戦国時代の歌の節について
NHK大河の「真田丸」を見ていて思ったのですが、豊臣秀吉と真田昌幸が瓜売りの口上に節を付けて競い合う場面がありました。ところが当然当時は現在のような5線符があるわけではないので、あの節というかメロディーはどうやって分かったのかが不思議です。単なる製作者側の想像なのか、何か根拠があるのか知りたいです。
歌舞伎や狂言などの伝統文化は時代とともに伝承されてきたので、昔と大して変わらないと思いますが、江戸時代末期の「ええじゃないか」踊りの節にしても、どこに根拠があるのか不思議です。
戦国時代に限らず、昔の音楽というか音階はどうして分かるのか教えていただきたいです。
時代考証の分野かもしれませんが、詳しい方よろしくお願いします。
お礼
ありがとうごさいました。 ひょっとしたらオールCGかなとは考えたのですが、 坂道ぐらいは、どこかに本物があると思い 質問させていただきました。 お手数掛けました。