• 締切済み

お金がこの世で一番大事に感じてしまうんです

こんにちは 自分は色々話すとややこしいので省きますが家族ではない人に預けられて育ったので皆さんみたいに家族がいません。正確には肉親兄弟はそれなりに存在しますが、つながりは皆無です。 なにより『父さん母さん、兄さん姉さん』みたいな感情?というか説明しづらいですが全くわかりません。だからと言って預けられたことへの憎しみがあるわけでもないです。 とある育ててくれたお二方は小さな頃に亡くなり恩はあれどほとんど記憶がないのでやはり死ぬほど大事な人だったという感情もないのです。 真面目な話、この世で一番大事に思ってるのがお金です…極端な話、例えば彼女なり奥さんがいたとして、誰かから○○万円出すから別れてくれとかあったなら多分別れます…勿論あり得ない空想ですがその位に自分にとってお金以外に大事に思えるモノが今はありません。ぶっちゃけた話、死ぬまで毎日朝から夜中までパチスロ、好きな漫画を読む。たまに風俗…これらが可能なら他にはなにもいらないかもです。 いまいま彼女はいますし過去にも奥様もいたことありますが、やはりお金のほうが大事に感じてしまう本心があります。真性のクズだという自覚はあります。 ただし誰かのために死にたいという感情もあるのです。楽になる口実ともいえます。 長くなりましたが、皆さんからしたら自分みたいな人間どう感じますか?遠慮なく本心でお願いいたします。

みんなの回答

noname#225033
noname#225033
回答No.9

今の質問者さんの状態でしたら(お金が一番大事)と言うのは理解できます。が… >>ぶっちゃけた話、死ぬまで毎日朝から夜中までパチスロ、好きな漫画を読む。たまに風俗…これらが可能なら他にはなにもいらないかもです。 ↑からして… お金が一番大事な方が仕事もしないでどの様にお金を増やすのでしょうか? 真のお金の猛者は、バンバン仕事をして金を稼ぎ、食事と云えば納豆やメザシ 漬け物類をおかずにご飯を食べている方もおります。 真のお金の猛者は 勿体ないからタバコは吸わない 勿体ないから酒は飲まない 勿体ないからギャンブルは一切やらない 勿体ないから漫画等読まない 勿体ないから風俗には行かない… 時間が勿体ないから、暇さえあれば働く 貴方の考えとは正反対ですね。 貴方はお金が大事なのでは無く、詭弁(きべん)が下手くそ、自由が一番大切、不労収入で楽に暮らしたい方ですね。 そのへんから考えてみる事をお勧めします。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます おっしゃる通りです。要するに私はクズの極みなんです…

noname#215107
noname#215107
回答No.8

お金が一番大事だと考えながらも、お金の有効な使い方を知らないのではないかと思います。 よく「お金で幸福が買えるか」という問いかけがありますが、 正確には幸福が買えるのではなく、「幸福の土台が買える」が正しい答えです。 家を建てる時、基礎の上に土台があり、その上に建物を建てますよね? 基礎が「健康」であり、土台が「生活」です。 その後どうするか、その上に家を建てるか、何もしないか、欠陥住宅を建てるか、人それぞれなんですよね。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます 理想的な未来図ですね… ただ自分には到底不可能な感じです その場しのぎなお金でその場しのぎをする生活してきてるので今後も変わらないんだろうなぁと思ってます…

  • jacal09
  • ベストアンサー率17% (50/294)
回答No.7

一度、大学病院で[精神科][神経科][うつ病]の診察を受診なさっては? すべて解決とはいかないまでも、幾つかのヒントが出ると思います。 熟睡出来ますか? 朝起きた時、爽やかな感じがしますか? もしそうなら差し迫った不安は有りません。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます 高校生のときはなんの恩恵も特典もない朝4時起きという生活でしたが苦ではなかったような記憶があります…むしろ努力していました。 それがなぜかいまはなんにしてもお金お金お金になったのは自分ですらよくわかってません…

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.6

お金に使われている事に気がつかないお金の奴隷。 お金はパワーの一つであって全部ではありません。人を動かすものは色々あります。 母親は子どもの泣き声で状況を察知して動きますし、ヤクザに脅されたら財布を渡しますし、色仕掛けでおねだりされたらバッグ買ってあげたり、空腹に負けて万引きしたり。 お金を鼻先にぶら下げて人を動かそうとするのは、その行動の代償を簡素化、合理化させたものですね。数字をお互いに確認して交渉成立。買い物はそういう事です。 しかしお金を介在せずとも人間は動きます。内面から信じることがあれば、そのためには無報酬で動きます。 正しいと思えば政治の集まりにもデモにも参加するし、表現したい欲求が高まって歌ったり絵を描いたりします。 お金のために働き、もらったお金でダラダラと自分を生き長らえさせる。死んだ目をした内面に力のない奴隷だなと思いました。 自分の中に欲求を育てたら変わるんじゃないかな。好きな人に振り向いてもらいたい、コレクションをしたい、この国に行ってみたい、など。すると自分の体が動きます。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます 本当に心底自分が情けないと実感できました…

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.5

健康が一番ですよ。「小公子」ドリンコート伯爵や「未来ドロボウ」の老人みたいに、いくら財産があっても健康でなければ幸せとは言えません。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます 未来どろぼう見ました。確かにお金持ちはお金持ちで虚しさがあるかもしれません…ただ、働いていたい気持ちは死ぬまでできないと実感しています。生きてるようで死んでるような感じかもしれません…

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.4

 お金はとても大事ですが、一番ではないかと。  あと稼ぐ手段が重要で、真っ当な手段で得てないお金を持ってると、幸せになれないケースが多いですね。。。  たとえば愛する人(家族)が事故で亡くなって1億貰ったとしても嬉しくないですから。  それで嬉しいとしたら、そもそも愛する人ではなかったという事ですし。

noname#203177
質問者

お礼

回答ありがとうございます 自分には多分死ぬまで『真から愛するひと』はできないと思います…やはりどうしても四六時中お金のことが頭の片隅にあるので皆さんみたいな真面目な思想はできないんだろうなと情けないですが思います。

回答No.3

>やはりお金のほうが大事に感じてしまう本心があります。 わからんでもないですよ 人は裏切るけどお金は裏切らないから だからパチスロなんてみっともないことしなさんな

noname#203177
質問者

お礼

回答感謝いたします いまいまは、いまいま必要な現金(その日勝っても次負けるのに)を手に入れる方法がパチスロしかないからたまにしてしまいますが、お金が尽きないほどあってもパチスロはやめないと思います。生き甲斐がないのです。 世の中にはたくさん悪はいるでしょうが、世の中には必要ないという意味では自分は最上位にいるであろうなと思える位に自分が嫌です。 そんな自分に回答くださり感謝してます。

回答No.2

人類の社会生命化(分業化・組織化)において、あなたの身の回りの 物を見ても分かるように、個人の生は世界中の人々の営為に依存 して成り立っており、社会とは助け合う為に集まったものなのです。 つまり、労働とは本質的に助け合いであり、社会生命として生きる事 自体=根源的な喜びの源泉であるべきものなのに、現実には、 お金をもらうためにイヤイヤ働き、助け合っているはずの社会で争い、 奪い合って、できたらお金をためて何もしなくてすむようになりたい、 という逆志向の行き方に歪めているものなのです。 原始共産制の助け合いから組織が分業化&拡大する上で、そうした 自己の生命性の環境への拡張をフォローする認識を発達させる労を 惜しみ、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった “馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道を とったのです。 貨幣制に基づく資本主義社会は拝金主義を蔓延させ、自由競争の 名の下に目先の即物的利益を奪い合い、その結果として生かされる という、弱肉強食のジャングルにしてしまったのです。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的 拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする 認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するの ではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね 備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが 最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは物質的豊かさのためではなく、精神的 充足感のためであり、人が働くのはお金のためではなく、助け合い= 愛のためです。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれ ほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という 虚構の価値であって。 お金は、本来助け合うために集まった社会において、自己チューな 意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したもの なので、当然、真の自由意志を束縛する機能があります。 要するにお金という「馬車馬の目隠し」によって人は、自ら喜び(自己 存在の本質に根ざした生)から目をそむけ、本来、死による±0の 充足量から、プラスを目指して生きているはずが、いつの間にか、 他律的生=「苦痛(マイナス)から逃げる事による死人に近い生」に 堕しているのです。

noname#203177
質問者

お礼

回答感謝いたします すごい真面目な方というか素晴らしいなと感じました。羨ましいとさえ感じます。生まれ変わることができたなら次は貴方みたいになりたいです…

  • 150715
  • ベストアンサー率19% (841/4396)
回答No.1

では、本心を書きます。 正直、悲しい人だなぁと思いました。 お金は確かに生きていくうえで必要不可欠なものですが、 お金でできない事もいっぱいありますから。 それに、お金というものは『手段』であって目的ではありませんからね。

noname#203177
質問者

お礼

回答感謝いたします 自分にしかわからないことなので説明しづらいのですが、喜怒哀楽はもちろんあり、いや人一倍感動しやすい面もあります。すぐ感動モノ見て泣いたり可愛い動物見ただけでウルッときたり…ただお金のことがいつも頭にあるのです。 お金お金お金…勿論悪いことしたこともないし違法な手段で手に入れたいとか思いません。純粋にお金が欲しい気持ちが強いというか。働きまくって稼ぐ…というのも違いいまいま現金ドカンとあればな的な感情が一番で自分でも頭おかしいなと自覚はあります。 でも本心がそうなので変えようがないというか。 この世になんでもいいから努力家に変われる薬が存在するなら欲しい位にそんないやしい自分が嫌です…