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矢倉4六銀・3七桂戦法はなぜ大流行したのですか?

大流行したのには何か理由があるはずです。 森下システム、加藤流、脇システムにないものがあったに違いありません。 定跡の歴史に詳しい方、是非ご教授下さいませ。m(_ _)m

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回答No.1

矢倉の場合、その戦法が「大流行」するには、先手・後手双方の「合意」が必要となります。 「矢倉4六銀・3七桂戦法」の場合は、まず先手側が「4六銀」と銀を繰り出した瞬間に後手が「4五歩」と突きだされても不利にならないと思われてきました(20年前の森内-佐藤戦がそのまま定跡となりました)。そのため後手が別の手を指した後に「3七桂」と「4五歩」を防ぐことができ、その後は先手が主導権を握って攻めることが多くなりました。 また、後手側から見ても、攻められはするものの、持ち駒を使っての反撃手段があるので、それほど避けることはありませんでした。そのため、プロ棋戦では1990年代から2010年代まで「矢倉4六銀・3七桂戦法」が数多く指されるようになったのです。森内、佐藤(康光)の両名はそれぞれビッグネームにもなりましたし(二人とも名人経験者)。 ただ、現在は塚田泰明九段の新手により、「4六銀」と銀を繰り出した瞬間に後手が「4五歩」と突きだす手が見直され、あまり指されなくなってしまいましたが。

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