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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:二十歳前後の頃のファッションとあなたのいで立ち)

二十歳前後の頃のファッションとあなたのいで立ち

このQ&Aのポイント
  • 20歳前後の頃の流行ファッションと自身の好みについて教えてください。
  • 70年代ヒッピー文化が残る時代、ベルボトムや横縞のタンクトップなどの大胆なファッションが流行していました。
  • 私はチューリップ状のジーンズや乳首まで届く襟先のシャツを着て、ウッドストックに行ったような気分になっていました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • isoken
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回答No.12

ex さん、こんにちは。 >二十歳前後の頃のファッションとあなたのいで立ち 20歳の頃通ってた大学は、都内女子大生の選り抜きを集めたような学校でしたからねぇ、それはもうお洒落で可愛い子はその辺に転がってました。 当時私の股間を最も刺激したのが、レイヤード・カットに独特のアイシャドーを施したその一方で、誰でも綺麗に見える魔法のパンツと称された エンジェルズ・フライト に セリーヌ 辺りのベルトを巻き、デザイナー・ブランドのブラウスを身に纏ったファッション、そう!女子大生から OL までをも席巻した ニュートラ のお姉ちゃん達でした。 これはもう一言で言えば、神戸発祥のお嬢様風女性版トラッドですね、そこにブランド物を組み合わせた或る種のコンビネーションでして、アン・アンや JJ が盛んに煽っておりましたが、後に流行ったコンサバの源流という事でしょう。 その一方でフェリス女学院発祥と言われた、ハマトラのビッグ・ウエーブなんてのも一瞬来ましたが、これは後年のぶりっ子・ファッションの先駆けでしょう、こう言っては怒られちゃうかも知れませんがブスが好むとの印象が強く、廃るの早かった気がします。 さて当時は GNP 1万ドルを超えた辺りでしょうか、そんな時代を背景にしたプチブランド・ブーム、普通の女子大生がエルメスやヴィトンなんてのを持ち出したのも、その一方でテニス・ブランドと言ってもいい、エレッセやフィラが蔓延したのもこの頃でしょう。 他にはサーファー系・ニュー・ウエイブ ( テクノ ) 、そして一時的なサイケの復権もありましたが、まあ時代の主流にはなりませんでした。 ところで ex さんが御指摘の通り、1970年代後半から始まった第2次ディスコ・ブームですが、私こそは当時の詳細を知る数少ない生き字引、・・とまあ勝手にそう自惚れております。 何しろ 溜池 ~ 乃木坂 ~ スクエアー・ビル ~ 芋洗坂 ~ 霞町方面 、つまり六本木方面のほぼ全域にアンテナを張り巡らし、週4日はディスコに通ってた大馬鹿者ですから。 さて肝心のいで立ちと言えば、通学時は学校のロゴが入ったスタジャンか Gジャン、バークレーや SHIPS ・ OP のトレーナー、フィラやラコステのポロシャツに、プレーンなジーンズそんな感じのコンビネーション。 そのままディスコに直行となれば、当時の超定番 ファーラ か ジョーダッシュ と いう NY デザイナー・ブランドのブーツカット・ジーンズ。 上はどうだろう、サーフ・シャツなんかが多かったんじゃないでしょうか。 ・・というのも、20歳の夏休みに道路工事 ( つまり土方 ) のバイトを1ヶ月しましたら、 黒人並みの光沢に仕上がっちゃった。 「 あれっ! 俺ってサーファーじゃん 」 で養殖物の岡サーファーの一丁あがり、以降それで通した私です。 以上失礼しました。

exhibitionist
質問者

お礼

isokenさん。おかげで完璧に記憶の糸がつながりました。私のナンパ時代 72年 ・・・77年 おそらくisokenさんのご活躍の時代 78年 ・・・83年 見事にすれ違ってます。多分 ディスコのかかった曲も、私はVAN McCOYの時代 https://www.youtube.com/watch?v=wj23_nDFSfE isokenさんの時代の曲はほとんど存じ上げない >20歳の頃通ってた大学は、都内女子大生の選り抜きを集めたような学校 でしたからねぇ、それはもうお洒落で可愛い子はその辺に転がってました。 いいですねぇ >当時私の股間を最も刺激したのが、レイヤード・カットに独特のアイシャドー を施したその一方で、誰でも綺麗に見える魔法のパンツと称された エンジェルズ・ フライト に セリーヌ 辺りのベルトを巻き、 思わず画像検索しました。 >ニュートラ のお姉ちゃん達でした。 頭の中には浅野ゆう子の姿がうかびましたが、年齢層は合ってます? さて当時は GNP 1万ドルを超えた辺りでしょうか、そんな時代を背景 にしたプチブランド・ブーム、普通の女子大生がエルメスやヴィトン なんてのを持ち出したのも、その一方でテニス・ブランドと言っても いい、エレッセやフィラが蔓延したのもこの頃でしょう。 他にはサーファー系・ニュー・ウエイブ ( テクノ ) 、そして一時的な サイケの復権もありましたが、まあ時代の主流にはなりませんでした。 >1970年代後半から始まった第2次ディスコ・ブームですが、私こそ は当時の詳細を知る数少ない生き字引、・・とまあ勝手にそう自惚れて おります。 いや驚愕の細密描写に感動し驚嘆の一語です。私の中の80年代といえば、 町田の借家に居を構えそののち世田谷に引っ越してからも六本木は行動範囲 からはずれていました。学生時代の同級生で東北のトラボルタみたいな男が、 「お前、スクエアー・ビルって知ってるか?」というので覗きにいったこと があります。 そもそも私の守備範囲はフォークダンス。 そもそも立って口説くのは上背のある男に向いているのであってみすみす弱点 をさらすダンスは苦手でした。 チークも自分の彼女としか踊ったことがないという、ディスコ奥手。 さて、1980年といえばたしか、BEAMSができて骨董通りにはメンズビギ のショップができてましたよね。表参道から根津美術館にかけてフロムファースト ビルにアルマーニを扱うバルバスができ、ヨウジヤマモトや川久保玲の路面店が できました。青山通りにブルックスブラザーズの路面店も80年には旗艦店を出店 しています。 >さて肝心のいで立ちと言えば、通学時は学校のロゴが入ったスタジャンか Gジャン、 バークレーや SHIPS ・ OP のトレーナー、フィラやラコステのポロシャツに、 プレーンなジーンズ カッコいいですね。隙がない。 >そのままディスコに直行となれば、当時の超定番 ファーラ か ジョーダッシュ と いう NY デザイナー・ブランドのブーツカット・ジーンズ。 いや、驚きました。ジーンズもこの時代のブランドが全くわからない のです。セブン・フォア オールマンカインドもヌーディジーンズも 知らないブランドはないと自負していたのが全くの大笑い。そうですか 知らなかったです(汗) >上はどうだろう、サーフ・シャツなんかが多かったんじゃないでしょうか。 そうですよね。サーファーディスコですものね。 だんだんわかってきました。ディスコは生身の男で勝負なんですね。どこま で甘い言葉と生身の身体の発するフェロモン。 >道路工事 ( つまり土方 ) のバイトを1ヶ月しましたら、 黒人並みの 光沢に仕上がっちゃった。 「 あれっ! 俺ってサーファーじゃん 」 で養殖物の岡サーファー それ、すごいですね。当然サザンのファンであるわけでどこにも破綻のない 一貫性。うーん明快な生き方なさってますね。 読んで面白くためになりました。自分の知らない世界を読んでも普通は興味 をもたないのですが、ディスコもファッションも街の話も自分の知識の空白を 埋めてくれる話でジグソーパズルのピースがはまるような快感を感じました。 お礼にお贈りする曲はこれです。 https://www.youtube.com/watch?v=p8jJ1ORIOes 貴重な体験と回顧録をありがとうございました。

exhibitionist
質問者

補足

サーファーディスコというものがうわさには聞いたことがあっても、それがどのようなものなのか 今まで知りませんでした。 湘南サウンドのかかる海の家を改造したディスコで、サザンはそこを舞台に人気が出た・・・ くらいに思っていました。 そもそも、私のディスコの楽しみ方は、みちのくの達人(文中参照)の尻馬にのってコバンザメ 作戦ですから不純です。 タネをあかせば当時購読していた『商店建築』が情報源でした。ですからヒット曲も因果 関係もよくわからず、トゥーリアの照明器具が落ちて、六本木のディスコはみなカフェバー に客を奪われた・・くらいに思っていました。 ムゲンのあとに周富徳が離宮をだしたなんてニッチなネタは知っていても 78年から83年にかけてのサーファーディスコの実態はアクロスにも出ていないし 雑誌東京人にもでていない。 ホイチョイプロダクションに出てくるのは80年代後半ですから、isokenさんのおかげで ポケモンカードが全部そろった気分です。 さて古いチークダンスのテーマでしたが、古すぎましたか? ということでこんかいは養殖ものの岡サーファーに拍手。BAお受け取りください。

その他の回答 (11)

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

 盛り場では竹の子族が踊っておりました\(^^;)...  私は、制服ない会社なので、いつも紺の背広上下で それを見ながら自転車で営業に走る毎日。  流行は変わりましたが、私は変わりません、 一度ぐらい、ヨレヨレのトレンチコート着て安い葉巻吸いながら 「ウチのカミさんがね・・・・」と 決めてみたかった。( ^^) _旦~~ zzzzzzzzzzzzzzz  

exhibitionist
質問者

お礼

1970年代後半、ディスコブームでした。映画サタディナイトフィーバーがヒットし西城秀樹がYMCAを踊っていたのもつかの間、二次オイルショックの不況で下火になっていきました。新宿のツバキハウスや上野・浅草のディスコから本来の中心地六本木に戻ってきた。若い子たちは行き場所がなく青空ディスコのような形ではじまったのが原宿ホコ天でした。 ドラゴンボールの悟空が還暦のお祝いしているみたいな色調とデザインの「竹の子族」のコスチュームも70年代の模倣だらけのファッションに比べたら独自性という点では進化してますよね。 亡くなっちゃったけど沖田浩之なんてナイーブで男前のスターまで排出しました。その次世代が柳葉敏郎の世代で、彼も竹の子族というのでしょうか。角館だから出てきて東京で俳優の道がひらけたのも沖田たちの開いた原宿ホコ天文化があったればこそかもしれません。彼も日本アカデミー賞新人俳優賞をとるほどの役者になってすでに50代の半ばにさしかかる。 一世風靡セピアの衣装はもう路上時代とは異なり上着がコートのように長いズートスーツにノーネクタイ。ジャケット丈を短くしてパンツを細くしたらいまのEXILEです。 さて、kusirosiさんはその頃ビジネススーツでお仕事。その点では私も変わりません。ちょうど通勤経路が小田急+千代田線だったから、リアルタイムで竹の子族とすれちがっています。 僕らの世代は服に拘らないといいながら、どこかでバンカラでハードなファッションに魅かれますよね。1970年代前半コロンボは大人気で、皆額に葉巻をもった右手をあてるポーズで「うちのかみさんがね・・」ってやってました。 http://ecx.images-amazon.com/images/I/51do4lkKKwL.jpg このくたくた具合もいいけど、ボタンの留めぐあいの適当さがまたいい味だしてますね。 kusirosiさん。こうは仰ってますが、私には服には一家言おありの頑固者と拝察いたしました。 ご回答ありがとうございました。

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