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友人関係とはステータス?
- 友人関係はステータスの為だと考えている方はいらっしゃいますか?
- 友達を持つことは自分のステータスを高めるための手段だと思っている人は多いです。
- しかし、友達が少ない人はそれを問題視され、性格的な問題があると思われることもあります。
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自分自身、友達はステータスだったかもしれません。 それは、友達が少ないというのは人間的に問題があると思われる、自分が暇な時に遊びに付き合ってくれる、男関係で紹介してくれたり、取り持ってくれたりと、利用できるというような意味です。 だけどそういう人達って、一緒にいてもあまり楽しくなかったり、心の底から信用できないんですよね。遊びに行って帰ってきたら妙に疲れたりだとか。 そして何年か前に、思い切って友達の断捨離したら楽になりました。誘われても、メール無視するか、適当な理由つけて遊ばないようにしました。親友一人しかいませんが、大事にしているつもりです。 >>じゃあ本当の友達とはなんでしょう? 他の人には話せない深い話ができる人ではないでしょうか? 人間だから全部はわかりあえないとは思いますが、それでも他の友達よりも深く話せる人だと思います。 私は世の中の女子の多くは、友達はステータスだと思っている人が多いと感じます。 結婚式に呼ぶ友達が少ないと嫌だからか自分の結婚式が近づくと連絡とってくる人結構いますしね。
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- noaruanjyu
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アラフォー世代のアナログ時代の者です。 太宰治の「走れメロス」って読んだことありますか? 親友とはこの本の通りのことだと思います。 相手から親友だと言われるではなく、貴女自身が大好きだと思える友達はいないんですかね? いないのなら、貴女自身が相手のことをよく見てあげてないってことですよね。友達の良いところを見つけて尊敬し合えたり励まし合ったり出来たらそれはステータスじゃなく立派な友達じゃないでしょうか? 本当に分かり合えるようになる為には貴女自身が心を開く必要がありますよ。 まずひとりひとりの友達の良いところを言えるのでしょうか? たぶん貴女の場合、悪いとこばかり見てしまう傾向があるのでは? 取り合えず仲良くしておこうって感じなのかな? 一期一会って言葉がありますよね。 これは千利休の言葉です。 私の勝手な解釈ですが、昔の人は交通手段や連絡手段が容易ではなく、出会うのにも一苦労だったはずです。ですので、この先出会うことのない一瞬の出会いでも一つ一つの出会いに全力でもてなし大切にしようという意味でこの言葉が出来たのかなと思います。 ですので一つ一つの出会いを意味のある出会いに変えるのは自分次第なんですよ。 貴女が冷めた気持ちで友達に接するのも熱い気持ち接するのも貴女次第です。 熱い気持ちで接すれば何かが変わるかも知れません。 まぁ確かに今のネット社会のせいで、リア充ぶりをネットでアピールする方達が沢山いるので、友達が沢山いることをステータスに考えている人達が多いのかもしれません。ネット世代の若者はちょっと可哀想かなと思います。 若者は色々悩んでみてください。
お礼
>>まずひとりひとりの友達の良いところを言えるのでしょうか? たぶん貴女の場合、悪いとこばかり見てしまう傾向があるのでは? ここなのですが、 初めて会った相手で、私が仲良くしたいなーと思った子に対しては、優しく気遣って、盛り上げて、可愛い~とか言って褒めて、それも心の底から思っています。 ただ、だんだん仲良くなっていくにつれ、ココが嫌、とか悪いところが目についてきます。 そうなると、あの子と遊んでもイライラするだけだし。と思ってこちらからは誘わなくなります。 相手が私の態度の変化に気づいているかはわかりません...基本的にみんなから優しくて面白いなどと言われるので、えっ、私あなたに冷たくしてるのに?なんて時もありよく分からなくなります。 走れメロスに関しては、メロスは自己中だなぁと思ってしまいました。 友達もそう言っていました。 感性がちょっと寂しいですかね。 >>貴女が冷めた気持ちで友達に接するのも熱い気持ち接するのも貴女次第です。 たしかに、そうですね。 熱く接してみるのもいいかもしれません。変わるのは自分から、なんていいますよね。 人の悪いところばかり目について、会いたくなくなるという癖をもう治したいです。 参考になります。 ご回答ありがとうございます。
50代個人事業主です。 文章から推察してお若い方とお見受けいたします。 あなたにはあなたの考えがあるし否定もしませんが、人間関係をかなりドライに考えてるところが少し気になりました。 私は友達、友人は作るものではなく自然とできるもの、と思ってます。 自分を無理せず他人と交流して話の合う人、感覚の合う人、いろいろなケースがありますが、時間をかけてお互いを理解しあい自然と仲良くなる、という事が大切だと思います。 友人関係には利害、損得があれば真の友人ではないと思います。損得関係はビジネスの問題です。 また上下関係があってもいけません。年齢の上下はあってもお互いが対等でなければ友人とはいえない、と思います。 社会人になれば学歴、就職先や収入、結婚、出産、起業などだんだん個人の資質で世間でいう格差も出てきます。 それも気にせず対等に付き合えるのが友人でしょうね。 決して羨んだり、蔑んだりしてはいけない。 私は知人は多いですが、友人は少ない。でも大人としてのいい友人が何人もいるので心強く思います。 真の友人とは、長い期間付き合え、お互い遠慮なく意見をぶつけ合え、困った時は助け合い、心の支えとなるものかな… 大人になると、親、兄弟、家族に言えない悩み事はたくさんでてきます。 男は家族には仕事の愚痴や弱音を吐くことはできません。 私たち男は友人関係、数で自分の価値を他人に誇るものではありません。 自分の努力、実績、人格で自然と男としての価値、器量を世間が判断する。 世間の評価は厳しいが確かでもある。 どんなにお金持ちで成功者、誰もが羨むような人でも実は真の友人がいないで孤独だったり金の切れ目が縁の切れ目、死ぬときは孤独死なんて嫌というほど見てきました。 真の友情は力や金では買えない。 いいお友達に恵まれ幸せな人生を送られることをお祈りいたします。
お礼
>>私は友達、友人は作るものではなく自然とできるもの、と思ってます。 そうですよね。 ただ、小学校ではまさにそんな感じだったのですが、中学校ぐらいからは可愛い子のグループとそうでない子のグループに別れていきました。 大学は顕著です。美人と可愛い子のグループには、誰1人としてブサイクな子や地味な子がいません。 どこの大学を見てもそうです。 じゃあ、結局みんな自然にくっついている訳じゃなくて、見た目で判断しているんだなー。と思います。。 >>また上下関係があってもいけません。年齢の上下はあってもお互いが対等でなければ友人とはいえない、と思います。 本当にそうですね。 私は、コレを自分の中で勝手に作ってしまっています。 可愛くて頭がいい子、可愛い子、普通な子、普通で頭がいい子、普通で頭が悪い子、みたいな感じに分けて考えています。。 自分自身、友達に遊びに誘われるのは、学歴があって顔が良いと判断されているからだと思っています。 私が学歴が無かったら果たして遊んでもらえるかは疑問です。 私がすごいブサイクだったら絶対に遊んでもらえません。 それで、自分よりも格下だと勝手に判断した相手に対しては、あなたの彼氏はブサイクだとか言ってみたり、自分の彼氏はすごく格好いいんだって自慢したりしています。 その相手に嫌われてもおかしくないと思うのですが、なぜか遊びに誘われます。私からはあまり誘いません。それが不思議なのです。 >>社会人になれば学歴、就職先や収入、結婚、出産、起業などだんだん個人の資質で世間でいう格差も出てきます。 それも気にせず対等に付き合えるのが友人でしょうね。 社会人の人たちで、格差が出てくると、同じくらいの人たちでつるむイメージがあります。 そうでも無いのでしょうか。格差があっても、自分よりも下のひとに対して対等に接せるなんて素敵な方ですよね。 まだ学生なこともあるかもしれませんね。 社会人になったら変わってくるかもしれません。 死ぬ時に孤独死は嫌です。考え方を変えなければいけませんね。 参考になります。 ご回答ありがとうございます。
- gokuu999
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こんにちは、アラサー女です。 あくまで私見ですが、 多少は私も、ステータスと思うことはあります。 友達はいるに越したことないし、 尊敬できるような人が友達なら、やっぱり嬉しく思いますから。 >結局、友達とはステータスの為にみんな作っているんじゃないかな、と最近思います。 それだけではないと思いますよ。 もちろん、学校のクラスのグループみたいな感じだと、 「友達いない」のは辛いから、多少合わなくても好きじゃなくても、無理しても「友達」として振舞う場合もあるでしょう。 友達が多いこと = 自分の価値が大きい 確かに、こういう考え方はあるし、私も少ないよりは多い方がいいと思っている。 でも、それは友達というより、人脈かな。 でも、私にとっての「友達」って、 何だかんだで、物質的にも精神的にも距離が離れても、 お互いに「友達」と認め合い、いつでも連絡取れる人たちです。 そう、毎年のように新しい出会いはあるし、 いつの間にか疎遠になっていくような人もいます。 その中で、環境が変わっても「私の大事な友達」と思える人が、 私の友達です。 親友だな・・・と思っていたような人と呆気なく仲たがいしたり、 学校卒業して10年も会ってなかった子と再会し、昔の続きのように話が出来たり、 友人関係って、いつどう変わるか分からないじゃないですか。 >じゃあ本当の友達とはなんでしょう?切磋琢磨して、分かり合えて、何でも相談できるのが友達でしょうか? 勿論、それも素敵な友達ですよね。 学生時代に、共に励み活動した友達とは、今でも「絆」があるように思います。 知り合って間もないけれど、「この子とは何でも話し合えるな」という友達もいます。 でも、全部の友達と「絆」を感じている訳じゃない。 世間話しているだけで楽しくて満足な人もいるし、 長年の「絆」があるからこそ、余計なことは話さない人もいます。 要は、付き合い方も相手次第。 恋話しかしない子もいれば、 馬鹿話で盛り上がって楽しい友達もいるし、 実は全然話は合わないけれど、一緒に頑張ったという「絆」を感じ、今後も大切に付き合いたい友人もいる。 仲良いと思っていても、よく考えれば面倒で、疎遠になっても気にならない人もいるし。 全部ひっくるめて、私にとってのステータスですね。 ステータス求めて友達を作ろうとは思いませんが、 結果的に、人間関係に関してのステータスになっている感じ。 勿論、「この人と仲良くしておくと得だろう」という打算もたまにはありますが。 そういう相手は、友人というより、先輩や上司ですね。(それでもあまりに合わなければ仲良くできない) いつでも連絡取れてお互い気にかけ合える友人がいる。 気楽に誘い合って、他愛もない話をしながら楽しくお酒を飲める友人がいる。 離れていても、絆を感じられる友人がいる。 ちょっと辛いときにや困った時には、相談したり話を聞いてもらったり出来る友人がいる。 これって、すごく幸せで心強いんですよ。 辛い時、実際に話はしなくても、友人たちの存在が心の支えです。 それは、私が彼らを大好きだからです。 ただステータス求めるだけじゃあ、こんなにも長く友人を愛せません。 友達は多いに越したことない。 でも、学校を卒業して社会人になると、 友達との付き合い方や、価値観も変わります。 そのときに、どれだけ学生時代の友達が身近でいてくれるかって、重要です。 長く友愛を感じられるお友達がいてくれるといいですね。
お礼
>>でも、それは友達というより、人脈かな。 確かにそうですね。 人脈が広がって、なんとなく遊びに行ったらもう友達だと考えています。 友達と人脈を分けて考えないといけませんね。 >>毎年のように新しい出会いはあるし、 いつの間にか疎遠になっていくような人もいます。 そこなのですが、相手から誘われて、断り続けたらもう疎遠になってしまいますよね。 私が、もうこの子と遊んでもイライラするから、と思って断り続けると、疎遠になります。 私が無理矢理疎遠にしている感じです。どうせ毎年友達増えるから、みたいな感じで... これはこれで寂しいな、と思いました。毎年増えるにせよ、今いる友達を大切にできたらいいのに...と思います。 >>全部ひっくるめて、私にとってのステータスですね。 ステータス求めて友達を作ろうとは思いませんが、 結果的に、人間関係に関してのステータスになっている感じ。 友達関係って流動的なのが当たり前なんですね。 どう変わっていくかわからないし、人によって遊び方も変わって来ますよね。それが当たり前として考えていいのですね。 全体としてステータスになっている、ですか...確かに、私も最初からステータスを作ろうと思って友達を作ってきた訳じゃない事を思い出しました。 ふと気づいたら、ステータスのようになっていたので不安になったんです。 そうじゃなくて、結果的にステータスのようになるのは当たり前だと考えてみます。 もうちょっとで社会人になるので、考え方を改めていきたいと思います。 参考になります。 ご回答ありがとうございます。
- eroero4649
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私も比較的友達は多いタイプですが、質問者さんの考え方とは少し違います。 ただ、質問者さんの考え方が非常識かというとそうは思いません。そういう人もいるだろうなと思いますし、付き合いが多い人は質問者さんみたいなタイプが多いのではないかと思います。 ちょっと難しくいうと、多くの人たちは利害感情で友達づきあいをしているんじゃないかってことですよね。たぶん、それは正しいと思います。結局なんだかんだで利害関係でくっついているというのが現実は多いです。 では、本当の友達とはどんな友達か? それは、利害関係でくっついていない友達なんだと思います。こいつと付き合っても異性を紹介してくれるわけでもないし、何かお金儲けができるわけでもないし、お酒を奢ってくれるわけでもない。だけどなんの利害関係もステイタスもないけれど友達づきあいができるというのが、本当の友達だと思います。 だから、そういう意味では質問者さんには本当の友達はひとりもいないんじゃないかと思います。でも、それは間違ったことでもなんでもありません。質問者さん自身の価値観が本当の友達を求めていません。「分かりあえるのは父と母で充分」というのがそうですね。ま、トーチャンとカーチャンが死んだらどうすんだという意見もありましょうが、そのときはパートナーがいるかもしれません。パートナーと信頼関係があれば、他の友達なんて要らないなんて人もいるでしょう。 質問者さん自身が「分かりあえる友達は要らない」と考えているので、分かりあえる友達はできる可能性は少ないでしょう。相手側も質問者さんのことを「別にそこまですごい仲がいいというわけではない」と認識しているでしょうからね。 誰でも、エネルギーと時間は限られています。友達に対して費やす時間とエネルギーは、人により違いはあるでしょうがそんなに極端な違いはないでしょう。その限られたエネルギーを質問者さんの場合は多くの人に対して費やすわけですから、一人あたりの単価は下がるのは当たり前のことだと思います。そして質問者さん自身は交友関係に関しては質より量派だということだと思います。
お礼
>>結局なんだかんだで利害関係でくっついているというのが現実は多いです。 やっぱり、そうですよね。 私も、周りを見ていても、Facebookを見てもあまり知らない人のブログを読んでも、そう感じる事が多いのです。 利害関係...と言い切ってしまうと少し悲しいですが、たしかに私がそうです。完全に害>利になった時点で、相手に連絡を取りません。いつもそうです。 もし、周りがみんな私の考え方と明らかに違ったら、 あれ...私の考え方間違ってるのかな? と思うのですが、私のような人ばかりだから、そういう世の中なのかなと思い質問させて頂きました。 >>では、本当の友達とはどんな友達か? それは、利害関係でくっついていない友達なんだと思います。 私も、利も害もない友人がいますが、例えばその友人と喧嘩してしまった時に、仲直りする意味はあるのか?と思うと特に無いので、おそらく仲直りしないと思います.... ただの友人だと、見下してしまう気がします。私より頭が悪いだとか、可愛くないだとか、面白くないだとか...そんなことで、じゃあもういいや、となってしまうのです。 書いていて少し悲しくなりましたが、本当にそうなのです。 量より質の付き合いってどんなことなのでしょうか....そんな関係羨ましいですが、近すぎてうざったくなりそうです。 考え方を少し変えてみるように努力します。 参考になります。 ご回答ありがとうございます。
お礼
>>自分が暇な時に遊びに付き合ってくれる、男関係で紹介してくれたり、取り持ってくれたりと、利用できるというような意味です。 まさに、私がその為に友達を作っています。 沢山友達がいる子は、楽しいイベントに誘ってくれるし、新しい出会いもあるから仲良くしておく、 そうでない子はうっとおしいとさえ思ってしまいます。 >>他の人には話せない深い話ができる人ではないでしょうか? 人間だから全部はわかりあえないとは思いますが、それでも他の友達よりも深く話せる人だと思います。 たしかに、そうですね。 他の友達よりも、というところが重要ですね。完璧にではないけれど、他よりは分かり合える人達という事ですね。 結婚式が近づくと連絡....いかにもありそうな話で、私もそういう事をするかもしれません。いや~な感じの気持ちになります。。 正直、自分がこんなドライな考え方なのがたまに悲しくなります。 私もその基準で、友達の中でも特に、話せる友達を探してみようと思います。 参考になります。 ご回答ありがとうございました。