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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:カニバリズム(人肉食)について)

カニバリズムについて

このQ&Aのポイント
  • カニバリズム(人肉食)に関する倫理的な問題を考えます。飛行機事故や戦争で生き残った人々が食料尽きた場合、人の肉を食べることは許されるべきか検討します。
  • カニバリズムの倫理的な問題について、仲間であるかどうかや近しい関係にあるかどうかに関係なく、他の人の肉を食べることで生き延びることは許されるべきか考えます。
  • カニバリズムの抵抗感や嫌悪感について考えます。豚や牛の肉を食べることは普通だが、人の肉を食べることは異常とされるのはなぜか疑問を投げかけます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.14

#6です。 「佐川君からの手紙」ではなくて、通称「ひかりごけ事件」です。 戦時中北海道知床羅臼にて実際にあった遭難時の食人事件で、生き延びた船長が餓死した船員(19歳)の遺体を解体して食べました。 遺族からは「息子の肉を食って生き延びるくらいなら死んだ方が良かった」と言ったかどうかは分かりませんが、それに近い感情で船長とは死ぬまで絶対許すことなく対面もしなかったそうです。 また社会も羅臼食人事件の正確な情報が伝わらないまま「人肉食べて生き延びるくらいなら船長は死ぬべきだった」と考える人が多かったそうです。 ・・・戦時中から戦後の混乱期でしたから。 船長自身も後悔の念から死刑などの重刑を望むも懲役1年。網走刑務所に収監され自殺の恐れがあるため監視付きだったそうです。 出所後自殺未遂未遂もしましたが、一命をとりとめ生き延びてしまった自分を恨んだそうです。 また社会の目よりも自責の念が強く、食べた船員が殺しに来る夢や閻魔に裁かれ地獄に落ちるなどの悪夢をよく見たそうです。 結局船長は平成元年76歳で死去されました。 船長は食人した事は覚えているが、何故食べようかと思ったかは自分でも理解できなかったそうです。 佐川の事例とは全く違うもので、船長は通常は人肉食に全く興味は無く、むしろ嫌悪感があった。 食人してしまったのも極限な飢餓状態が続いての心神耗弱であったのでしょう。 #6で答えた通りそういった極限状態での人肉食は仕方が無いですが、自分はしたくないですね。 やはり他人の目より自責の念です。 食べて助かった後で絶対自殺すると思います。 自分の死後食べられることになっても食べた人物は元からのサイコパスでは無い限り他人の目はもちろん自身の倫理観に耐えることはできるのか?が心配です。 ドイツのある村では人肉が食肉店にて売られ、知らずに村人が食べてしまう事件があり、その後その村の住民はほとんどベジタリアンになってしまった事例があるそうです。 ほぼフィクションだと思いますが、古代中国で王に息子を殺されその肉を食べるよう強要され、その後自責の念から拒食症になってしまい・・・というようなことが史記などに書かれています。 ・・・でも古代中国などでは宗教的な倫理観では人肉食べる(親が子の肉を食べる)事なんて当たり前なことですが・・・ 王朝側の民族と食人を強要され次の王朝となった民族とは倫理観が異なっていたのかも知れませんけど。 ですが、現代日本では食人に対して嫌悪感をおぼえ許さない倫理観が主流だと思います。 食人を許容する倫理観でしたら食人事件はもっとあるでしょうし、報道も大げさにはしないでしょうし、小説化や映画化など喜んでやらないでしょう。 私自身正直いうと食べることはもちろん食べられるのも気持ち悪いです。 昔は死後の臓器提供と同じように考えていましたが、臓器提供と同種食はやはり違うかと・・・ 現代社会で生きていて現代社会の倫理観に染まったのかもしれません。

noname#226970
質問者

お礼

わたしはこの「ひかりごけ事件」というものを知りませんでした。 とても興味深いお話ですね。 >昔は死後の臓器提供と同じように考えていましたが、臓器提供と同種食はやはり違うかと・・・ わたしもやはり「献体」とどこが違うのだろうと思ってしまいます。 この質問は基本的にわたし自身が、死んだあと、焼かれて灰になるくらいなら、一休や親鸞の言葉のように、他の生き物の餌になる方がいいと考えているので、「極限の飢餓状態なら人の屍の肉を食って生きるべき」とも言いませんし。「喰わないのは偽善だ」とも思いません。「喰いたくないから餓死する方を選ぶ」それも一つの選択肢でしょう。 ただ、それが「邪悪なこと」であり「裁かれるべき」なのか?というと、やはり大きな疑問が残ります。 再度のご感想をありがとうございました。 「ひかりごけ事件」のこと、とても参考になりました。

noname#226970
質問者

補足

みなさん、いろいろなご意見を聞かせていただきありがとうございました。 ベストアンサーは、エロエロさん、「ミラーニューロン」に関してのお話しなど迷いましたが、 ご自分の心情を交えつつ、興味深いお話をしてくれたmiku-chiさんに。 皆さんのご意見、ひとつひとつ参考になりました。 改めて、どうもありがとうございました。

その他の回答 (13)

回答No.3

仏教の教えでは人は死ねば生ごみになりますが、一方で人間には他の動物にはないミラーニューロンによる感情があります。 ミラーニューロンは霊長類でしか確認されていませんが、他の個体の行動を見るだけで観察している個体の脳内で同様の興奮状態を示す神経細胞です。他人が痛がっているのを見ると自分も痛みを感じたような気分になる作用です。 これは死体であってもまだ死んで間もないとか、原型をとどめている場合には顕著に起こるのではないかと思います。(ハンバーグは平気で食べるが牛の屠殺は気分が悪くなるのと同様) ですので、飢餓状態で狂っているとか、論理的な説明で自分を納得させるとか、仏教のような何らかの思想観念によってこの興奮を抑えないと、平気で食べることはできないと思われます。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >ミラーニューロンは霊長類でしか確認されていませんが、他の個体の行動を見るだけで観察している個体の脳内で同様の興奮状態を示す神経細胞です。他人が痛がっているのを見ると自分も痛みを感じたような気分になる作用です。 ミラーニューロンという言葉は初めて知りました、いわば共感共苦の感情ですね。だとすれば、たとえば話は飛びますが、「いじめ」などはどのように説明されるでしょうか? (反論ではなく疑問です) >ですので、飢餓状態で狂っているとか、論理的な説明で自分を納得させるとか、仏教のような何らかの思想観念によってこの興奮を抑えないと、平気で食べることはできないと思われます。 とても興味深いご意見です。一票入れました。 どうもありがとうございました。

noname#255857
noname#255857
回答No.2

私も概ね同意ですが、 人の肉を食べて生き残った人は、周りから敬遠されるのもまた、仕方ないと思う。 人間は感情の生き物であり、理屈じゃない部分が多いですからね。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >人の肉を食べて生き残った人は、周りから敬遠されるのもまた、仕方ないと思う。 人間は感情の生き物であり、理屈じゃない部分が多いですからね。 では、そのような「忌避」の感覚は、どこから(どのような倫理観から)生じているとお考えですか? ご意見をありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

『わたしは自分の屍が食われることに抵抗は感じません。』 私もそう思っても、私の屍を食べてくれる人がいないのです。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >私もそう思っても、私の屍を食べてくれる人がいないのです。 極限状態に置かれれば、伝染性の病がない限り「こいつは食べない」という判断はなされないように思いますが。 ご意見をありがとうございました。

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