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安部首相の 広島での挨拶

 安部首相の 広島での挨拶が話題になっています。 http://matome.naver.jp/odai/2140734724440694601  冒頭その他、今年の挨拶が昨年の挨拶のコピペにしか見えません。  国民注視の挨拶が、どうしてこう成っちゃうのでしょう。  理由を考えてみると、 1、あいさつ文作成を担当した官僚の単純ミス。 2、あいさつ文作成を担当した官僚の悪意のあるミス。 3、この程度のことも記憶していない安部氏の、能力不足。 4、この程度のことも記憶していない安部氏の、広島に対する熱意の不足。 5、すでに安部氏の周辺には、安部氏の引退を促したい気分がある。 6、その他 などと、考えてみました。 皆様は、どう考えますか? 《6、その他》に回答の方は、ぜひ、お考えを教えてください。 もちろん 1~5への回答の方も。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.4

6 体面と内心の矛盾が露呈しただけ。 式典出席は歴代総理の努めだが、彼の本心は核武装化にある。 アメリカの「核の傘」では物足りないので、敵対しそうな中国程度の核武装は果たしたい。 非核平和主義とは相容れない心情で、まともな挨拶が出来るはずがありません。 解釈改憲論がそのまま挨拶文になりました。 幾ら官僚に作文を任せたと云っても、自分でチェックしない筈がありません。 彼の能力では、手の加えようが無かったのでしょう。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「解釈改憲論がそのままあいさつ文に」というのは、しんどい現実です。 かいとう、どうも、ありがとうございました。

  • yuiaikai
  • ベストアンサー率25% (133/531)
回答No.3

1、3及び4かと。 1は、どうせ挨拶なんぞ誰も聞いちゃ いないだろうから、テキトーに使い 回せばいいじゃんと言う、おバカな 閣僚の安易な発想 から生まれたものでしょう。 実際、挨拶文を考える現場なんて そんなものです。 たまたま、今年と昨年の比較が 表舞台に上がっただけで、 じゃあ、一昨年は? その前は?そのもっと前は? となると怪しいものです。 3は、喋る側(首相)も、年に数百回もの 挨拶をする(原稿棒読み)わけで そんなこと、いちいち覚えてません。 4は、政治家(屋)に熱意を求めること自体 が、既にピントがズレてるように 思えますが。 今回の件で、この挨拶文を作った 閣僚がどのような処分を受けるのか 興味津々ではありますが、 他の自治体の首長の挨拶文を 考えたお役人達も、ヘタすれば 次は自分の番では?と 慌てて挨拶文の見直しをするかも? ちなみに私は公務員ではありませんが、 トップの挨拶文は4種類用意し、 オリンピックのように4年周期で 使い回してます。(笑)

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、作成した官僚の行く末には 多少興味を覚えました。 あなたも作成する業務をになっているなら いろいろご存知のことがあるのでしょうか、 どうも、ありがとうございました。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.2

6ですね。 過去の慣習やひな型に沿って淡々と仕事をこなすのが公務員で、むしろそこから逸脱しないことが美徳と思われていますから、その官僚もそういう習慣に則って文書を作成しただけで、ミスでも悪意でもなかった・・・と解したいです。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、そうも考えられるかもしれませんが、分からない所ですね。 どうも、ありがとうございました。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.1

安倍 ですよね。 せいぜい好意的な見方としては 3,4 が妥当かと。 6 としては、基本的にやはり戦争に力を入れる彼の日常からの反動として、側近を含めた平和への熱意のなさの如実なあらわれでしょう。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 3、4 を妥当だと言うのは理解できますが、自国の首相に向って言いたくありません。もっとも、安部麻生は、元々足りん殿下と 言われていましたが。 平和への熱意が無い、というのは、最も怖い見解かもレません。 どうも、ありがとうございました。

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