• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:努力も人への親切も全て無駄なのでしょうか。)

努力も人への親切も全て無駄なのでしょうか

このQ&Aのポイント
  • 努力も人への親切も無駄なのかと悩んでいる私。
  • 祖父の人生や最期を見て、努力も優しさも全て無駄じゃないのかと思う。
  • 生きるのも辛いけれど、頑張るのも努力も無駄なのか。皆様のお考えを教えてほしい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

とてもお辛いことでしたね、おじいさまのご冥福をお祈りいたします。 質問者さん、うまく言えないのですが私から言わせてください。 おじい様の人生は無駄に思えているのかもしれません今は、でも本当はそうではないですよね。 おじいさんの話を読むと大変な人格者だったのですね、きっとおじいさんは心がとても優しかったのだと思います。しかしながら悲しいことに、道徳者の家族、配偶者や息子が立派な人物であるとは限らないということが世にはあります。それはおじいさんのせいではないですよね、おじいさんは逆に欲深い周りの人間たちに囲まれていて本当に大変だったと思います。そのストレスで認知症になったのかもしれません。 >人生は辛いなと思っている今、頑張って生きるなんて無駄なのかなと。 おじいさんの人生は無駄ではありません。そんなことはありませんよ。悲しまれているのもよく分かりますが、おじいさんは天から与えられた寿命まで懸命に生きられた素晴らしい方だったと私は思います。可哀相な晩年だったと同情することはやめませんか、それはおじいさんをますます悲しませることになります。生きているこの世界が損得で動いているからおじいさんが可哀相に思われてしまうのもわかりますが、こんな素晴らしいおじいさんのお人柄をどうぞを誇ってください。魂のレベルでみればおじいさんがどれほどの崇高で気高い方であったか、よくわかります。 どうぞあなたが大好きだったおじいさんを再び愛し心の中で慈しんであげられてください。人生に意味はあります。無償の人格者であったおじいさんを愛おしく思って誇ってください。 また弱者を排除した人間には必ず罰があたると思います。人生そんなにうまくいきますか。今に見てろと思っていてもいいことです。

kuronekohompo
質問者

お礼

親身になってくださり、本当にありがとうございます。回答を読んで、思わず涙が出てきました。 顔も見えない、ネット上でのご相談だというのにこんなに祖父のことをわかってくださり、本当に嬉しく感じました。 おっしゃる通り、祖父は人のいるいないに関わらず、人のためになることを当たり前だと思って行っておりました。 そんな祖父の姿を見て、両親でもなく、兄弟でも教師でもなく、祖父のような人になりたいと思っていたのです。 あの人たちには本当に罰があたってほしい…と思いますが、あまり考えるのもよくないですね。 祖父は素晴らしい人だったと、それは私がよくわかっています。晩年があんな状況だったからといって、それを否定してはいけませんね。祖父を誇りに思い、生きていきたいと思います。 人生どうなるかわかりませんが、精一杯生きていきたいです。 ご回答、本当にありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

まずはおじい様のご冥福をお祈りいたします。 人格者であったおじい様の最期がそのような形になってしまったことは、 他人ながら本当に悲しく憤りを感じます。 気の毒でなりません。ひどい話ですね。 しかしながら、ご存命の時のおじい様を知っているあなたが、 おじい様の悲しい最期にとらわれ人生を投げやりになってしまうことを あなたのおじい様は望んでいらっしゃるでしょうか? それは望んでおられないでしょうね。 悲しみが癒えるまで何度も泣けば良い。 それと同時に殺されたのも同じだと 相手を恨む気持ちもわいてくるでしょうが、 そこはグッとこらえて優しかったおじい様を思い出し、 恨みの感情は消しましょう。 恨みは何も生みません。 生まないどころか自分の思考を悪い方へ誘導します。 今あなたはここにいますね。 だから無常感や無力感の取りつかれて前に進めなくなってる。 おじい様の姿、肉体はこの世からなくなりましたが、 あなたの心の中であなたが生涯を閉じるまで、 あなたと共におじい様は生き続けます。 人生は辛いものだけでも楽しいだけのものでもありません。 辛いことも楽しいこともあるのが人生です。 おじい様から教わったことがたくさんあるのでしょ? あなたはその教えを支えにして あなたが人生を閉じるまで懸命に生きなければなりません。 今は希望が見えなくても、 今を懸命に生きていれば希望は必ず見えてきますよ。 懸命に生きてない時に希望など見えるはずもありません。 因果応報。 悪いことをした人にはそれなりの報いが必ず訪れます。 あなたが手を下さなくても必ず。 そういう人たちのためにあなたの人生をダメにするのはばからしい。 あなたはあなたの人生を おじいさんに教えてもらったように生きる。 頑張りすぎずに頑張る。 そうしてほしいです。

kuronekohompo
質問者

お礼

顔も見えないネット上での相談にもかかわらず、同じように憤りを感じてくださって、本当に感謝いたします。 涙があふれてきました。 祖父の最期は、本当にある介護士に暴力を振るわれ、頭蓋骨を骨折し脳に損傷を負い、病院に運ばれ、苦しんだ後に亡くなりました。 その状況に陥った原因である私の叔父家族にも、その介護士にも恨む気持ちをすぐに消し去ることはできません。 しかし…そうですね、恨みは恨みしか生まないと、私もそう思います。 できる限り、考えないようにしていければいいな… 今のところは希望があまり見えていませんが、懸命に生きてこそ見えてくるものなのかもしれませんね。 道を示してくださってありがとうございます。 因果応報ということを、今は全く感じられていませんが、いつかは彼らに返っていきます、よね。そう信じたいです。 祖父に恥じないような人生を歩みたいです。祖父のように人のために、見返りを求めず動けるような人になりたいです。 精一杯、生きていきたいです。 とてもお優しいお言葉を本当にありがとうございました。 頑張りたいと思います。

  • r-zoku
  • ベストアンサー率44% (24/54)
回答No.4

境遇は不運だったかもしれませんが、お祖父様がくれた農業の楽しさや、一緒に過ごした時間は主さんの中にあります。 たくさんの人ではなくとも、たった一人でも死んだあとに「大好きだった」と思ってもらえたらお祖父様は幸せだと思いますよ。 認知症になったら施設のお世話になるのは仕方がないと思います。 介護は過酷ですし。 施設に預けたら会いにも行かず淋しい晩年を迎える方もいます。 何度も施設に会いに来てくれる孫娘、施設にいても幸せだったと思いますよ。 私は祖父がやはり認知症で施設にお世話になりましたが、ちょうど出産、育児と重なり、また感染症等のため子供の見舞いが禁止されていて外部の病院の付き添いくらいしか会いに行けませんでした。 読んでいて、こんなに思ってくれる孫娘がいたお祖父様の人生を、何より大切なあなたに「無駄だったのか」と思われるほど不幸な事はないと思います。 でもそれは、それだけあなたもお祖父様の事を大切に思っていた証拠です。 悲しいですし、憤りも覚えるでしょう。 全てが無駄ではなく、あなたの中の思い出が幸せそのものである、と私は思います。

kuronekohompo
質問者

お礼

全てが無駄ではなく、私の中の思い出が幸せそのものである。と、r-zoku様がおっしゃってくださったこと、とても胸に響きました。 あれほど人に尽くしてきた人が、あんな思いをして去っていったなんて、とても信じたくなかったのです。 人に優しくした分だけ、祖父には幸せになってほしかったのに、と今でもそう思いますが… 私の祖父に対する想いだけは変わらないでおこう、そう思えました。 とても優しい言葉をありがとうございました。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.3

あなたの認識自体に疑問を感じます。いい人なら息子をまっとうに育てられたはずです。つまり、前提に間違いを感じました。

kuronekohompo
質問者

お礼

いい人であるから息子をまっとうに育てられる。申し訳ありませんが、その前提自体は間違っていると思います。 いい人であっても、その息子はその人とだけ接して育つわけではありませんよね。 誰と出会ってどんな学校に進み、どんな仕事をして、どんな趣味を持っているか。それで人は変わります。 祖父は素晴らしい人でした。それは誰がなんと言おうと絶対に変わることはありません。

回答No.2

見返りがあるからするものなんですかね、努力とか親切とかって。 例えば仕事でも手を抜こうと思えばいくらでも抜けるけど、私は最善を尽くします。 それは、他人からの評価というより、ちゃんとやらないと自分が気持ち悪いから。 人が困っているときもそうですね。 声をかけなかったことを後でうじうじと 悩むくらいなら声をかけよう、とか。 結局、自分がどうありたいかじゃないですか。 見返りがないなら適当に生きるさ、という生き方もあるだろうし、こうありたい、こうあるべき、というのを貫くのも立派な生き方だと思いますよ。

kuronekohompo
質問者

お礼

いえ、見返りがあるから行うものだとは私も思っていませんが、あまりに祖父の状況がよくなかったと感じておりましたので、 なぜ人にこれだけ優しい人がこんな思いをしなければならないのかと悲しくなっておりました。 自分がどうありたいか。その通りですね。 祖父のように生きたいですが、晩年の祖父のようにはなりたくないと思い、怖かったのです。 人生どういったものになるかはまったくわかりませんが、精一杯生きていければ、と思います。 ご回答ありがとうございました。

回答No.1

これを読んで連想するのが「ヨブ記」ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98 心安らかな人はどんな境遇にあっても、きっと心安らかでしょうし、 何でも辛いとラベル付けする人は、きっとどんな境遇にあっても辛いでしょうね。 あなたはお祖父様を悲しく辛い晩年だったとラベル付けしていますが、 もしかしたらそれこそがおじい様にとって最も悲しいことかもしれません。

kuronekohompo
質問者

お礼

ヨブ記、初めて知りました。 確かにおっしゃる通りかもしれません。何を辛いとするかは人によりますものね。 祖父が晩年をどのように感じていたのかは今となってはわかりませんが、それを私がどうだったかと決めつけてしまうのは、祖父にとって嬉しいことではないですよね。 ご回答ありがとうございました。あまり考えないよう努力しようと思います。