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愛している人と別れ これからどう生きていけば
回答をよろしくお願いします。 私は精神疾患もちです。 何年も前から大好きだった人がいました。 病気になったのはここではかけないような酷い目にあったからでした。 当時彼と出会った時はそのできごとが起きた後で荒れに荒れており 彼に迷惑をかけてしまったと思います。しかし彼は私をサポートしてくれ ました。 その当時は幼くて感謝の気持ちよりもどうしてこんな目に私はあうのだと 自分の涙に酔っていました。 病気と酷い目にあったからといっても本当に世間知らずでした。 今、昔を振り返ると情けなくて仕方ありません。 ただただ今は有難くて私のことを守ってくれた彼に ありがとうと伝えたいです。 そして病気がよくなるに従って私は彼の為になりたいと強く思うようになって 犯罪以外ならば何でもしよう そう思うようになりました。 ずっと何年も友達のような恋人ではないけれど不思議な関係でした。 私は今も彼を大好きで自分にとって唯一無二の人だと思っています。 でも彼に直接好きだと言われたことはありません。 告白をしたのですが「あなたとは結婚が出来ない。自分もいい歳だし 親から結婚しろと言われる。もし付き合って別れたらあなたが泣くから無理だ」 そう言われました。結婚が出来ない理由は明らかに私が病気なことが 関係しているでしょう。 凄くよくなって彼にも誰にも迷惑をかけず(まだ自分では苦しんでいますが) 今は仕事もしています。彼の中ではまだ昔の私のイメージ が強いのかもしれません。 彼は高学歴で家柄もよいのでそれもあると思います。 私ではとても釣り合いません。 本当は彼の傍に死ぬまでいたかったです。それが奥さんという立場で なくても何年かに一回でも近況を話せたらそれで満たされます。 しかし、はじめは結婚したら奥さんに私を紹介すると言ってくれていたのですが もう会わないと言われてしまいました。 そりゃあ奥さんができたら一応私は女だし、嫌な気持ちになるだろうなと 思い辛かったですが納得しました。 彼の気持ちが私に少しでもあったら私は幸せです。 無くても仕方ないと思いますが気持ちが通じていたら 思い出だけで生きていける気がします。 それは寂しいという人もいるかもしれませんが あれからたくさんの人と関わったけれど私にとって 彼以上の人はいませんでした。 彼は今まで誰にも好きと言ったことがないと言っていました。 だけど行動で私のことを好きなのかな?と思ったことがたくさんありました。 彼は凄くもてますが、私のことを素敵だと言ってくれたことがありました。 私の為に時間と労力を使ってくれました。 私だけには男を紹介したくないと言っていました。 いつも送り迎えをしてくれました。 好きだけじゃだめなんだよと苦しそうに言っていました。 もし付き合ったらそういうことをするけど俺できるかな。 できないかもしれないとも言っていました。 加藤鷹さんのエピソードがよぎったのですがこればかりは 分かりません。 私のことを好きだったかは彼以外分かる由もないですが お前のことだけは絶対忘れない 俺のことを好きになってくれて本当にありがとう。 いっぱい愛してくれてありがとう。 仕事頑張れ お前の幸せだけは本気で祈れるんだよ そういわれ、それから連絡も取っていませんし会ってもいません。 彼にとって私は唯一無二ではなかったのでしょう。だから もう会わないという結論に達したと思います。 それでも私は彼が好きです。 質問は私はこれからどうやって気持ちの整理をつけて 生きていけばいいかということです。 命がけで恋した分、喪失感が凄いです。 自分なりに体に気を付けて仕事に真面目に取り組んでいます。 彼が仕事を頑張れと励ましてくれたから資格の勉強もしようと思っています。 そうやって前向きな気持ちになる時もあるのですが やっぱり友達でもいいから傍にいたいと思ってしまいます。 必死に彼の為に連絡しないようにして 病気もちの私が彼の傍に行かないことが彼の為になると思い 頑張っています。 何かアドバイスをいただけないでしょうか。 つらつらと長文を書いて申し訳ないです。 読んで下さってありがとうございました。
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- Glory_777
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苦しいでしょうね。 しかしそれが最初の出会いであり、別れなのだと思います。 たとえ報われても、いずれは死別します。 人にはそれぞれ幼少の環境がありますから、 不運にも出会いと別れについて経験が遅れる場合があります。 または経験できない場合もあるでしょう。 ですから彼がいなければ、最初の一回が一生無かったかもしれません。 しかし考え方を変えれば、 本来の世の中は、彼の様な人が無数におり、 同じような愛を与えてくれるために、ずっと待っているではないでしょうか? それぞれは素晴らしすぎて、選べないと言うくらい、 美しいのかもしれません。 そして、いずれは自分が彼のようになり、 お返しに多くの人に美しい思い出を与える立場になるのでしょう。 これまでが辛すぎると、 ほんの少しでも幸福を得たいと思いますよね。 それすら無くなると思うと喪失感も強いはずです。 しかし私は思うに、この辛さは、ある種の罪が原因になっていると感じます。 今回はそのお話をしますね。 人はスタートラインが辛すぎますと、どこかで妥協して多くの幸福を諦めます。 そうした方にあうと、 「たった一つでも良い、生きる望みを得られる、小さな幸福が欲しい」 と言います。 これは一見してよいことに思えますが、実は罪の一つになると思うのです。 自分の人生は、自分のものではありません。 何がしか役割があり、それを探して、まっとうしなければいけません。 自分の幸福を守ってよい理由は、 この役割を担うために、自分を守ってよいという理由から派生していると考えます。 たとえ彼を得ても、それは自分の穴を埋めるだけであり、 その先にある、何がしかの役割を満たすという思いには通じていません。 確かに小さい望みなのですが、 小さいから満たされてよいというわけではなく、 大きい望みを持つからこそ、必要なステップとして与えるべきなのです。 ですから、 多くの人が大きな望みと小さな役割を満たすために、パートナーを求めています。 誰かを得ることをゴールにすると、 相手の方は(一般には)その先の望みと、与えられた役割に悩んでいますから、 「そこがゴールならば、共に歩めない」 と言うでしょう。 好きであることと、共に歩むことは別なのです。 しかし、いま傷ついてそこまで考えられないときもあります。 そうしたとき、 人はその人に愛を与えて傷を癒します。 人が本当に人とであったと感じたとき、 そこには愛があるでしょう。 しかしそれは最初の出会いであり、 傷を癒すため心を育てるために使われたものであり、 そこをゴールにしてしまうと、その愛が無駄になるのです。 最初に出会った愛は無償で与えられるものです。 これを最後として、それだけで終わりにしようと考えると、 それが間違いであるとして、自分が自分を苦しめるのです。 では次の出会いは、何を知らないといけないのか? そういったものが唯一無二ではなく沢山あり、 今まで知らずにいたことを知り、改めて感謝し、世の中を愛することです。 そして、その先にあるもっと多くの望みを自分に許し、 小さな自分の役割を探し果たそうとすること。 最後は誰かに何かを与えるために、パートナーを望むことです。 あまり恵まれすぎないでいますと、 一つの幸福を最初で最後の機会だと捉えてしまいますよね。 ある人には、「岩にかじりついても」といわれたことがあります。 しかし、執着が強くなれば、期待も大きくなります。 これが妄執に発展しますから、機会そのものが活かせません。 これは誰でもある悔しい話ですし、不条理の一つです。 逆に根拠無く、正当な努力も無く、何かを得てしまうと、 最初で最後の機会を得ても、まだ良いものがあると思い込んで、 ぞんざいに扱ってしまうことがあります。 よく甘やかされて育ったとか表現されます。 これも良くある話でしょう。 こういう状態ですと、 最初で最後の機会であっても、他にもっと良いものがあると、 あわててしまい、他のものがよく見えてしまいます。 我慢できずにその場を離れ飛びついてしまいます。 ですが、最初で最後の機会であった場合、 飛びついたものは前よりも悪いものであるはずです。 これに焦って、 「前の方が良かった。自分が愚かだった」 と思えば良いのですが、 「探せばもっと良いものがある。今から取り戻すんだ」 と愚かさを認めるのを嫌い、更に他を探します。 こうなると、組織や相手を次々に変え居場所をかえ、 旅を続けることになります。 このように安住の地を得られないという人もいます。 どちらも地獄でありましょう。 地獄であるからこそ、苦しいのでしょう。 またどちらにも罪が無いように思えます。 しかし、罪が無ければ罰もなし、苦しくも無いはずですから、 気がつかない罪があるのですね。 私は、罪が無いのに苦しいということは無いと信じています。 気がつかない罪があり、それが苦しさに結びつくと考えています。 不条理とは、自分が知らない罪のことでしょう。 こうしたことに思いやって、一つ一つ気をつけていくしかありません。 ではさきほどの例え。 恋をする地獄、旅をする地獄は何が罪なのでしょう。 それは、 「たった一回で勝負を決めて、そのあとはずっと楽をしたい」 そんな気持ちが根底にあるからです。 一回だけならば死ぬほど努力する。 それは、虫が良いということです。 質問者さんの場合ですと、 彼以外とも恋をしないといけないと成ります。 しかも恋の先にある、大望をつくり、小さな役割をつくり、 これのために多くの人と出会い、 その中から一番良いものを自分で選ばないといけません。 多くの人が等しく、彼と同じく、愛を与える能力があると保障し、 それを多くの人に伝えないといけません。 一回の喪失は大変辛いですが、これを何度もすると誓わないと行けません。 この覚悟によって葛藤を消せないといけません。 失ったものを望みすぎると、それは未練に成ります。 最初で最後の物とする気持ちを、それは嘘であるとしないといけません。 「こんな相手は二度と出会えない」 もし本気でそう思った場合、 その相手以外の生きている全ての人を否定していることになります。 またそういう人であるならば、 他の人に譲るべきかもしれません。 一見して美しく思えても、実は罪を肯定するためのいい訳であり、 実際にそれをすると苦しくなるのですよ。 どうしてこうなるのか。 考えて見ます。 恋が苦しいのは、それを成し遂げようとするからでしょう。 たとえ気持ちが本気であっても、誰かを我が物にすることは、 無理でしょうし、罪でしょう。 同様に誰かのものなっても罪でしょう。 人の精神は、その人の肉体とその人の役割を守るための守護者であって、 その人の肉体や役割を阻害できません。 愛は他の人の傷を癒すものであって、相手を拘束するものではありません。 愛を与えられたとき、 愛を無尽蔵に生み出す金の鶏と思い込み、 自分の檻に閉じ込めて、利用し続けようとしてはいけませんよね。 人は、自分を与えることも、他人を得ることも、できないのではないでしょうか。 そうした権利が最初から無いのだと思います。 恋が苦しいのは、それが禁じられた望みであるからでしょう。 誰もが一度は望みます。 これを美化して語る物語もあるでしょう。 しかし叶えてはいけないものとしているお話は少ないですね。 誰かを望み誰かに望まれるのは、最初の一歩であり、 ゴールとしてはいけないのだと思います。 そこをゴールとして信じたいと思っても、 その後は休みたいという想いが根底にありますから、 叶わないのです。 例え相手と恋人関係になり、結婚をしたいと考えても、 どちらかが恋をしていた場合は、うまくいきません。 どちらかが相手を得ることをゴールとしているからです。 その気持ちの根底を変えれば、 すぐにそこから事情が好転すると思います。 例えば男性でも、彼女が欲しいという子供っぽい思想では、 そこがゴールになっていると、相手の女性に気付かれます。 それが故に若い青年は、女性に避けられてしまいます。 こうした不足感が続けば、これは妄執になり、より酷い状態になります。 結婚をゴールとする女性も同様です。 果たして相手の方は、わが子に愛をあたえらえほど、 自分を愛して満たされているのか? 例え幼少の頃に両親から愛を得られなくても、 役割として必要になるのは仕方がありません。 だとしたら、 今の自分を多くの出会いにより、満たすしかありません。 過去を嘆いて不足していると訴えることはあるでしょう。 先にある責任を思ったら、それは尋常ならざる事態です。 一人の彼に執着をすると、同じ事を自分が繰り返してしまいます。 多くの愛を得て、誰かに与えられるくらい満たさないといけません。 自分が幸せになることを望みすぎると、 わが子をペットと勘違いし、自分の幸福の材料に加えてしまいます。 幸福な家庭と言う幻想の道具にしてしまいます。 こうした被害者であるならば、余計にここを避けないといけませんよね。 そうなって始めて、何もかも変わってみえるでしょう。 そこまでは自分を見捨てないことです。 以上、ご参考に成れば。
事情はともあれ、失恋からの回復には、定番があります。 1、容姿が二段階以上美しい場合。 2、経済力が遥かに高い場合。 3、包容力や知性が遥かに高い場合。 4、社会的地位が遥かに高い場合。 他にも色々とあるにはありますが、これらのうちの手頃な人との出会いを求めれば、中には相性の良い人が出てきます。 どちらにせよ、前向きにならなければ、だめ。
- tef84754
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男性の方にも、あなたにでさえお話をすることが出来ないような、何かしらの個人的な事情が必ずあるものだと思います! 男性はあなたの事が間違えなく大好きだったと思います、そして今でも、それは変わらないとも思います! しかしながら、その男性にもご自分の家族や身内や親戚の関係もあるでしょうし、自分1人だけの気持ちを優先には出来ない何かのしがらみみたいな事情もあるものだと私は思います! 昔ながらの幼馴染みたいな? どこか? そのようなニュアンスも感じてしまいますね? 仮に、これからの未来にそれが例え、音信不通になったとしても? その男性は、時々は必ず、あなたの知らないようなどこかの場所で? あなたのことをいとおしく、そして、心配していることと思います! ですから、あなたは自分なりに、これからの人生、もっともっと強く生きて行かなければならないのです! そして、いつの日にかの未来に、また、その男性と偶然にでも町で出合った時には、昔よりも今までよりも、もっともっと、大人になったあなた自身を見てもらえるように! そのような行動をこれからも常に心がけて毎日を生きて行くようにして行く事が、あなたがこれからも出来る、彼へのたった1つの恩返しになるのではないのでしょうか? 出会いと別れは、長い人生のおいては常に「付き物」です! 忘れる必要はありません、しかし、いつまでもそれを悪い意味で引きずってばかりもいられません! おそらく彼も、これからのあなたに期待をしているはずなのです、その期待に少しでも近づけるように、これからのあなたは、彼の気持ちのやさしさの分まで、素晴らしい人間を目指して生きて行く事が彼への贈り物になって行く事でしょうね? そして、またいつの日にかの未来に、本当に縁があれば必ず再開をする事が出来ると思いますので、彼のハートの分まで、あなたが自身がそれを土台にして、これからも前を向いて努力を続けて行って下さいね! 彼は、あなたの事を絶対に忘れる事などありえません、それを心の中に背負って頑張って行けば良いのです!
- sakuragarihira
- ベストアンサー率17% (30/175)
なんとも、言葉に出来ないのですが…。 難しいですね、ご縁がなかったとしか。 うまく行くご縁、うまくいかないご縁は、案外他人には早く分かるんですよ。ここまで来る前に、第三者に相談しちゃったほうがよかったかも、知れません。 ただ、少しだけ真剣に考えてみてはどうでしょうか。 彼があなたへ傾けた愛情は、果たして恋人、異性に対して向けた愛情と言えたのか、どうなのか。 精神状態に合わせてゆっくりでいいです、むしろ考えきるために丁寧に、時間をかけて、考えてください。 あるとき、たぶんすべて、「あっ」と、納得できます。それが沈み込んだあなたの大きな浮力になります。 負けないで。