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清原の功績は実際はどうだったの
清原氏の野球選手としての功績は、実際はどういうものだったのでしょう? PL出身の野球選手でパの清原・セの桑田のアイドル。 漫画になっていたことからお笑い芸人のような存在だと思っていた。 ↓ 成績不振のスターだけど、巨人に移籍するころには番長キャラに。 ↓ 最近。オジー・オズボーンとか中島らも系。 (ある分野のトップランナーだけど依存症になってしまった) そういうことじゃなくて、野球選手として客観的にとらえなければと思って質問しました。
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絵に描いて額に飾ったような『無冠の帝王』ですね。 通算本塁打525本は歴代5位という素晴らしい成績ですが、通算本塁打500本以上打っていて本塁打王のタイトルをとっていないのは清原、張本、衣笠の三氏だけ。とはいえハリさんは最多安打記録を始め安打製造機としてのタイトル多数ですし衣笠さんは打点王に盗塁王、それに連続試合出場記録(2215試合!)というタイトルがありますが、清原氏の最高出塁率ってのは一般的にタイトルの中にはカウントされないものですからね。 西武時代は「すごかった」としか言いようがないですよ。あれは忘れもしない1992年、ヤクルトとの最初の日本シリーズ。もうね、バッターボックスの存在感が並みじゃない。バットにかすっただけでスタンドに飛んできそうな迫力にスタンドのヤクルトファンがそれだけでビビってあちこちから「ふぉ、フォアボールでいいぞ!」って声が飛んだほどです(本当)。キャリアハイの頃はライオンズでクリーンアップを担った秋山が「引っ張りの人」、デストラーデが「一発もあるけど穴も多い」というイメージだったのに対して、あの体で流してホームランにできたので三冠王に「なれる」ではなくて、「いつ(三冠王に)なるのか」と誰もが思っていたのではないかなと思います。 本当の本気で野球をやっていたら王さんの年間55HRも通算本塁打(868本)も抜いたのは確実だったと思いますね。
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- 2332tutu
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どんなに天才(怪物)でも、慢心と勘違いを繰り返せば最終的には・・・・、という反面教師として、その功績は燦然と輝くと思います。知りあいのスポーツ編集者が行っていました。「清原は野球をなめている」。
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ご回答ありがとうございます。 あまり苦労せず(したけど)プロ球団の4番になった。 その頃の日本はバブルだった。 こじらせちゃったところがあるかもしれませんね。
- mo9518
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通算本塁打数で第5位ですから大選手であることは間違いないでしょう。 ただ、本人は全然満足していないでしょうね。 ずっとあこがれであった巨人に移籍して、主役になることを夢見ていたと思います。 しかし巨人には松井秀喜がいて、結局一度も彼を上回る成績を上げることはできませんでした。 さらに翌年には高橋由伸が入団してきて脚光を浴びます。 西武時代は、お山の大将だった彼にすれば悶々とした日々が続いたことが想像できます。 そこで自分に勝つことができず、薬物に逃げてしまったのではないでしょうか? 最近、昔の映像が放送され、西武時代、巨人移籍時の映像をみるとプロ野球選手らしいいい身体をしていますね。 しかし巨人での晩年では、まるでプロレスラーみたいです。 野村克也氏が清原のことを語っていましたが「彼は凄い選手だが、天性だけでやっている。野球に対する思想、哲学が何もなかった」と述べていました。結局、ただの野球馬鹿だったということではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます たしかに野村さんからしたら全く逆の選手ですね すごすぎる松井に、イケメンで成績のいい高橋がいたら、それはたしかに困りますね どうにか薬物依存を治して、人生たてなおせるといいですね
- okl2icario
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数字は調べれば分かるのでここでは割愛させて頂いて。 右への流し打ちの美しさ 流し打ちで場外に持って行く飛距離。 これは、どんな選手もかなわないのでは? 記憶に残る大選手です。
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ご回答ありがとうございます。 その映像、探してみたいと思います。猛烈な自粛がなければ、どこかでみれそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >1992年、ヤクルトとの最初の日本シリーズ その頃西武は何度もリーグ優勝していたことを思い出しました。 秋山とか石毛とか工藤とか、ほかにもいろいろスターがいましたが、清原はそういうもっともっと上が狙える素材だったんですね。 時々テレビで試合をみていましたが、セ・リーグのチームとしては、日本シリーズになると出て来る怪物たちっていう感もあったんでしょうね。