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人の人生

昨日、息子の友人を送りました。 18歳と半年の生涯でした。 親御さんが気丈に振舞われる姿を見ると、痛々しくて何とも言えない気持ちです。 逆縁は最大の親不幸と言いますが、早く逝く方、100歳でも元気な方、これは宿命のようなもので 決まっているのでしようか。 私自身、中学生の時、友人を亡くしました。なので、こういったことを常に考えます。 みなさんは、人の人生について、どうお考えですか。

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  • vaf326
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回答No.5

未来の事は誰にもわかりません。だから今日を生きるだけですね。 これは、万人問わず同じことでしょう。 若くして、お亡くなりになられた事はお寂しいことですが、これも運命だったとでも 思わなければ、残されたものはやっていけません。 もしかすると、生まれた時から定まっているレールの上を歩いているのかもしれませんね。

noname#212796
質問者

お礼

以前、細木数子さんが、よくテレビに出て折られた頃、人の寿命は決まっているが それを結婚だとか出産だとかで、逃れることが出来る人もいるというお話をされて いました。 人は寿命が解っていれば、早く逝く人は、「あーどうせ、15歳で死ぬんだから」 と適当に逝きますが、それが解らないから、懸命に勉強をしたり、働いたりするん だと思います。 ただ、やはり、逆縁は辛いです。が、この高齢化社会では逆縁も多くなるでしょう ね。 ありがとうございました。

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  • aria1881
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回答No.7

こんにちは 多分同年代?かと思います。 人生ってひとくくりに言ってしまうのは・・ お子さんを亡くされる方って沢山います。 と同時に お子さんを授かれない方も沢山います。

noname#212796
質問者

お礼

どちらが辛いでしょうか。 先に逝かれても親にしてもらえることは素晴らしいことです。 私の同窓生に100%子供に恵まれない男性がいます。 私自身の兄もあ男の子が二人、いますが二人とも不妊治療を経て授かった命です。 我が子に先に逝かれることはわが身を引き裂かれるような思いをし、悲しみが 無くなることはないと思います。 それでも、やはり逢えて良かったと思う気がします。 いずれにしても、人の人生は様々で正解は無いような気が致します。

noname#211437
noname#211437
回答No.6

>逆縁は最大の親不幸と言いますが、早く逝く方、 >100歳でも元気な方、これは宿命のようなもので >決まっているのでしようか。 何か、目に見えない宿命、宿縁などはあるのかもしれません。 宿命というよりかは、宿縁が宿っていると言った方が、 正確な言い方ではないでしょうかね。 目に見えないような宿縁があると言った感じでしょうか。 >私自身、中学生の時、友人を亡くしました。 >なので、こういったことを常に考えます。 私の母は自分の父親(私の祖父ですが)を 中学2年生の時に亡くしております。 余り、関係はないのですが。 >みなさんは、人の人生について、どうお考えですか。 人の人生とは、その人の生涯ということですかね。 平凡な人生を送った人もおれば、 波乱万丈な人生を送った人もいるとしか、 残念ながら、申し上げられません。 その人の人生は、自分の親、兄弟姉妹、親戚、友人ですら、 どういった人生を歩んでいくのかは、 誰にも推測、予測は出来ないものと思います。

noname#212796
質問者

お礼

残された者は、この子はこうなるように産まれてきたのだと思うしかないでしょう。 もっと、言えば出産の直後に亡くなる赤ちゃんもいます。 よく、世の中のすべてのことに意味があると聞きませんか。 産まれてすぐなくなったり、事件に遇って殺されたり、そんなことにも意味があるの でしょうか。(と、よく思います) 平凡でも波乱万丈でも、亡くなり骨になればみんさん同じです。 だから、生かされている人間は、何が起ころうと一日々を大切に生きるべきなんで しょうね。 ありがとうございました。

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18536/30883)
回答No.4

こんにちは その人にとっての寿命は決められていると よくいいますよね? 私も、幼稚園の時(病気)中学の時(病気)で 同級生が亡くなりました。 病気というのは、前兆があり周りも悲しいながらも 覚悟をしていたような気がします。 事故などで突然逝ってしまった場合は、悔やんでも悔やみきれない と思います。 亡くなった本人も無念だったと思いますが 一番は残された周囲の人の思いですよね。 いつか時間が「思い出」にしてくれるのかもしれませんが、・・・。

noname#212796
質問者

お礼

親でもなく親戚でもなく、息子の友人。 自らの事故で、助手席のお嬢さんは半身不随・本人はICUで1ケ月、意識が戻る ことなく18年半の生涯を終えました。 親に大きな課題を残し。 自分自身が親になり、親の立場で 「もし、自身が一人息子を亡くしたら後を追うか も」などと思います。 が、息子にも話しましたが、18年半しか生きれなかった彼のためにも、あなたたち 同級生が懸命に生きること、それが最大の供養だと思う。そして、忘れないで いてあげること。 年齢を覗くと、中学校までの同級生はほぼ、全員、それに親や高校の友人と すごい参列者でした。 お顔も大型トラックに正面衝突したとは思えないほど、きれいな顔でした。 こんなにたくさんの友人に送られ、棺も息子を含め、友人の代表が担ぎました。 ある意味、幸せな送られ方なのかと思いました。 おっしゃるよう癒してくれるのは時間しかないと思います。 親御さんも、数十年という年月が必要かも知れませんが、心穏やかに亡き息子を 思い返せる日が来ることを願っています。 ご回答ありがとうございました。

  • BOLTS
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回答No.3

決まっているのかどうかはわかりません。 でも人の生き死には自分の想いではどうにもならないのが現実です。 大往生をで逝く人もいれば事故や病気などで亡くなる人もたくさん いらっしゃいます。 人は生かされてると言われてますけど、いつお迎えが来てもいいように 毎日一生懸命に悔いなく生きる生き方がしたいと思います。

noname#212796
質問者

お礼

早く死ぬことは不幸、長生きは幸せ、勝手に人間が決めたことなような気も致します。 昨日の葬儀は18歳半の生涯でしたが、ホールに入りきらない程の参列者、 友人に棺を担いでもらい、幸せな送られ方だと思いました。 親御さんのお気持ちをお察しすると、言葉がありませんが。 親戚でも仕方なく参列する葬儀も多いと思います。 そういった視点で考えると幸せな送られ方で成仏できると思います。 ありがとうございます。

  • kaitara1
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回答No.2

なぜかこの地球上に生物が現れ、その一つが人間です。人間は自我意識を持つところがほかの生物と少し違いますが、その違いをあまり過大評価しないほうがよいと思います。私は少しでも他の生物と同じだと思えるようにできればと思います。具体的には自分の名前など実はないのだというような感じです。自分の名前がなくなっても残っているものが本物のように思います。

noname#212796
質問者

お礼

もう、随分、前ですが 「セカチュー」というドラマと映画がヒットしました。 私はドラマの方が好きだったのですが、そのなかで亡き亜紀(綾瀬はるか)の遺言で、ウルルに骨を撒いて欲しいということで、故人の願いを叶えるのですが、その際、「ウルルの先住民は遺体を埋葬し、そして土となり、花を咲かせる」 というセリフがありました。人はそうやって、肉体は無くなるけれど、別の形で生きているということなんだと思います。 ある意味、人は必ず死がきます。それが早いから辛いという観念にとらわれてしまっているのかもしれません。 肉体はなくなっても、それぞれの人の心の中で生きているはずです。 それが死というものなのかも知れません。

回答No.1

運命なのか、宿命なのか・・・誰も、判断出来ないのが、人生なのでしょう。

noname#212796
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。