以下の通りに
既に他の方の回答にもある様に、「必殺仕事人」いや「必殺シリーズ」は「殺人を正当化してはいない」ですよ!!
居るんですよねぇ、「必殺シリーズ」を「水戸黄門」「大岡越前」等の「その他の多くの『典型的な勧善懲悪時代劇』と混同している人」が・・・。
「必殺シリーズ」の「殺し屋という裏稼業の者達」の中には「殉職者」というか「殺人者としての当然の報い」として「死んでいく者達」も居るのです。
確かに「必殺シリーズ後期」の「仕事人シリーズ」では「少なくなっている」けれどね・・・。
「具体例」としては「仕事人1作目」では「仕事人ではない」けれど、最終回で「仕事人・畷 左門」は「最愛の妻」を殺されます。
「仕事人Ⅳ」の放送中に同時進行で制作された「映画 THE HISSATSU!」では裏稼業の覇権争いで仕事人同士の殺し合いが行われる様を描いています。
同じく「仕事人Ⅴ激闘編」の放送中に制作された「映画 必殺!Ⅲ 裏か表か」では「仕事人」である「組紐屋の竜」と「はぐれ仕事人であり主水達に押し掛け仲間入りしていた壱と参」が「罠に嵌められた主水を助ける為」に「当時の貨幣である小判等を製造する金座という立場に居る権力者が金で雇った者達」と戦い死んでいます。
「仕事人Ⅴ旋風編」の最終回では「仕事人Ⅲ」で加入して以来の仲間である「西 順之助」とこの作品のみ登場の「夜鶴の銀平」が「順之助が用意していた道具の火薬に誤って火が付いてそれに気付いた銀平が川(?)に飛び込んで火を消そうとする」のですが間に合わず爆発して「2人共死んでいる」のです。
以上の様に「必殺シリーズ前期」に比べて「マイルドになった後期」においても「殺人者としての報いを受ける様は描かれている」のです!
「必殺シリーズ」は「正当化されている訳」ではなくて、「こいつらは殺されても仕方が無いくらいの奴等だ、と視聴者が感じる様に描かれているだけ」であり「殺し屋側も死ぬ者は居る」のですよ!!
「殉職者が出ないシリーズもあるにはある」けれど「もっとちゃんとシリーズ全作品を見るか『ウィキ等で調べて』下さい」ね!!
そもそも「彼等『殺し屋達』は自分達が殺す相手のやった事に対して感じる事を感じるままに言動などで表現したりはする」けれど、「自分達の行いが正義であるとは決して言わない(仕事人Ⅲの頃の順之助はともかく)か『自分達も大して変わらない存在だと自認している』」のですよ。
そしてそうなるのも当然とばかりに「『死』や『死ななくても死んでいるも同然』なとどいった生き地獄的な悲惨かつ無残な末路」が描かれているのです!
「水戸黄門」等の方が「大っぴらに『正義』と言いながら権力を振りかざしている」のに比べて。
何より「必殺」は「なんちゃって時代劇」と言っても良いのです。
「時代劇という体裁を取った現代劇でもある」のです。
「放送当時に起きた事件や世相を『江戸時代に置き換えた話』という回など」がかなりあるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 闇稼業を現代ドラマで表現すると世の中カネ儲けの為なら何でもアリになると言う誤解を招きかねませんね。 フィクションであっても。