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母との関係
ご覧いただき、ありがとうございます。初投稿で不慣れですが、よろしくお願いします。 私は次年度から社会人として働き始めます。 家が母子家庭で、両親は私が3歳になる前くらいに離婚しています。一人っ子です。 幼い頃は母のことが大好きでした。 母は18のときに私を産んでおり、端から見れば、友だち感覚、姉妹感覚のようだと言われていました。 ただ、ときどき母のことが嫌いになることがありました。 私は、なにか叱られて「どうしてそんなことしたの?」と聞かれたときや、お互いを理解するための話し合いの場で「なにか思っていることはある?」と聞かれたとき、黙ってしまいます。 答えがないから黙っているわけではありません。 私なりに考えがありますが、母に話しても、論破されたり、否定されたり、論点をすり替えて話されたりするのが嫌で、言葉が出なくなります。 私自身、自分のコミュニケーション能力が欠けているとは思えません。学校では活発にしていて、先生方にも褒めていただけたので、自信があるくらいです。 でも、こと母に対しては、口が重いです。 何か言われても否定されるから、話したくない。その思いが邪魔をしているのもありますが、そういう場面では不思議と言葉が出てきません。 こういう雰囲気以外のときは、仲良くやってきました。 また、母には恋人がいて、とても優しく知的な方で、保育園のときから一緒にいる記憶があります。この方を、仮に、Kさんと記します。 Kさんは私にとって父親代わりのようでした。 休日に出掛けたり、夜 外食に連れて行ってもらったり、おもちゃを買ってもらったり、Kさんと過ごす時間は大好きでした。 でも、母が私を産んだ年まで(18歳)成長したいま、母を尊敬できる人だと思えません。 ヒステリックで、感情的で、100%自分が正しいと思っています。 私が機嫌の悪いときや、落ち込んでうじうじしているとき、決まって「なんで?」と聞いてきます。 態度が悪いと、かなり怒ります。 「もうちょっとマシにならないの?」 「私まで気分が不愉快になる」など、理不尽に思えることを言ってきます。 中学生の頃から、感情の尊重をしてくれないと思うようになりました。 いまでもずっと変わりません。 最近、あるアニメを見ました。 それに登場する教師に強く惹かれました。 生徒に対して慈しみが深く、愛情を持って接するような先生です。 こんなお母さんだったらなあ、と思うようになりました。 そこから、架空の人物がお母さんだったら、と妄想するようになりました。 虚構だとわかっているのに、頭の中で、理想の母親像をつくり、架空の人物に当てはめてしまいます。 また、優しくしてくれた人に執着してしまいます。 行動の伴う執着ではなく、精神的な拠り所にしてしまうというか、言葉にはできません。 ネット用語では「ばぶる」と言うんでしょうか。 実の母親よりも、ずっと肯定してくれる、と思うようになりました。 家族への憧れは強くなる一方です。 私は、母と一緒に、祖母の家に暮らしていました。 小学生の頃に一度、母が「自立したい」ということで市外に引っ越したことがあります。 そのとき反抗期を迎え、夏休みは私だけで実家に泊まるなど、母と距離を置いていました。 学校に馴染めなくて、カッターで軽く手首に傷をつけて、リストカットの真似事をしたり、 死にたくなって、マンションのベランダから外を眺めて死ぬ想像をしたり、遺書も書いたりした記憶があります。 そのとき母に、「こんな高さから落ちても死ねないよ」ときつく言われました。 もう限界でした。 親子でカウンセリングを受けた記憶もあります。 実家で祖母と暮らすことで、幾分か反抗期が落ち着き、また実家に戻って母と暮らすようになりました。 Kさんも協力してくれました。 中学生になり、Kさんが実家に泊まるようになりました。 その頃には結婚の意思があると、祖母に話していたので、祖母もそのことを許し、家族としてKさんを迎え入れました。 Kさんと、母と、私は、実家のある市内で、別の場所に引っ越しました。 3人暮らしが始まりました。 Kさんと母は仲が良く、私の前でもいちゃいちゃすることがよくありました。 私はそれが嫌でした。 母の女としての顔を見ることが、不快で堪りませんでした。 やめて、と言っても控えることはありませんでした。 いつか、Kさんに対して「お母さんを取らないで」という気持ちになったこともあります。 その気持ちは新鮮でよく覚えていますが、そんな思いはすぐに消えました。 母よりもKさんと話す方がずっと建設的で、有意義でした。 だから悩み事も、母よりKさんに話すことが増えました。 母には理解してもらえない、という思いが強くなりました。 高校3年生の5月頃、進路を決めるのに重要な時期、Kさんが末期の病気であることを知らされました。 経済的に3人で暮らすのは厳しくて、母と2人で実家に戻りました。 母は、目に見えて痩せ、やつれ、精神的に疲れていきます。 私は四年制大学への進学を諦め、少しでも家庭に経済的な援助がしたくて、就職に進路を変えました。 私の通う高校では、進学コースと就職コースがあり、1年の夏休みが明けてから、そのコースに分かれて専門的なカリキュラムを受けます。 私は進学コースで、就職には不利なカリキュラムでした。 でも、先生方の支援を受けて、なんとか就職に目指して頑張っていました。 入社試験は9月。 夏休みと放課後は、面接の練習に消えました。 入社試験が終わると、母が「母(私から見て祖母のこと)とはやっていけない。出て行こう」と言い出しました。 試験の結果が出るよりも前に、引っ越し先を就職先の近くに決め、契約をしました。 祖母には出て行くことも、引っ越し先も言わず、引っ越しをしました。 祖母は、母に対し、思いやりに欠けたことをしました。 私もそのことに腹を立て、数少ない親戚のひとりの祖母を見捨てるような形で家を出ました。 最近まで、そのことについて、罪悪感はあれど後悔はありませんでした。 でも、母へ不満が募り、母に黙って(母は私が祖母に会うのを嫌がっていました)祖母に会いました。 「お母さんと暮らすの、しんどい」というメールを送ったら、すぐに電話がかかってきて、会うことになりました。 祖母は私を心配してくれたし、「いつでも戻っておいで」と言ってくれました。 母は鬱病です。 些細なことで怒ります。 刺激しないように我慢して、やり過ごしてきましたが、私にも限界があります。 親に育ててもらった恩を忘れて、親の不出来を宣うのはおかしいと思います。 親に対し、尊敬や感謝を抱くことはあっても、軽蔑したり、軽視したりするのは、あってはいけないことだと思います。 頭では理解していても、こころが頷きません。 母の愛情を、感じなくなりました。 冬に、「私が話し合いのときに話せないのは、お母さんがすぐに否定するからだ」 「私にも悪いところはあるけど、育て方が悪かったんじゃないの?」 「18でまともに子どもを育てられるわけないのに、なんで生んだの?」 「生まなかったらよかった」 と言ったことがあります。 学校へ送ってもらう車の中での出来事です。 母は逆上して、家に引き返しました。 私はバスと電車で学校へ行ったけど、着く頃には学校は終わっているくらいの時間帯で、虚しくなって家に帰りました。 それから、煽るように私を傷つける言葉を言ってきます。 あたりが強い、と言うのでしょうか。 Kさんと、母と、3人で、手を繋いで歩いたこと。 Kさんが優しくしてくれたこと、肯定して、包容してくれたこと。 母とふざけて笑い合ったこと。 楽しかった思い出も、たくさんあります。 でも今は、楽しい思い出よりも、悲しい思い出の方がたくさん浮かんできます。 話し合いのとき、母が話すばかりで、私が何も言えずにいたとき。 私は過呼吸になりました。 母は話さない私にイライラして、「まんがの真似して同情を誘ってるの? やめてよ」と言いました。 母と私が好きなまんがで、主人公が過呼吸になるシーンがあります。 過呼吸になっているとき、こんな苦しい思いをしてまで真似なんてしないのに、と思いました。 ビニール袋を当ててもらってなんとか落ち着きましたが、言われたことが相当ショックで落ち込みました。 また、母との関係がうまくいかず、母を拒んでいたときは「殺して」と言われ、包丁を渡された記憶もあります。 毎日、祖母が言ってくれた「いつでも戻っておいで」ということばを思い出して、こころが揺れます。 母はいま精神的に参っていて、私が家を出たら、もっと悪化すると思います。 でも私は、自分を守りたい、と思っています。 本当に愛されているのかな。 もっと、人に愛されたいです。 誰かに必要とされ、肯定されたいです。 私は母に対して何が間違っているのでしょうか。 母が正しいですか? こんな娘をどう思いますか。 親の視点から、 また、同じような環境の方がいらっしゃいましたら、その視点から、様々なご意見をお聞きしたいです。 長々と書きましたが、ここまでお読みいただいて嬉しく思います。 よろしくお願いいたします。
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- whaihansei
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この春、ご就職とのこと。 おめでとうございます。 あなたも社会人ですね。 これまでにつき、母上、 またいわば父親代わりをされてきたであろう ご祖母、またkさんに 感謝しましょう。 母親との対立は、成長過程において、多かれ少なかれ あることだと思います。 別の意見(例えば父親の意見)やアドバイスがあれば、 よりバランスが図られるのかもしれませんが。 ただその程度は、 >「生まなかったらよかった」と言ったことがあります >「殺して」と言われ、包丁を渡された記憶もあります と、はなはだ激しいものがありましたね。 もう、このような、売り言葉に買い言葉、一線を越える ようなやりとりは、止めましょう。 さて成人まで二年。 社会に出ると多数の人との関わりが生じます。 これまでの方や、新たな方のアドバイスを得ながら 自身で考え、適切な判断力を養成し大人になられる ことを期待し、お祈りしたいと思います。 それまでは未成年、 >自分を守りたい ことに従えばよいかと思います。 まだ先の話になるのですが、私は「離婚」に反対です。 それは、 1)子への影響が大きい (子にとり両親は「前提」です。この崩壊はショックが おおすぎます。) 2)女性に不利な場合が多すぎる (子を抱え、経済に窮するケースがほとんどである) からです。 離婚するなら結婚するな、と言いたい。 何時かあなたには、よく判断されたうえでの幸せな結婚を 望みます。 それでも夫婦、子育てに悩みはつきもの。その時、母上や ご祖母のアドバイスや支援を受け、やっていかれることを 望みます。 家族は支え合うものだからです。 そういう日がくるであろうことをお祈りしています。 一歩、一歩進んでいってください。
- nagaineko
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私の母は、教育熱心で、非常に厳しい母でした。 あなたのお母さんと同様、自分が絶対的に正しいと いう考えの持ち主でした。 関係性は、私の意見など聞いてもらえず、一方的に 押し付けられ、支配される関係でした。 勿論、嫌でしたが、父と母の折り合いもよくなく、 祖父母ともいろいろあるような家庭で、でも、 それでも、子供の自分にとっては、大切な家族だったんですよね。 結局、自分が折れて、従うしかなかったです。 一度、大人になってから、母とは大喧嘩したことがあり、 今までの不満をぶつけましたが、でも、理解ができなかった みたいでした。自分は何も間違っていないの一点張りで。 でも、その時思ったんです。もういいやって。 この人とは、わかりあえないんだなーって。 確かに、憎いと思う部分はあります。 でも、今思うのは、なんで母がそんな風になったのか?といえば、 きっと、母も、問題のある家庭で育ったんだろうなということです。 また、その親も。 結局のところ、母だけの問題じゃない。 だから、しょうがない部分もあるんだろうなという気持ちもあります。 >本当に愛されているのかな。 お母さんなりに、愛してるつもりなんだと思いますよ。 ただ、あなたの求めるものと、違ってるし、 あなたの求めているものがわからないんだろうと思います。 >もっと、人に愛されたいです。 ただ、それをお母さんに求めるのは、今までの経過からすると 無理だということですよね。 >私は母に対して何が間違っているのでしょうか。 こういう問題って、どちらが正しいとか、間違ってるじゃないと 思います。 >こんな娘をどう思いますか。 こういう環境で育てば、そうなるのは当り前だろうなって思います。 私の場合も同様で、なるべくして、こうなったんだろうなって 思います。 でも、若い時は、そう思えなくて、自分が悪いんじゃないか? そんな思いで、自分を責めてました。苦しかったです。 あなたの場合も、あなたは何も悪くなんかありません。 だから、自分を責めないで下さい。 あ母さんだって、なりたくて、そうなったんじゃないと思います。 決して、仲良くしろ、とか、いうつもりはないです。 ただ、そういう視点を持って、現状をみてもらえたら?って 思うんです。 現状、どうするのがいいのか?難しいなーって思います。 第三者が簡単に言えるような問題ではないように思います。 ただ、あなたの人生は、あなたのものです。 お母さんの人生は、おかあさんのものです。 子供のうちは仕方ないにしても、働くようになれば、 自立できます。 お母さんに引っ張られるあまりに、自分の人生が犠牲に なってしまうようなことが一番悲しいことじゃないかと 思うのです。 私自身がそのように後悔しています。 もっと、自分のやりたいようにやればよかったなーって。 これからもいろいろ決断しないといけないことってあると 思うんですが、一番大切なのはあなた自身だと思います。 そのことを忘れずに、いてほしいです。 そうしないと、どんどん知らない間に、自分が望まない 方向へ流されてしまいます。 気づいた時には、何もない・・・。 そうならないように、自分を見失わないように。 がんばってくださいね。
私も…複雑な家庭に育ち 子供達も また 複雑な家庭に育ったと思います。 19で上を生みましたが とてもいい子です。 私が幼い頃 母の 不倫相手が家に来てたり 毎日 誰かがきていて昼間から 飲み会だったり… 蒸発したり…そりゃあもぅ 色々ありました。 父親は 私の情緒不安は 母親のせいだとか…もう 50代になった私に まだ言ってます(笑) 育てたり 育てられたり 生きてるのは そう言った事ですが 親のせいばかりじゃないし だからって 子供のせいでもないけど… 生きてるってことは一日一日 自分の責任を自分で担って 大人になっていく 否応なしに そんな意味だと思ってます。 私は 親のせいで 自分がこうなったとか 腹いせに…とか 考えた事は 一度もなかったんです。 全て 自分の意思だと思ってます。 だから 環境のせいにしたことは一度もないです。 私の話は長くなるので ストップしますが 子供達も また ワンマンで ノンベぇな父親の中で育ち その父親は 亡くなりましたが 死んだ時の顔見たら 生きてるだけで許せるもんだ…って友達に話してましたね。すごい仕打ちされてましたが 子供達も 私の感覚に似てます。 アドバイスはできないけど もう 18?ですか? 親がどうのなんて どうでもいいんじゃないですか? だって 今からの人生が長いし 今から切り開くのも自分だし 責任なんですから。 小学生 中学生じゃないんだし。
>でも私は、自分を守りたい、と思っています。 そう思ってくれるのがなによりの親孝行ですよ。