考えたことはありませんが、私の会社でワークエクスペリエンスとして高校生を1週間研修させる制度がありました。
会社もその学生を扱う社員もボランティアです。自分の仕事は減りません。他の社員に世話された学生は簡単な仕事をもらうか難しすぎるタスクでヘタレこんでたり寝てたりする姿を見ました。
私が学生をあてがわれると一週間の計画を一緒に立て、その子のしたい仕事内容を踏まえてしかしできるのかもチェックしながら文化祭のように楽しめる建設的プランを企画させてました。一週間が遊園地に行くように楽しくなるように自分の表現力を最大に出せて、かつ学校にこれだけやりましたという結果を持ち帰らせるよう形にしました。
その後、各学校からしばしばお礼の電話をいただき、賞状までもらいました。その中の1人は学校では鼻つまみ者の不良学生でおちゃらけていて勉強にも興味がなかったのですが、研修をした後見違えるように自信が湧いて進む方針ができ真面目になったそうです。
学校はつまらない、会社もつまらない、大人になりたくない、そういう子どもに自分のしたいこと、進みたい道を見せてあげられた一週間だったようです。この子の人生が変わったと言われて、名前を覚えてもらえなくともこの子の人生には一石投じたという記憶は残りました。
お礼
子どもって、そういう、愛と情熱と思いやりのある大人に助けられるんですネ。 間違いなく、その子たちと親さんたちの心と記憶に深く残ってると思います。 人の記憶に残る場合、二通りあるのかなと思いました。 当人の、愛と善の行為で残るか我欲を主とする害行為で残るか。 ほかに、微妙な行為だと、誤解で残る場合もあると思いますが、その場合は、善悪どちらにしても、当人は諦めるしかないのかなと思います。