いまどきの学校は知りませんが。
職場では二通りあるように思います。
(1)入社当初から「覇気が無い」=やる気が無い
これは・・オミット(はじかれる)要素が、本人にあるでしょう。
マイナスオーラに、誰もが引きずりこまれたくない。
やる気無いなら、辞める自由は本人にある。
(2)勤続途中で「元気ない」「覇気が無い」= どうしたのだろう
これは、周囲が「心配」すると思います。
心を開いてくれたなら、話しを聞いてガス抜きくらいの役には立てるのでは・・
心を開いてくれたなら、企業として手立てを尽くすこともできるのでは・・
周囲は
心を開いてくれたら・・と思いながらも。
大人の分別で「本人が思い余って相談するまでは見守ろう」という距離を置くかもしれません。
なぜなら。
大人という人々は、人生の幾たびかには言うに言われぬ種々の想い:懊悩(おうのう)を抱える時間が有る事を
知っている人々だからです。
懊悩(おうのう)の時期には、他人の言葉は耳に入りません。
逆に他人の言動が煩く(うるさく)・・いまどきは、ウザイと言う状況でしょうか
他人のアドバイスがあるほど、逆の方向に走り去ってしまう・・・。
それが「大人」にはわかるので、懊悩を抱える人には、今少し、距離を置くのが通常です。
それは無視:(いまどきは、シカトというのでしょうか)とは違います。
本人の感情冷却を待つ時間です。
それをもしも「イジメ」と捉えるのであれば、それは、少々違うように思います。
しかし
本人が「自分がこれほど意気消沈をアピールしているのに誰も声をかけてくれない」と感じ
「これはシカトされているイジメ」と感じているならば。
周囲の人が思うほどは本人が大人でなく
「かぁちゃんが、俺をわかってくれないよぉ」という程度の
子供の精神状態なのかもしれません。
職場の赤の他人は「かぁちゃん」ではない、と言う事を理解できない人も多いですね。
学校在籍ならばまだまだ、かぁちゃんを求めてもいい場かもしれませんが、職場はかぁちゃんを卒業してもいい段階。ステージが異なる事をひとくくりには言えないのでは?
大人の社会(職場)では・・・悩んで覇気が無い人間には、本人の心の整理がつくまで見守るのが概ね傾向です。それは・・・いじめではないように思います。
(例外は・・当然あります・・弱っている人間をいじめる人間は、どこにでも居ます)