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悲しい反応(御嶽山噴火被害)
- 被災者に対する非難の声に悲しさを感じる
- 噴火の被災者への支援を呼びかけるニュース内容ではなく、自然の恐ろしさを伝える
- 登山規制や研究予知体制の重要性が問われる
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山の噴火で亡くなってしまった人について誰が悪いなんて言えない事であるのに、ひどいことを一部では言っているんですね。 今回の事は結果的に自然災害で亡くなったという事になるのだと思いますが、たまたま危険な箇所に行ってしまったという事で自己責任、という言葉が出てきてしまうのでしょう。 しかし噴火の予知が難しいと言われながらも火山の微動が前からあった、その日は硫黄の臭いがかなり強かった、など前兆と思えるものがあったということなので、危険予知できなかったのかと悔やまれます。 今回は亡くなった方が多すぎます。 これからは登山についてもっと危険性を知らせていく事が大事になるかと思います。 亡くなった方たちはこういう運命で亡くなってしまった、というとそれまでになってしまうのですが、誰が悪いというのではなく、タイミングが悪かった、危険性について楽観してしまった、危険についての情報がない、などいろいろな要素があって今回の事態に繋がってしまったのだと思います。 自己責任というコメントについては大人が子供じみたことを言っている、というよりも言っている人は冷たい人なのだな、と思いました。 悲しくなってしまいますね。
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- Mokuzo100nenn
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>皆さん、どう思いますか。 日本のマスメディアのレベルが低いと思います。 噴火の事実関係だけを報道すればよいのに、個人の感想や、個人の意見までメディアにのって全国を駆け回るようにしている。 報道の本分を忘れた低レベルなメディアですね。
- trytobe
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そういう人は、自分が当事者に向かって、その意見を言えるほど度胸が無いのです。 ネットを通じて、「実名を出して」意見を述べるならば、「未成年者でも」それなりの言葉を選んで、悔やまれるという心情が最初に出るでしょう。 しかし、ネットでは、「実名を出すことなく」「反論を受けても削除できるから」と好き勝手なことをつぶやく人々がいます。これは、年齢も秘匿されていますから、未成年ほど万一のときも処罰が軽かろう、という悪循環を生んでいます。 対策は、「ニュースで」「顔も出せない実名も出せないような人間の意見を」「まるで世論の多数のように拾うな」ということです。 ネット上だけならば、ネットというメディア上のリテラシーだけで済みますが、それを無料で閲覧できる地上波でのニュースとしてマスメディアが取り扱うと、より広範な人々のマスメディアに対するリテラシーが問われる、いわゆる「民度」が問われることになるからです。 アメリカのニュースでインタビューを受けている人は、近所の人間であるとか当事者の関係性とともに実名を出してニュース上で放送されます。それだけ、自分の意見の表明に責任を持った上であえてマスメディアのインタビューに答えているのです。 それができない日本のマスコミと、取材されても意見が言えない日本人が、「匿名で済ませたい」という易きに流れる利己的引きこもりを、実社会でもネット上でも好んでしまうのが、ご質問にあるような言論やそれを安易に公表する事態を起こす根本ではないかと思います。
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お礼
今回、いろいろな方の回答を見て、改めて思いを言葉にする難しさを感じました。私の言っていることも、第三者的に見れば「感情論の1つ」に括られてしまうですね。悲しいと言ってるんですから。 私が本当に言いたかったことは、自責か他責か善悪・白黒つけようということではなくて、他人が運悪く、お亡くなりになったら、まず「お悔み」するような社会がいいのではないか、ということでした。何で、他人の責任だと一言も言っていない遺族の方々も含まれる相手に対して、第一声が「自己責任ですよ」「私は同情しませんよ」などと強調して言う必要があるのでしょうか。 限られたコミュニティでやる分には構いませんが、少し社会としての許容度なり、他者への思いやりに欠けた書き込みを多く目にし、それが「悲しい」と思いました。 ただ、そういった意見表明が一定数の根強いものであることも感じ、それが日本のいいところ、自由に意見表面する場があってガス抜きにもなっている、多様性を少しだけ確保している、ということなんだろうなと思いました。 ご回答、ありがとうございました。