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どうして高校に行かないといけないの?

高校2年生です。 全然楽しくありません。でも、しっかり将来の夢もあり叶えたいと思います。 そのため高校を卒業しなければいけないのです。けど、やっぱり高校に行くのは苦痛なんです。いじめとかないし、先生も嫌いな人も好きな人もいます。 一般的な意見でいいです。 どうして学校に行かないと社会は受け入れてくれないのでしょうか?

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  • winipeg
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回答No.1

学校に行った人が社会を決めているからです

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  • Bankai-37
  • ベストアンサー率12% (106/830)
回答No.18

最初に予言しておきます 「貴女の夢は叶わないでしょう。」 この言葉、将来必ず身に染みる時がやってきます。 私に言わせてみれば、「その程度」のことができなくて 何が「夢を叶える」ですか 笑っちゃいますよ。 貴女が職人にでもなりたくて、学校をやめて 師匠の元に弟子入りして、厳しい修行に耐える覚悟があるなら その夢は叶うでしょう。 人生はそんなものです。 学校に行かないと受け入れてくれないのではないです。 成長の過程で必要な経験から逃げ出した人を受け入れないのです。 学校に行きたくないのであれば、 学校で学び経験できる以上のことを自分で努力すればいいだけです。

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  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.17

楽しくなくてもやらなきゃいけない、それが社会と人生だからさ。 生きることは苦痛である、なんて哲学者もいたっけ。 ただ1/100でも楽しいことがたまーにあると幸せなんだよね。 逆に幸せだらけだと退屈を感じ不幸になる、難しいもんだね。

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noname#246720
noname#246720
回答No.16

単に、標準に合わせるのが効果的、というだけかもしれませんよ。 私は比較的一般的だと思われる「四年制大学卒」が最終学歴ですが、友人に中卒(高校中退)がいます。 友人なので性格は合うし話も弾むのですが、やはり話題の種類を選ぶ必要がある…とよく感じます。 どういうふうに選ぶかというのも具体的には難しいですが、例えば「高校生活」という話題だとディスカッションできないですよね。 日本人は高校までは卒業しているのがほぼ常識ですし、多感な時期に経験した話題を共有できないのは、やはり少しハードルが高いです。 もう少し言うと、別の友人で高卒で就職した人もいたのですが、やっぱり少し話が合わないような気がしました。 まあこれも理由は同じです。「大学生活」を経験しているか否か。 それだけで結構話題の選定って変わるんですよね。 ただ、高卒の方は仕事をしていても割と出会いますので、中卒よりはコミュニケーションが取りやすいです。 逆にもっと学歴が上の人たち。 大学院の修士くらいだとまだ四大卒と変わりませんが、博士まで出た人…となると、大卒とはまた別の学歴になってきますし、人数も限られます。 中卒とどちらが多いかはデータも見ていないのでわかりませんが、やはりちょっと話が通じにくい部分はあるように感じます。 勿論、社会人年数が長くなればそういう差は縮まるんですけれど、仕事をし始める取っ掛かりの時に周りに溶け込み辛いっていうのは自分も周りもしんどいですよね。 で、もし。 今後日本の一般的な最終学歴が専門卒や大卒ではなく「博士号取得」というレベルになった場合、社会人のほとんどが博士号を持つということにでもなれば、中卒や高卒では完全に太刀打ちできなくなる…のかもしれません。 多分質問者さんの目指す「社会」って「標準」の社会ですよね。 そこに向かうなら自分も標準以上にならないと。

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  • shorinji36
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回答No.15

逆にどうして高校すら行かない人間を受け入れなければならないのですか。

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noname#208883
noname#208883
回答No.14

> 一般的な意見でいいです。 どうして学校に行かないと社会は受け入れてくれないのでしょうか? 学校は勉強を学ぶだけの場所ではないからです。 例えば高校へいきたいくない、じゃあいかない!という人を会社に向かえ入れると、プロジェクトが破綻しますから。 会社つまんなーい!だからいかないってね。 学校はやめるけど、会社はやめないという保障はない。 皆勤という、毎日行くという繰り返しを体におぼえさせる。 会社でうまくやるには、コミニケーションや団結力が必要なので高校で覚える。 中学までは、学校いかなくても進学させるでしょう? 高校が最初の、振るい に掛けられる場所だからです。 規定の出席日数、規定の成績が最低限ある。 当然、学校内でコミニケーションがとれなきゃ友達もできない。 友達も居ない人は大体やめるでしょう? 人生はいつも振るいにかけられると思ったほうがいいです。 高校が最初にそう振るいにかけられる。 次に大学、就職、結婚・・・いつもそうです。 振るいにかけられて、ある一定の基準の人が残る。 残れない人は、社会が受け入れないのはリスク管理です。 リスクの高い人を受け入れる【義務】がないのです。

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  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.13

発想が逆ですよ。 「社会に受け入れられないのではなく、社会を受け入れなくなってしまう」 と言うのが本当にあり、これを防ぐために学校が重要な役割を果たしています。 質問者さんのような気持ちになることは良くあります。 今後も多くあるでしょうから、対処法を書きます。 長文ですが、前置きから、読んで見てください。 ーーー 良く社会に受け入れられないと言いますが、これは実際のところは逆です。 社会と言う人物はいませんし、社会と言う存在はいません。 社会とは概念ですから、直接交渉することが不可能なのです。 もし社会と言う人がいるならば、 その人に相談したり、駆け引きを持ちかけることが出来ます。 しかしどんなに旅をしても、出会うことが出来ません。 概念として存在する言葉を、人物のように扱って思考してしまうと、 自分が混乱してしまいますよ。 同じ意味で、学校と言う存在もありません。 唯一ついえるのは、 これらが自分の精神の自由や行動を束縛している力はとても強いです。 ですから、いま自分に起きている感覚の正体を正しく捉えることが大事です。 (実際には存在しないもの)概念を排除して、 そこに存在しているものだけで考えて見ますと、 「社会に受け入れられないのではなく、その人が社会を受け入れていない」 と言うことが起きています。 社会という概念の中では、 皆が一定のルールを作り、目的のために役割を分担しています。 所属する集団には、ルールやルールに習熟した人が最初からいます。 規則、先輩、上司などです。 しかし、 「自分に相談したわけでもないルール」 「自分より先にいた人が、ルールを盾に未熟な新人を上から教育する風潮」 というのは、嫌なものです。 特には不満が無いのですが、何となく嫌な気分にはなりますよね。 これに対して過剰に反応する人もいます。 つまり受け入れられないわけです。 ですので、 こうした集団のなかでは、色んなストレスが個人に生じます。 これに耐え切れず、身近な人に八つ当たりをしたり、所属している組織を抜けたりし、 これらを繰り返して最後は引き篭もることがあります。 こうした運命をたどる人は物凄く多いです。 こういった人が感じていることは、 「わたしは社会に受け入れられていない」 という疎外感だそうです。 しかし、この前段には、 所属する組織に適合できず、転々と組織を変えてきた経緯が(セットで)あるのです。 相当な昔から、こういう人生を歩む人が沢山いたため、 「わたしは社会に受け入れられていない」 と言う感想が一人歩きし、一般的な概念になってしまっただけだと思いますよ。 高校生ですと、全ての大人が社会を受け入れているように見えてしまいますよね。 しかし、先ほど申しましたように、 何十年もかけて、最後にドロップアウト(そのときに社会を恨んで恨み言を言う) するものですから、実際は健全ではない状態の人が多数います。 何十年もかかって進行する病気ですから(エイズのように) 一見して普通に見えます。 しかし、言動や考え方で、識別が出来ます。 これらは、 正しい対処法(考え方)を身につけてて、凌ぐのがとても重要です。 我慢をしている状態ですと、本当の苦しみは取り払われていません。 これは長くもたないという事ですから。 本当に社会を受け入れているならば、 「社会が好きである」 「暇があったら、(充分に足りていても)もう一つ社会を作りたい」 と成っているはずですよね。 「そんなのは自分の我慢に比べたらまだまだ甘い」 とか諭してしまう人は、 いまリアルタイムで我慢をしているということになります。 これはたぶん長くもたないでしょう。 だとしたら、社会とは何でしょう? 主義の違いはあるでしょうが、 人が集まって貧困と共に戦おうとする集団でしょう。 役割分担を行い、利益を分配する仕組みでしょうね。 そのため、私たちが私たちの手で作るものです。 社会人とは、そこにあるルールを自分たちが戦いやすいように作り変える 思想を持つ人です。 そのため、 (貧困と)戦わないで済むように、自己の利益だけを優先してルールを 作り変える人は罰せられます。 社会は、こうした大きな前提があるために、 所属する人が立候補して、その集団のルールを作り変えたり、 集団が目指すべき姿や、当面の方針を定めることが出来るようになっています。 「選ばれるのではなく、選ぶのでもなく、作るのです」 自分が作ろうとすれば、それは真剣になります。 自分だけではなく、他の人の迷惑にもなりますし、影響が大きいからです。 ただし上手くいけば、多くの人が喜んでくれます。 この遣り甲斐が無ければ、社会に所属しても、苦しいだけですよ。 人間は本能的に社会人になろうとします。 このとき正常に成長すると、今述べたとおりの人物になります。 これを成人と言います。 しかし、 子供の頃の教育の問題で、 人に選んでもらったり、人を選ぶのだ、 と言う発想から抜け切れていないと、 「社会人とは皆で相談して、自らの手で何かを作り上げる人」 と言う発想へ転換できません。 これが出来ないと、常時楽しくないんです。 何かを作り上げている過程はとても楽しいものです。 これなしで我慢ばかりを続けていると、最後は精神的に参ってしまう。 本能に逆らっているからです。 私は人に辛く当たったり、誰かが自分を阻害していると感じたときは、 「あ、最近作ってないなあ」 と考えています。 誰かと相談しながら何かを作る。 これは成人した人のメンタルにはとても大事な糧です。 これが不足すると性格が悪くなり、病気になります。 自分が嫌いになり、 どこかに飛び出したり、周囲の人を追い出したりしたくなります。 この本能の強さは拘束力ともいえます。 質問者さんは、 第二次性徴期を迎えて、それを受け入れたと思います。 次の変化は肉体にではなく、精神に生じます。 定期的に「皆と相談して何かを作る」ことでストレスを発散しないと、 辛くなっていくと覚えておいてください。 高校生でも早い人はこの成長期に突入しますから、 学校では(本来勉学のみが正しい)部活動も認めています。 ここで発散しないと、精神状態が不安定になるという事です。 さて最後にまとめます。 ・社会に受け入れられていないと言う感想は、社会を受け入れていない人が持つ感想。 ・社会とは、選んだり選ばれたりするのではなく、相談して自らが作るという行為の概念。 ・故に、皆と相談して何かを作っていないときは、社会を受け入れていないと言うこと。 ・故に、皆と相談して何かを作っていない人は、社会に受け入れられていないと感じる。 ・この概念は人の本能であり、定期的に体現しないとメンタルが弱っていく。 質問者さんはいま、 学校と言う社会に受け入れられておらず、 学校と言う社会を受け入れていないんです。 これは、 学校と言う社会に所属する誰かと相談して (何でも良いので) 不便を改善したり、利益を生み出すような仕組みや装置を作らないからです。 本サイトでも社会人や主婦の方から似たような質問が多くあります。 ビタミンが不足すれば、病気になります。 大昔は脚気と言うが死に至る病だったそうです。 同じ様に、 いまはメンタルを病んで死に至る人が増えています。 学校や会社が面白くないのは、そういった病気の入り口です。 皆と相談して、その場のルールや仕組みづくり、ものづくりに参加していますか? そういう機会がどのくらい減っていますか? 最後にしたのはいつですか? と、問えば確実に長期間やっていないはずです。 周囲の人に問題があるわけではありません。 学校や社会と言う概念が悪いという荒唐無稽の発想もよくありません。 ビタミンのように、不足している行為があり、これが足りないのです。 人間の仕組みであると諦めて受け入れ、 定期的に摂取するのが大人の発想です。 何でも良いので、誰かと何かを作るイベントを起こしてみましょう。 その差が分かると思います。 以上、ご参考に成れば。

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質問者

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noname#203300
noname#203300
回答No.12

> どうして学校に行かないと社会は受け入れてくれないのでしょうか?  いいえ。高校は義務教育ではありませんから自由です。行きたい人が行けばよいというだけ。  社会は、中卒の人には中卒で出来る仕事と相応しい?給与を、高卒の人には高卒の、大卒の人には大卒の・・と用意されています。中には需給のギャップもありますが、中卒でもできる仕事はあります。そして私たちの社会は中卒の人が中卒に相応しい給与で働いてくれないと成り立たなくなります。ブラックと言われた企業が、その条件でアルバイトをしてくれる労働者がいなくなったら営業時間を短縮したり店を閉じたりしなければならなくなったのと同じなんです。もしかすると(いや、確かに?)私たちの社会って自分たち自身のことだけ考えればブラックと言われる企業で働いてくれる人や中卒で安い給与で働いてくれる人をむしろ“歓迎”する仕組みなんでしょう。

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質問者

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  • bluelake
  • ベストアンサー率32% (64/197)
回答No.11

現在、高校進学率は98%を越えています。 社会の人は、個人個人を丁寧に見ることはできません。 高卒資格はその人の学力、意欲を見る最低限の基準になっています。 もちろん誰にも納得できる実力を示せば社会も受け入れてくれますが、 そのためには普通の人以上の努力が必要となるのです。 高校の三年なんてごく短い時間にすぎません。 将来の夢があるのなら、それに向かって今から準備をしたらどうでしょうか? 苦痛なんか感じている暇はないと思います。

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質問者

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  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.10

>学校に行った人が社会を決めているからです A1さんがキレイ事でなく、的確な回答だと思います。 将来の夢もあり叶えたいと思える、職業選択の自由がある以上、 社会も、従業員選択の自由があり、社会の需要に適した人にしか、夢は叶わないのです。 職業選択の自由がない、奴隷とかカーストとかに高卒の学歴は必要ありません。 で、高校2年生にもなって、何もはじめられない将来の夢って何? たったあと17ヶ月であなたの将来って来ちゃうのです。卒業してからスタートして、同じ夢もっている人達に敵うと思う? 全然楽しくない高校生活なら、フライングして将来の準備をはじめる暇は十分あると思うけどね。 あなたが高校に行くのが苦痛なのは、あなたの生活が高校しかないから。 学校以外にも楽しいコトいっぱいあるんだけど。 それに気づけないと、 学校卒業しようが中退しようが、学校のなくなったあなたはの生活はからっぽで苦痛しかありません。

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質問者

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ありがとうございます。

  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5529)
回答No.9

高校に入学する前 中学生の時に受験をしたと思います 受験の時に、試験と面接をしたと思います 高校に行って無い、って事は その試験も、面接も、通過する能力が無いと見なされてしまいます 高校を卒業しないって事は 高校を卒業出来るだけの能力が無いと見なされてしまいます つまり 学歴というのは、あなたの能力を測るための「物差し」になるのです 社会というのは、お金を稼ぐ場所です お金を稼げない人よりも、よりお金を稼げる人材が欲しいのです しかし 初対面の人間を見て、その人の能力なんて判りません ですから 最低限の基準を測る「物差し」が必要になるのです 出来る人は、社会から必要とされます 出来ない人は、社会から必要とされないのです 勉強、学校も あなたの持っている可能性を引き出してくれる物なのです だから 一般的には、高卒程度の学力は持っていた方が良いのです まぁ 世の中には 定時制高校とか、夜間学校なんて物もあります 中卒で働き始めたけど、やはり学力が必要と感じた人が 働きながら通う事の出来る学校です 今学校が辛いなら、一度辞めてしまって 一度社会に出て 社会の辛さを存分に味わってから、もう一度高校生をやってみる なんて選択も、 世の中には有ります ただし お勧めできません あなたは未成年でしょうから 保護者である親の言葉を聞く必要があります 親はそんな選択を許してくれるとは思えませんしね だけど そういう選択も世の中には有るのです 世の中にはもっと色々な選択が有る事を知った方が良いです そういう選択ってのは 沢山人の集まる場所で、見つかる事があります クラスメートにケーキ屋さんが居る とか クラスメートにお医者さんが居る とか 学校の行事で、社会勉強もする事でしょう 修学旅行で見学に行くってのも、 色々な選択の幅を広げるって目的を持てば、単なる旅行以上の価値が有るものです 社会に出てからでは許されない事でも、学校に行っている内は許してもらえます 逆に 学校に居る内は許されない事が、社会に出てから許される事もあります 学校は、教師という大人が色々な事を教えてくれる場所です そういう場所は、社会に出てからでは得られません 今しか行けない場所ならば、今行っておいた方が良いですよ

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質問者

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