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偽善について

偽善でも続けていれば、正しい人間になれますか? 相手のためになっているのかいい結果につながっていくのかがわからず、善というものがわからなくなりました。 独善的だと言われるのは悲しいし、こちらは善のつもりでも相手を傷つけたり駄目にすることもあるのだと知りました。 失敗を重ねていけば何が善かわかるようになってきますか? 本能で助けたいという思いをお前が首突っ込んでも仕方ないと自分で制止していたら、無力感でいっぱいになりました。

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.8

>本能で助けたいという思いをお前が首突っ込んでも仕方ないと自分で制止していたら、無力感でいっぱいになりました。 目の前で人が突然倒れたとします。さて、どうしますか?助けたい気持ちはやまやまでも、その場でいきなり心臓マッサージでも適当に始めたらかえってそれで助からなくなるかもしれません。そういう場合は速やかに救急車を呼ぶのが正解だったりします。しかしこのときは無力感でいっぱいとなるでしょう。 しかしもしこれを糧に救命救急法を覚えたらどうでしょうか。もちろん最終的には救急車に引き渡すことになりますが、それまでの間に適切に処置することができれば助かる確率はぐーんと上がるでしょう。 善意に基づかれてやっても、善意がある分余計に始末に負えないということがあります。阪神淡路大震災のとき、日本中からボランティアの救援物資が届いたそうですが、その中にはおにぎりが入っているようなことが多くあったそうです。おにぎりを宅配便で送ったら、着く頃には傷んでいるに決まっています。これは送った人が善意がある分だけ始末に負えません。 質問者さんもこれと同じようなことをしていませんでしたかね?善意をしたいと思うなら、「相手が何が必要か?」というのを考えて適切なことをしないといけません。もし被災地に食料を送るなら、傷まない保存食を送るべきですね。しかし缶詰を送っても缶切りが入っていなければ食べられません。そういう細やかな気づきができるかです。レトルト食品なら、お湯を沸かして入れるだけです。フリーズドライが入っていれば、その沸かしたお湯でスープやみそ汁も飲めるでしょう。そういうことができれば相手からも感謝されるはずです。 >偽善でも続けていれば、正しい人間になれますか? ですから、これに対する答えはNoとなりますね。相手の立場を考える配慮と気づかいが必要なのです。

tmhya1225
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 具体例をあげてもらって考えさせられました。

noname#213191
noname#213191
回答No.7

偽善がくせになれば結果正しい人間になれるんじゃないですかね。 何が正しいか 答えは人によって違うんじゃない? だから 答えがいろいろある 人によって違うから 何が正しいか何が善なのかわからなくなってしまったんじゃないでしょうか。 私は失敗は善に繋がると思います。 失敗は繰り返したくないから 失敗しないようにするから。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

偽善というのは、外面的には善い行為に見えても、 それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから 行われる事を指しています。 質問者さんは、良心からやろうとしていますから、 偽善ではありません。 結果が食い違っているのでは、というだけです。 ”失敗を重ねていけば何が善かわかるようになってきますか?”      ↑ 相手の期待と、自分の考えが一致すればよいわけで、 それには経験も必要だと思います。 また、自分を磨き高めていけば、そういう乖離も 少なくなると思います。

回答No.5

> 独善的だと言われるのは悲しいし、こちらは善のつもりでも相手を傷つけたり駄目にすることもあるのだと知りました。 人の好意を独善なんて言う人は器が小さいんです。 独善でも善は善。正しいと思うなら行動したらいいじゃないですか。 やった後悔の方がやらない後悔よりましだって言いますよ。 それで傷つく人がいたら誠心誠意ごめんなさいしましょう。 > 失敗を重ねていけば何が善かわかるようになってきますか? だんだんわかるようになると思いますが、 全てをわかるのは無理です。 100歳になろうと200歳になろうと失敗する時は失敗します。 > 偽善でも続けていれば、正しい人間になれますか? 完全に正しい人間になんかなれないかもしれない。 でも、常に正しくあろうとする素敵な人には なれるんじゃないでしょうか。

回答No.4

ちょうど今読んでいる本に、「愛とはその相手に対して何を思うかではなくて、何をするか、何をしたかにある」と、書いてありました。 意地悪なお姑さんの介護で、イヤイヤでも毎日お風呂にいれてあげました。その後、障害者の方のお世話をし、お風呂にいれる際に、お風呂の入れ方が上手いと褒められました。亡き姑の存在により、お風呂に入れるのが上手くなり、理性から続けたことが、次の愛に結ばれていった、と。(曽野綾子さんの本です) なので、あなたのしていることが今は偽善でも、それがまた誰かを救うことにつながる可能性があるということです。 なにが善かという定義ははっきり示すことは難しいと思いますが、自分にとって善を行っていれば、いつか誰かがわかってくれるし、自分にとっても何もしない自分に後悔するよりは良い気がします。 正しい人間の定義も、人によって異なりますので、難しいですね。神様ではないし。 でも、悩みながらも、偽善でも、誰かを助けようと思う気持ちがある人は、良い人だと私は思います。

回答No.3

続けるも続けないも、偽善はその行為自体は善ですよ。 あなたがいうマイナス要素は、善でも偽善でも起きることですよ。 相手や周囲の思いに振り回されるのは、気持ちの話です。 善行という言葉があるように、善は行動のひとつです。相手やあなたの気持ちや評価は関係ありません。

  • shiren2
  • ベストアンサー率47% (139/295)
回答No.2

善行というのは元より難しいものです。 自分の頭で考えるよりも、まず先に先人の知恵を頼るほうが良いかと思います。 というのも、人類の進歩の大半は、一人の人生で積み上げたものではなく、先達の苦労の上に成り立っているものだからです。 例えば仏教には八正道の教えがあり、20世紀以上に渡ってその正しさが検証され続けています。 倫理学のようなものもありますし、道徳の研究もあります。 こういったものからあたってみるのが良いかと思います。

回答No.1

たしかに、失敗を繰り返して人間は進化と言いますか、いろんなことがわかっていくことは事実ですね。 よく考えて行動する。 これだけじゃないです? 自分の本能で助けた医と思い助けたならそれでいいんじゃないですか?良かれと思ってやった行動ですよね?