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日本は人権先進国になれるか―個人通報制度と日本社会
国際人権法によって定められている制度のなかには、人権侵害が発生したさいに、その当事者が国際機関等に通報することができる制度があります。いわゆる、個人通報制度です。 日本社会においても、個人通報制度の導入にかんして、さまざまな議論がされていますが、いまだに、日本社会においては、この制度の導入にかんして、極めて慎重な姿勢をとっています。 過去にも、同様の質問がありました。 http://okwave.jp/qa/q6357569.html →「日本は国連の個人通報制度を批准していない国であり、人権後進国として国連から勧告を受けている。しかし国連の批准勧告を無視し続けている。」 http://okwave.jp/qa/q6695708.html →「個人から通報されたら困る者がいるからです。この日本には、国民にはほとんど知られていない「制度」が存在します。」 これらの回答は、個人の意見であって、日本政府の見解であるとか、学識経験者らの見解である、というわけではありません。 しかしながら、「人権後進国」と揶揄されることがある、日本社会においては、こういった議論をとおして、科学技術のみならず、人権においても「先進国」を目指すことが、日本の国益にかなった行為ではないでしょうか。
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お礼
>甥・姪の世代で、全般的に感じるのは、私たちの20代の頃に比べて、「守りの姿勢」と言うことでしょうか。 あるドイツの社会学者が、みずからの著書において「リスク社会」という主張をしましたが、いまの日本社会においては、多くの人々が「リスク」にたいして、「守りの姿勢」をとっているものと思います。これについては、数年前の震災の影響などもあり、しばらくの間は、「守りの姿勢」をとりつつあるのではと思います。 「守る」ことも大切だと思いますが、それと同時に、「攻め」も大切ではないかと思います。「攻め」のための絶好の機会を狙っている人々がいる一方で、いつまでたっても、「守り」の姿勢から脱することのできない日本人は、少なくないのではないでしょうか。ただし、この点においては、わたしは、楽観視の態度をとっています。あまり悲観視しないようにしています。 「二極化」という指摘については、そのとおりだと思います。いつの時代にも、そういった傾向があったという指摘はありますが、これからの日本社会は、しばらくは、極めて顕著な二極化の時代になるのではないでしょうか。 > 若い人たちが、諸外国に実際に行って、また生活して、実体験していくことで、「自分のこの行動が攻めであり、日本にもその国にも自分と相手にもプラス」と言うものを見つけて、攻めの気持ちで実行していってもらえたらと願っています。 幸いなことにも、わたし自身は、わたしなりの「戦略」を手に入れることができました。しかしながら、いまの日本社会においては、いまだに、「攻めの気持ち」になれない人々が少なくありません。その最たる例こそ、排外主義に手を染めた人々ではないかと思います。 わたし自身は、重ねて主張しますが、日本人にたいしては楽観視の態度をとっています。わたし自身、半分しか日本人ではない、という立場ではありますが、日本人の「心の内」は、しっかりと把握しています。心のなかの「悪い虫」を、みずからの力で排除したときに、日本社会にとっての「夜更け」がやってくるのではないでしょうか。(「夜更け」という言葉は、あるテレビ番組からとったものです。)それを経て、新しい時代の日本社会、ということになると思います。 ありがとうございます。