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アミン
深夜のテレビ番組で ウガンダ大統領だった アミン を描いた 映画を見ました。 後で、ウィキで調べたところ、30~40万人の自国民を殺害したそうです。 彼は、1979年に失脚すると、リビアを経てサウジアラビアへ亡命し、2003年まで生きながらえたそうです。 亡命先のサウジアラビアで24年間も生きることができたのは、サウジ政府が、24年間も保護したのでしょうか? その場合、アミンを匿ったサウジ政府を、国際世論は避難しなかったのでしょうか? それとも、サウジ国内にアミンの私財が蓄積してあって、その経済力で生きながらえたのでしょうか? もし、ご存知の人がいたら、教えてください。
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遅ればせながら回答致しますが アミンは権力掌握時代、反イスラエル、反ユダヤ的発言を行い 特にミュンヘン・オリンピックでのパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手団の虐殺をことさら称賛しました そのアミンの発言や対応等が親米保守であるが、反イスラエルを通す当時のサウジ王家には好感を持たせました サウジは民主的というよりは権威主義的君主制の国家のため、王族の意向がそのまま国家の方針に反映されます しかしアミンはリビアのカダフィ大佐とは友好関係を保っていました リビアはサウジとは対極にある反イスラエルだが、反米親ソ国家であり、カダフィ自身、王族を排除し権力を奪った急進派でしたから サウジがアミンをリビアからこちら側に引き込みたいという意向がありました 先程、述べましたようにサウジは権威主義的君主制のため アミンが自国民を大量虐殺した犯罪人であるよりは反イスラエルを通すアフリカの為政者という点を評価していたのでしょう サウジには日本や西欧先進国に大量に原油を供給する力があるため 大量虐殺者のアミンを匿おうとしても正面切ってそれを激しく糾弾批判することは先進国にはできませんし アメリカとてイランがイスラム革命で反米に転じた後、サウジが中東で数少なくなった親米国家のため、どうこう言えなくなったのではないかと思います
お礼
回答ありがとうございます。 そろそろ、締め切ろうかとも考えておりましたので、ありがたい回答です。 サウジを、単なる欧米派と考えるべきではないのですね。 大変勉強になりました。 中東全体について考え直さないと、理解できないということですね。 どうも、ありがとうございました。 銘柄は忘れましたが、ウガンダの紅茶、すごーく、美味しいんです。