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自分の実父が故人の場合の弔電上の呼び名について
私の実父が死去しました。 私は現在海外滞在で、通夜や告別式には出席できません。 そこで弔電を送るように促されたのですが、今回のように自分の実父が故人の場合の呼び名は何にすべきでしょうか? 敬称を使用すべきなのでしょうか? 下手を打つわけにもいかず、困ってます。 出来れば文例を添えて教えて頂ければ幸甚です。 どうか宜しくお願い致します。
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主に母親や兄弟、いとこなどの親族に送る弔電なら、 「臨終に駆けつけることも叶わぬ親不孝を、どうか お許し下さい。 遅れ馳せながら、必ず参じますので」 とか、ちょっと固いけど、まあそんな意味合いで。 或は、訃報に際し断腸の思いです。 駆けつけて式に参列出来ず、落涙の極みです、 など、堅苦しくなりがちですが、弔問客が聞いて 息子さん、来れずに悲しんでるんだな、と判れば 良いものです。 哀惜の想い極まり、慙愧の念に絶えない、 それと、お母さんが存命なら、寡婦の身となった 母にどうか、暖かなお心遣いを賜れたら幸甚です、 あ、「幸甚」お使いでしたね。失礼。 やり過ぎず、くだけ過ぎず、難しいですね。 その辺りを組み合わせてみてはいかがでしょうか。 読み上げられる可能性が高い式なら、弔問客に向けて、 謝辞を述べる形が恰好付くと思います。 あくまで控えめに、参列出来ない喪主方の一人として 挨拶できないことを詫び、来て頂いたことに感謝する。 そんな感じで、と思うんです。 ご参考までに。
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お返事拝見いたしました。 ご丁寧にありがとうございました。 今までご実家と疎遠でいらしたとのこと、ふと 思ったことがありましたので、再度投稿させて 頂いた次第です。 これから一周忌、三回忌、七回忌と法事が続くと 思いますが、亡くなった人が結ぶ縁、というものも 世の中にはあります。 血を分けた肉親が仲良く暮らして欲しいと願うのは 多くの親に共通した願いですが、人間の世界は中々 そういかない事情もあります。 そんな折、きっかけを失って遠ざかっていく「縁」を もう一度結び直す端緒にもなる。 私は人の魂は信じても、そんなに誰もが霊魂になれると 思っていませんが、それでももし 亡くなった方の 願いがあるなら、今回のように弔電に心を込めようと 悩まれたことも、ご家族ともう一度つながりを撚り合わせて いけるチャンスなのかも知れない、と。 色々事情はおありでしょうから、急に何かすることも ありますまいが、年賀や暑中見舞いなど、便りに寄せて 紡いでいける想いもあるのではないでしょうか。 連絡が必ずつくようにしておくことが、遠く離れても 「繋がっている」ということですから。 これを機会に、またお身内と仲良くやっていかれたら いいな、と思います。
補足
ありがとうございます。 親や家族に対しては怒りに近い感情を抱いていて、屈してばかりであった自分を許せずに今日まで生きてきました。人生を歪められたとする、逆恨み的な気持ちも消えてはいません。ただ、怒りの対象を一人を失ってしまい、拍子抜けしてしまったような気分です。 相手の存命中に、それも老け込んでしまう前に、恨み辛みをぶちまけていた方が良かったのかもしれませんが、もう後の祭りですね。 老母と電話で約20年ぶりに話しました。やはり私はまだ怒ってますねぇ。 丁寧な言葉を頂きまして有難うございました。
- cactus48
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弔電を打つ必要はありません。その代りに手紙を書きましょう。 手紙は家族充てではなく、告別式の際に家族に読んで貰えるように 先に電話で伝えておきます。家族の誰かが「○○は現在海外に居り ますが、どうしても皆様に御挨拶がしたいと申しまして、○○より 手紙を預かっております。この場をお借りしまして代読させて頂き ます」と言って読んで貰います。 内容はあなたが参列して頂いた皆様に御礼を述べる内容で構いませ ん。あなたの思いを書けばいいのですから、文例は省かせて頂きま す。
お礼
御回答ありがとうございました。 皆様方の意見を参考にしつつ、昨日、弔電を打ちました。 私は親不孝者で、実家とは殆ど没交渉でした。そんな馬鹿息子が、しゃしゃり出たり目だつわけには行きませんので、手紙は書きませんでした。また、手紙では葬儀には間に合わないので。 結局は、とても実子の言葉とは思えぬ素っ気無い文言になってしまいましたが、それで良かったと思います。 不孝者が、似かわぬ文飾で気持ちを綴っても、反感を買う恐れもあります。その場の遺族の立場を危うくする恐れもあります。そして、「自分の気持ち」が自分にもまだ分からないままです。懐かしく思い出すような、楽しい記憶もありません。 なかなか難しいものですね。
- tea-toki
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喪主はどなたでしょうか? お母さんなら、父でもお父さんでもどちらでもいいと思います。 御兄弟なら、ちょっと改まって、お父さんかなと思いますね。 別にあなたの弔電を他の弔問客の前で読み上げると言ったことでないなら、 フォーマルな呼び方でなく、あなたが普段読んでいた呼び方でいいと思いますよ。
補足
御助言ありがとうございました。 喪主は母でしょう。 亡父との関係は良好ではなく、殆ど会話らしきものが無かったので、どんな呼びかけも相応しくないなと思いつつ、地味な弔電を打ちました。 今日、荼毘にふされたはずです。
- etopitika
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この度はご愁傷様です。 自分の父親は単純に「父」です。 ところで弔電は手紙と同様に当然差し出す宛先があります。 あなたはどなたに弔電を送るのでしょうか。 喪主は残されたお母さんがおられれば当然お母さんが喪主になるでしょう。 そしてご両親と同居されている御兄弟がおられれば、その方が施主になるものと思います。 それで、今回の弔電はお子さんであるあなたが、親であるお母さんに送ることになるわけですが、ふつう親子であればお母さんに電話でお悔やみ申し上げたでしょうし、あらためて弔電というのもいかがなものでしょうか。 喪主である実のお母さんにどうしても弔電を差し上げたいということでしたら、お心落としのお母さんに「お父さんが亡くなられてさぞかし悲しみにふけっているでしょう。父から愛された自分も同様に深い悲しみの中にあります。遠く海外にいて葬儀に出席できない親不孝をお許しください。帰国の際はいの一番にお父さんの仏前に駆けつけます。悲しみから一日も早く立ち直られることを願っています。お父さんのご冥福を心からお祈りいたします。 といった趣旨の弔電になるかと思いますが、あちこちから寄せられる弔電は、すべてなくなった故人ではなく、ご遺族宛のもので、故人の在りし日をしのびながらも、弔電ですから、ご遺族に対するお悔やみの言葉でつづられると思います。 孫が、葬儀の際霊前でおじいちゃんに、お礼の言葉やお悔やみの言葉を述べるということは、よくあることではありますが。
補足
御回答とお言葉、ありがとうございました。 喪主は老母でしょう。実は彼女とはまだ会話していません。衝撃が強く、打ち拉がれているようで、話す気になれません。 私は親不孝者で、実家とは殆ど没交渉でした。そんな半ば行方不明だった馬鹿息子を快く思ってはいなでしょう。声などかけられたら激怒し動転するかもしれません。刺激したくはなかったのです。 満点の答えないものと考え、諸々の不安や疑問を残しつつ、昨日弔電を打ちました。結局は、とても実子の言葉とは思えぬ素っ気無い文言になってしまいましたが、それで良かったと思います。 不孝者が、似かわぬ文飾で存在を示しても不興を買うし白けてしまうでしょう。その場の遺族の立場を危うくする恐れもあります。 好きになれなかった父や家族ですが、鞭打つようなことは避けねばと考えました。
- maiko0318
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普通に「父」でいいと思いますよ。 みなさま、本日は父の(お通夜・葬儀・告別式)に参列いただきありがとうございます。 例1) 父は生前○○と言っていてそれは完璧に守っている父でした。 私も父の○○のスタートラインに立ちたいと思い、生活している次第です。 例2) 父は20年も前に脳梗塞を発症しまして、今まで頑張ってくれました。 酒もタバコもせず、私達に全勢力を傾けてくれて果たして幸せな人生だったのか 心残りはなかったのかと思うとかわいそうでなりません。 急な連絡でまだ頭が混乱していてつたない文章ですがお許し下さい。 とかどぉ?
補足
ありがとうございます。「父」という言葉の方が自然に聞こえますね。 例文を提示頂きありがとうございます。 亡父は、そんな感じの人ではありませんでしたが、参考にさせて頂きます。
お礼
御回答とお言葉、ありがとうございました。 私は親不孝者で、実家とは殆ど没交渉でした。そんな半ば行方不明だった馬鹿息子を家族は快く思ってはいないでしょう。 満点の答えないものと考え、諸々の不安や疑問を残しつつ、昨日弔電を打ちました。結局は、とても実子の言葉とは思えぬ素っ気無い文言になってしまいました。回答者様も仰ったように控えめな表現にしました。それで良かったと思います。 不孝者が、似かわぬ文飾で存在を示しても不興を買うし白けてしまうでしょう。くだけた口調だったら、それを不快に捉える人もいるでしょう。その場の遺族の立場を危うくする恐れもあります。実家を長く遠ざけていた息子なのですから、その辺は苦慮しました。好きになれなかった父や家族ですが、鞭打つようなことは避けねばと考えました。 また、演説のように長々と綴るのは避けたかったので、弔問客への謝辞は入れなかったのですが、上手く収まったと思ってます。 ありがとうございました。