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キレイに論破してください
昨日ニュース番組でコメンテーターがニシコリ君の決勝のニュースを流した際 「最近、羽生くんとか福原愛ちゃんとかゆとり世代の活躍が目覚しい。これはゆとり教育の賜物で、今ゆとり教育が見直されてるが、それを更にまた見直さなきゃいけない」 と言ってました ニシコリくんは小さい頃から海外の寮でテニス漬けの生活をしていて、ゆとり教育とは何も関係ないし、この人大丈夫かな・・・? と思いましたが本人はドヤ顔でした 他にもいくつもおかしい所があると思います 私の力ではこのくらいなので皆さんお願いします いや、確かにゆとり教育のお陰だ、という人は何故そう思うのかをお願いします
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どの時代でも世代でもとび抜けた逸材というのは出てきますし 存在しますのでそれを一括りに~世代というのは如何なものかと。 そのコメンテーターの言い分なら 逆に犯罪者に対しても~世代教育の賜物ともいえてしまいますね。
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- borg121
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そのコメンテーターは、凡庸な頭脳しか持ち合わせていないんですよ。
- ryo_ Deathscythe(@Deathscythe)
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あ~なんか熱で朦朧としながら見てましたw なんか勉強漬けになっていない分視野が広いとか何とかいっていたような・・・ どのスポーツでも近年世界レベルになってきているし、 単純に欧米化したことと、 錦織選手に関しては松岡修三・マイケル・チャンの両コーチが世界で戦うにおいて有効な指導ができていたってことだと思いましたけどね。
- tsuyoshi2004
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確かに錦織選手や羽生選手とか福原選手などはゆとり教育の賜物かもしれないと思います。(スポーツだけではいろいろな分野でも若い人たちの世界で活躍する人たちも含めて・・・・) ゆとり教育の本来の目的は「学校の授業やその宿題などに無闇に時間を費やさずに、それぞれの才能や進路に合わせた勉強や練習をしてもらう」だったはずです。 その面からすれば、テニスやスケートや卓球の練習に時間を費やして、成果を出せているのもゆとり教育の産物ではと思います。 が、大多数の小中高生はそんな時間の余裕があったところで、その時間を才能を開花させたり夢を実現させる為に使ったりはしないでしょう。(遊ぶことが無駄とは思いませんが、ゆとり教育以前の小中高生もそれなりに遊んでました。) また実際に成人して社会人になったとしても、多くの人は学校で習った知識を活用した仕事に就きます。 もちろんスポーツなどのようにニュースになるようなことはなくても、若くても優秀な人もたくさんいますし、ゆとり教育以前よりも優秀な人も増えているのかもしれません。 が、逆にゆとり教育後の方がスポーツも芸術も勉強も取り得の無いどうしようもない若者が増えているのも事実と思います。 個人的には、ゆとり教育とは、その環境(親など)による「格差」を産む教育システムだと思います。 言うならば、スポーツでも芸術でも勉学でも、環境も含めてできる子やれる子は伸びるけれど、出来ない子ややれない子は全く伸びなくなると思います。 ということで、もしも教育システムを正当に評価するのであれば、そのシステムで教育を受けた人全体で評価する必要があるでしょう。
- yama1998
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錦織選手は小さいころ(=小学生時としておきます)は日本の学校です。海外留学したのは中学生になってからです。 ゆとり教育は意味としては幅広いですが、錦織選手が小学校時は土曜日が月2回休みになったばかりで、その分練習量が増えたから強くなれた、ということであれば、あながち間違ってはいませんね。その番組はみていませんし、そのコメンテーターがどういう根拠で言ったかはわかりませんけど、あくまで「あながち」ですけどね。
- kaitara1
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最終的な結論ではないですが、ゆとりというのは何かがきちんとできた後に出てくるもので、はじめからあるものではないというところがポイントのように思います。超一流の人は自分の専門のことが飛びぬけてできたところで、さらに自分を越えようとするのがゆとりということになります。一流、二流の人は、自分を超えるゆとりがない人です。凡人は、せいぜい一流どまりです。多くの凡人は何もできないのですることがないことをゆとりと思わざるをえません。古人は、この状態を小人閑居して不善をなすと言いました。おそらく凡人はどうやってもゆとりはでてこない。退屈はしてもゆとりにはならない。