- 締切済み
家にいる時間
みなさんの家にいる時間への捉え方をお聞きしたいです。 かなり抽象的な話になってしまいますが... 小さい頃から私にとって学校は監獄のようなものでした。 別にいじめられた訳でもなく友達も好きな人もいました。 給食も昼休みも楽しみでした。 しかしとにかく義務教育として決まった時間に決まった場所へ、しかも毎日行かされるというのがすごく嫌だったんだと思います。 高校も友達も彼氏もいてすごく楽しかったはずなのですが、学校へ行く電車でマッタリしているお婆ちゃんをみるとすごく羨ましく思いました。この人は、今からご飯を食べに行ってもいいし家でテレビを見ることもできるし昼寝もできる、と思うと自分の縛られた状態がすごく嫌に感じました。 学校生活楽しかった!という方は、こういう感覚になったことはないですか? そして、家に帰ると(15~18時くらい)そこから寝るまでの時間(12時くらい)までの7時間ほどしか自由な時間はありませんよね。 会社員になればもっと少ないですね。 たとえその日学校や仕事を頑張っても、次の日ほぼ全く同じことをしなければならないですよね。 その七時間が貴重すぎて、なんだか毎日焦っていた気がします。 たとえ1分も無駄にしたくないような勢いです。実際には昼寝やネットサーフィンなどで時間をつぶしているだけなのですが、学校ではなく自分の意思で時間を使える事に私にとって意味があります。 同じような感覚のかたいらっしゃいますか? 違う感覚の方は、お家でゆっくりできる時間と会社や学校に縛られている時間の違いをどのように捉えていますか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
大学時代は,学生運動で午前中は学校に行き、午後からは学生運動で楽しかったですよ。 良く卒業出来たと思うくらい学校に行っていない。 夜はキャバレで,ギタ-弾いてアルバイト。 戦災孤児でしたので,生活するためにギタ-で流ししていましたが、 ご飯が食べられて寝る所と寮のある,キバレ-の応募に受かり寮に入っていました。 24時に,終わり新宿をぶらぶらして1時頃帰って寝る。 学校8時~12時 学生運動12時~17時 学校に集中時もある。 キャバレ 17時~24時 開店準備しなくてはいけないので17時出勤。 自分の時間24時~8時 ほとんど寝る時間ですので,遊ぶ時間ないですね。 小学時代は戦争で,学校に行く時間が少なく学校が嫌と思うよりも学校に行きたいと 思いました。
- マレンヌ(@Marennes)
- ベストアンサー率50% (396/787)
こんばんは。 >学校は地獄・・・ 私はあんまりそうでなかったです。部活は楽しいですし。ただ勉強はやらないと先に進まないので・・・確かに毎日で授業が嫌になる時も当然ありました。自由な時間が欲しい・・・切実です。 >高校も・・・マッタリしているお婆ちゃんをみるとすごく羨ましく・・・こういう感覚になったことはないですか? 高校時代、年中ではないですけれど、例えば下校途中の塾(予備校)等に行く前の休憩等でも喫茶店やファミレスでスイーツとコーヒーで好き勝手旦那の悪口やおめでたい話で煩く長居してる?奥さん方や、明らかにサボって時間潰してるサラリーマン見てると暇だな~誰のおかげでこうしてられるんだろう~平和でイイな~と白い目で見ることもありました。でもご老人とかは全然考えもつかず、快活なら元気だな~ぐらいでした。 こっちは自分のためとは言えこれから受験勉強で四苦八苦で帰宅時間も遅いしまた勉強も・・・学生は気楽と言うが全然楽じゃないんだ~と言いたくなる事もありました。一方で長期休暇の平日に遊んでると妙に気だるい時間の優越感を感じる変な気分もありました。 しかし・・・大人(そして老若男女問わず)は別次元で責任や生活を担いしがらみや問題、そして老いや積み重ねた疲労の肉体・心もあり大変なのですけれどネ。それ分かってない子供だったと言えます。 大学の頃も研究室が全ての様で楽しかったですし毎日が新鮮でやることも多々。でも好きで日々の勉学の部分とは別も当然欲しくなります。特に違う分野・非日常性。 しかし、社会人になった今、出張中の休憩や遅い昼食でご婦人方の談笑を見てると楽そうだな~とは思えなくなってます。 (実際は主婦・ママ友も大変です。息抜き出来てるのだろうか・・・?と思うくらい) これって結局昔は自分中心、その狭い範囲だけの世界による狭量な考えです。老若男女とも個人個人さまざまな仕事や苦労・問題を抱えてますす、大人になり一人で責任を持ち生きるほど日々の生活や責任は自分次第ですから・・・。 >自由な時間はありませんよね。・・・その七時間が貴重すぎて、なんだか毎日焦っていた気がします 勉強も仕事もまあまあ好きで苦痛ではないのですが、一理あるものの、趣味や余暇も必須で生きがい。フリーな時間はとても貴重です。一見無駄でダレてるような時間、また自分の事に熱中出来る時間があるから、日々の定常的な事にも立ち向かえられます。好きで忙しいのは良いが、自分の意志の自由時間が無いと、流石に息切れしますネ。それは大人でも一緒と思ってます。癒しや開放だけでなく仕事外の知識の習得やインスピレーションの時でもあります。 >お家でゆっくりできる時間と会社や学校に縛られている時間の違いをどのように捉えていますか? 好きな事で飯を食って生きていける、自分のためとは言え、義務や成果・対内外的責任等が仕事・学業。しがらみが無く自分の余暇や自由として開放できるのが自由時間となります。それが変形して仕事である場合もありますが(直近では想定の企画を考えたりetc)。その心理状況は様々で複雑もざっくりならば・・・。 頭の中が常に(休日もどこかで)仕事から抜けられない性格でそれがイヤな時もありますが、休みが減るも達成感や喜び・充実感は確かにあります。 でもそれだけでは生きていけない。考える暇ないほどの働きづくめで、時には辛くて金イラナイから休みくれとも言いたくなる事もありました。日常・自由時間のどちらも共通な事がNO.1で他は影響ない・・・ならば良いでしょうが、現実の私はそうもいかない。敢えて本業から外れる時間も必須です。 今の日常も、空いた自由時間が短くてもなるべく作ったり、その時は集中・熱中したり大切にしてます(リラックスもボケてる時も)。電車移動の際の時間や、生活の中の合間等々、長短とわずですネ。責務や義務があるから自由をより実感でき、その限られたわずかな時間が貴重かつ有意義に感じ大切となります。 長文愚答ですが参考になれれば幸いです m(__)m
お礼
ご回答ありがとうございました。
- haiji1996
- ベストアンサー率14% (232/1633)
専業主婦を経験したくて、数年間しましたが、毎日ヒマなのは私には苦痛でした。 目的意識を持ち、社会で自分の実力が認められ、自己実現できる充実感が欲しかったです。 今は夢だった好きな仕事をして、職場も職場の人も大好きだし、マイペースでいられるから、職場にいるのが全然苦痛じゃないどころか、とても幸せです。家は家で幸せだけど、仕事と休暇のメリハリがあってこそ充実します。 家で毎日ボーッとしていたいなら、ニートになって親に寄生して生きれば良いのでは?それが貴方の幸せなら。
お礼
やはり、毎日ヒマなのは苦痛なものなのですね。 経験した事ないと、羨ましい気もしますが確かにそうかもしれませんね。 毎日仕事が楽しいのはとてもいい事ですね。 職場にいるのが幸せ、というのは本当に恵まれていますね。 ところで >>家で毎日ボーッとしていたいなら、ニートになって親に寄生して生きれば良いのでは?それが貴方の幸せなら。 とのことですが私は一切こんな事書いていませんよね。 勝手に想像して、それに対して批判や嫉妬をする方って意外と多いんです。 ホントにやめた方がいいですよ。 ご回答ありがとうございました。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
>うと自分の縛られた状態がすごく嫌に感じました。 学校生活楽しかった!という方は、こういう感覚になったことはないですか? まったく思わなかったですね。 眠るときを除いてすべて何かやらねばならないことがあって馬車馬のように何かをやっていました。 >会社員になればもっと少ないですね。 たとえその日学校や仕事を頑張っても、次の日ほぼ全く同じことをしなければならないですよね。 就職した後も、私の職種が関係していたのかもしれませんが、毎日何らかの形で変わった仕事で、同じことを繰り返しているという感覚はありませんでした。たしかに他人から見ればかなり同じことの繰り返しだったと思いますが、ライン業務ではなく、日々ある程度自分のペースで動け、創意工夫が生かせる部分もありましたので、失敗も多く残念なこともありましたが、おおむね楽しい現役生活でした(さほど昇進もなかったし、順調だったわけでもなかったのです。)。 毎日残業が多かったし、休日出勤もあったので、たしかに余暇は貴重でしたから、趣味もがんばってやりましたよ。 >その七時間が貴重すぎて、なんだか毎日焦っていた気がします。 たとえ1分も無駄にしたくないような勢いです。 それを真剣に効率的に使うように実践したら良い人生になると思います。 私は定年近くになってやや時間にも金銭的にも多少余裕ができたように感じたので、旅行などもするようになりました。定年後の残り少ない時間は精一杯楽しもうと思っています。でも、なにぶんにも体力が落ちているので思ったように実行できませんから、やはり(登山やスポーツなど)若いときにやるべきことも多かったし、できなかったのを残念に思います。 >家でゆっくりできる時間と会社や学校に縛られている時間の違いをどのように捉えていますか? 上記の通り、本質的にどちらも貴重な自分の人生の時間であり、何も変わらないとおもいます。真剣にがんばって過ごすということでしょう。
お礼
>>まったく思わなかったですね。 眠るときを除いてすべて何かやらねばならないことがあって馬車馬のように何かをやっていました。 すごいですね。 何か夢中になる事があれば、無駄な事を考える時間がないからでしょうか。 休日出勤や残業なんて言葉は私にとっては地獄にしかうつりませんが、そういう考えとは全く違うのですね。 思いっきり頑張るという姿勢は素敵ですね。ぜひ見習いたいです。 別に、家の時間とそうでない時間を区切る必要は無いんですよね。 いつから、なぜ自分がこういう区切り方を始めたのか疑問です。 >>やはり(登山やスポーツなど)若いときにやるべきことも多かったし、できなかったのを残念に思います。 こういったご意見はよく聞きますね。 私も、折角なので色々な事に挑戦したいと思います。 ご回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25655)
それが学校なんじゃないかなぁ? 国・数・理・社・英+etc はっきり言って世の中で必要なのは「読み・書き・そろばん」 「人生何事も勉強ですよ」を教えてくれるのが学校、社会人になったら毎日同じことの繰り返しを教えてくれるのが学校、だと思いませんか?
お礼
何事も勉強、と無意識のうちに教えられていたから今の自分があるのかもしらませんね。 少し、質問の趣旨とは違うお話ですが参考になりました。 ご回答ありがとうございました。
- mak-nak
- ベストアンサー率33% (57/172)
お婆さん イコール マッタリ出来るとは限らないと思います。 持病有って、通院途中かも知れません。 それに年取る程、長い時間は眠れるものでは無いです。 体力の有る若い方々の方が長時間眠れるそうです。 私は学生時代、主婦は暇そうな人ばかりだと、思っていましたが、実際は…… 暇が欲しいし、地獄です。 まぁ極端ですが、主婦の殆どは、バタバタしていると思います。 仕事始めたら、今以上に拘束されると思うので、今を充分に噛みしめてください。 過去には戻れませんので、後悔しない様に今からでも、何か楽しい事を見つけて欲しいです。 今後の幸せを願います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
会社でも拘束されている意識はないです。40歳以降、何をしていても成果を上げれば評価が得られる ポジションでした。代打でホームランを打てば、あとはベンチでゆっくりみたいな立場もありました。 これまでの人生「会社にいくのが嫌」と思ったことが一度もないです。 拘束されない仕事意識を得るためには、必要な時は土日返上で会社にいきました。 ともかく熱中すると仕事がやめられなくなるタイプで・・・気が付いたら最初の妻が元彼と2年も不倫 してました。 離婚してからも仕事と自宅の切り分けなんてありませんでした。 45歳になっていましたから、再婚あいてを見つけようとしました。金もあったし顔もよかったので モテはしたのですが、相手は30代の人妻ばかりで平日はデートしても休日は私一人。 これはつらいですよ。お家でゆっくりなんて二日もいたら一人きりの広いマンションで目覚める孤独感に 耐えきれずに、アル中になるかネットナンパに耽溺するかしかないです。 ただ、この時期すごく本を読みましたね。 小説を山ほど読んで、映画も山ほどみて、ワインバーにも通って おかげで、女性を口説く際の話題にはことかかなくなりました。 いま自分の自由時間で何かやりたいということがないですね。 もうほとんどやりつくした気がしています。 それだけ私は先の妻に自由を拘束されていたのでしょう。 犬を飼いたい 好きな服をたくさん買いたい 不動産投資をしたい 海外にいきたい 楽器を吹きたい レストランやバーで豪華にくつろぎたい JAZZのCDを聴いていたい お洒落な映画をみたい 前のカミサンはまったく趣味があわずにすべてカネのムダだと 否定されました。 私は会社にしばられずに先妻に縛られていたのですね。 いまは理想の職場理想の妻で 縛られれている感覚まるでなしです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。