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稲盛和夫氏の哲学における運の要素
京セラの創業者の稲盛和夫氏の哲学に人生・仕事の結果は、考え方×熱意×能力という一つの方程式で表すことができるとあります。 私は人生や仕事の結果には人との巡り合わせや環境などの「運」の要素も関わっている気がするのですが、方程式の中で運の要素がないのはなぜなのでしょうか? どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。
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- hue2011
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言っていることだけを読むのではなく、その人の人生を見てください。 稲盛さんぐらい運でのし上がってきたひとはないと思いますよ。 単なる優秀な若者というのは世の中にたくさんいます。 それに、お金を出して事業やらせてやろう、とか、こいつを盛り上げてやろうと人に紹介してくれたりする人が出てくる人生というのは運の世界以外の何物でもありません。 要するに、稲盛さんの人生は運です。 必ずしもやってきた仕事がずらりと成功してきたわけでもない、むしろ中途半端なこともたびたびあったのはご存じのとおりです。 だけど、運を引き寄せる能力というのは、自分の努力では不可能なものです。 もちろん自分の能力、努力のない人間は、誰も引き立てようとしてくれません。 この辺でお気づきになっていただきたいのですが、人生を農業に例えればわかります。 リンゴのフジだとかコシヒカリという米はたまたま成功したものです。 生命力の問題がありますので、これらのものができてきたのは、運です。 たまたまそれをやっていた農業研究者が、そういう成功に出会ったのです。運です。 しかし、彼らはいろいろな種別の別のものをかけ合わせたり温度や日射を制御したりして、何度も失敗を繰り返しながらやってきた結果です。 あれとあれを組み合わせたらどうか、というのは、考えかたであり、そもそもそういう発想ができるためには知識とか理解が必要です。 そして、何度失敗しても成功物と出会うまでくじけないぞという熱意、根性が必要です。 いいでしょうか。ここで考え方×熱意×能力が大事だということがあるわけです。 自分の努力範囲はそれだけなんです。 それをキープすることで運がやってくるのです。 そういうことです。 なにもしないで運がやってくるというのは、「棚ぼた」という考え方であり、人生を狂わせます。そんなことを自分の本に書くやつはまともだったら居ないはずです。
- eroero4649
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式の中に「運」を入れてしまうと、「じゃあ、運が良ければそれでなんとかなるじゃん!」と曲解するやつらが現れて、人生訓として意味がなくなってしまうからです。 考え方×熱意×能力だと、どれかが低くても他のどれかが高ければフォローができるという話になります。例えば、自分は能力は2だけど熱意が5あるから能力のなさをカバーすることができる、という感じです。 しかしここに運を入れてしまうと、考え方も熱意も能力も1や2でも、運が10あればなんとかなるじゃないかとなってしまいます。そして運というのは自分の努力などは一切関係がないので、そしたら運の能力値を上げるために神社でお守りを買ってくればいい的な話になってしまいます。それでは人生訓やお説教になりません。 運に関する考え方ですが、私も確かに運という要素は重要だと思います。歴史に名を残す英雄というのは必ず強運の持ち主でもあります。もし桶狭間の合戦で雨が降らなければ、もし徳川家康があんなに長生きできなかったら、歴史は変わっていたかもしれません。 しかし、運を味方につけられるかどうかは実力次第だと思います。織田信長に能力がなければ、雨が降っても合戦には勝てなかったでしょう。家康が天下を取れたのも、ただ長生きできたからではありません。将の将たる器があったからです。実力のないやつにチャンスを与えてもただチャンスを無駄にするだけです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
方程式の中で運の要素がないのはなぜなのでしょうか? 僕はその方を存じ上げませんが、運は予測できません。予測できないものは方程式に入れられないからでは無いかと思います。 未知数の多すぎる連立方程式みたいなもので、見た目にはギョウギョウしくても、答えが無い訳でして、、、