や、有用感を満たさなくてはならない。
自分を可愛く頼ってくれる、甘えてくれる、優しく頷きながら話をきいてくれる。褒めてくれる。いつでも味方でいてくれる。セックスもさせてくれるし、それに悦んでもくれる。
俺に色々相談してくれる。アドバイスすれば泣いて喜んでくれる。俺の言葉で彼女が成長している。愛の言葉にも応えてくれる。いつも俺の話を笑って聞いてくれる。俺は彼女の役に立っている。彼女のためなら何でもしてあげたいーー。
そんな「俺なしではいられない女」を愛する男性に、私が素直に愛されたいと思い、嬉しいと感じるにはまず何をどうすればいいのでしょうか。私自身のコンプレックスを解消することでしょうか。
本能の部分で私は男性を求めていないのではと思うこともありますが、まだ街行く恋人たちを眺めれば羨ましいと感じるだけの感性は残されているようなので厄介です。
くどくどしくて大変申し訳ありません。
未熟な私にどんなお言葉でもご回答いただけましたなら嬉しく思います。よろしくお願い申し上げます。