• 締切済み

人間はひとり?

あなたは、『人間は究極的にはひとりでしか生きられない』と思いますか? 私は、どうしてもそうは思えないのです。 私はつい最近、大切な人に、『人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでいくものだ。直接的な意味ではなく。 誰と一緒に生きようと、生活しようと、究極的に人はひとりであるべきだし、そういうものだ』という旨の話をされました。  ひとりで生きるとは、どういうことなのか。最近ずっと考えていて、図書館などで手当たり次第に本を読んでみました。たとえば、「ボッチ飯」などという言葉がありますよね。集団の社会で、あえて一人でいることにはそれなりの勇気がいりますし、覚悟が必要です。そこに「ひとりでいい」むしろ「ひとりでいたい」という意思がない限り、それはつらい行為になってしまいます。その本の著者曰く、一週間くらい南の果ての島にでも一人旅に行き、なにもせず、ただ自分と向き合っていれば、本質が見えてくる、のだそうです。たとえば、ひとりで生きることはなんら怖い事ではない。というように。 前述の彼がいう「ひとり」とは、一人でご飯を食べるというような直接的な意味でないことは分かっています。自分と向き合い、自分の可能性と向き合っていくこと。それが生きるうえでの「ひとり」なのかなと漠然と考えます。でもわかりません。 私は大学生です。最近、こころと体がうまく機能せず、アルバイトも行けなくなってしまいました。そんなときに吉田沙保里の特番を見て、彼女は風邪をひいても骨が折れても試合に出ていた、なんて話を聞いて、なんて私は情けなく愚かなのだと思った次第です。 この先の人生をどう生きたらいいのか。一人で生きるとはどういうことなのか。 ただ誰かと出会い、平凡な人生を送るべきなのか。自分を高めることだけを考えた人生を生きるのが正しいのか。 ただただあなたの意見が聞きたいです。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.7

…なんか変だな-、と、相手の方の言葉を見てたら、後半が変なんですね。 >誰と一緒に生きようと、生活しようと、究極的に人はひとりであるべきだし、そういうものだ …などというのは、おかしい。 人間は一人ぼっちで生き続けられないし、誰かを頼ったり、頼られたりしながら生きていくもの。 これは「一人が好き」というのとは違う。 単独行動が好きなのは、その人の「個性」であり、その人の生き方の問題。 どんなに単独行動が好きであったとしても、その「裏」には、ちゃんと「人への感謝」というものが必ずあるのが普通だ。 昔「植村直己さん」という、物凄い人がいた。 かれは登山にしても、犬ぞりを使った極地の横断にしても、単独に拘った。 それは彼の中に「冒険家」というものの魂があり、それが彼の行動の基礎になっていたからだ。 彼は決して、支援してくれた人を蔑ろにはしていない。 奥様を裏切るようなことはしていない。 自分が使用としていることの「我儘」を知り抜いて、なお冒険に身を捧げているのだからこそ、他人との「縁」というものを大事にしてきたはずだ。 逆に言えば、縁を大事にできない人間は「ひとり」というものの正体を知らないのだと思う。 「ひとりになること」というのはね?…みんなを大事に想い、それに尽くそうとすることなんだよ。 不特定多数の人を愛せる人でなければ「ひとり」の正体には気付けないと思うんだけどね。 だから「誰と一緒に生きようと、生活しようと、究極的に人はひとりであるべきだし、そういうものだ」という言葉は「嘘」だ。 もしくは君が、誤って解釈している可能性もある。 まずはそこをよく反芻してみて下さい。 「そういうことを言う人なのかな?」と。 最初を間違えたら、間違いの答えしか出ないよ?。 最初が肝心なんだから、慎重にね?。

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1771)
回答No.6

個人的には・・って話だけど一人で生きるというのはまさに質問者さんが自分で書いている >吉田沙保里の特番を見て、彼女は風邪をひいても骨が折れても試合に出ていた、なんて話 ですね。これがまさに「一人で生きる」ということなのだと思います。 一言で風邪をひいても骨が折れてもというけれど、結構難しく、つらいものなのですよ。 これは暗に自分から「助けて欲しい」と誰にもお願いしていないということでもあると思います。 まさに風邪をひいても骨が折れても自分一人でがんばってきたのだと思います。 そんな人だからこそ、助けてくれる人がいるし、助けられたら感謝もできるものかと思います。 結構多いみたいなんですよね。助けて欲しいのは分からないでもないけど 助けてもらえるまで「動かない」人。本当に助けてもらえることなんてそんなに多くないのに 助けてもらえるまで何一つ動かないもんだから、当然歩みも遅いし、助けてもらって初めて動くから それに対して感謝もない。 全くの一人で生きるというのも厳しいのは当然だけど、だからといって一人では何もできない では何も成長が無い。そういう意味で一人で生きるのは大事だと思いますけどね。

  • ecco
  • ベストアンサー率23% (81/346)
回答No.5

はあ、なんだか考えがあっちこっちに飛んでる気がして・・・。 答えるにも、なんだかあれやこれや、何について聞きたいのか、焦点が絞れてなくて答えづらいです。 で、手っ取り早いのは、その大切な人に突っ込んで聞いてみては? どういう意味なのか。 答えるのが面倒くさいと言うのなら、質問者さんの好きなように解釈すればよいのでは。 今の日本で生まれて育って、「究極的に」(笑)一人で生きるなんて、まず無理では? こんだけインフラ整った日本で。全部自給自足してネットも使わないのなら「究極的に一人」かもしれませんが(笑)。 「ひとりで生きる」というのは、私の解釈だと「人に依存せずに自立して生きる」ということなのではと思いますが。 家族がいようとひとりだろうと、自分の考えをしっかり持って、「この人がいないと生きていけない」という状態にならないことかもしれません。 そりゃあ、大切な人と別れたりすれば悲しいです。ですが、それでも生きていける強さのことを言ってるのかもしれないですね。 >ただ誰かと出会い、平凡な人生を送るべきなのか。自分を高めることだけを考えた人生を生きるのが正しいのか。 この二つを並べる意味が分からんのですが(笑)。 自分の好きなこと、やりたいことを思いっきり楽しむ為に生きる、それができればいいのではと私は思っています。それだけです。

noname#196137
noname#196137
回答No.4

>究極的に人はひとりであるべきだし、そういうものだ ? こんな難しく構えた言い方するから、gjncis さんもごっちゃにされとるんでしょう。 単に、「人はひとりだとちゃん自覚しろ」ということだけでしょうに。 人は、他人の足では立てんでしょう? ちゃんと自分の足で立たんと、生きられんようにできていますでしょう? そして、そんなことは日頃は何とも思わずに生きとりますでしょう? でも、それをどれだけ自覚しながら生きとるか?で、人生は全然違ってくるわけです。 自分への信頼も自信も、従って生きるエネルギーも、全然違うんです。 自覚しとる人ほど、逞しく生きられるわけですよ。 気の弱い人でも。 自分はひとりだとしっかり自覚出来るほど、自分がより分かるので。 gjncis さんも、ちゃんと自分の足で立ってるのに、その自覚が足りんのです。 自覚が足りんから、自分はちゃんと立てるということも、よく分からないんです。 そして、こうフラフラと、他人の声に振り回され、自分を高める云々などと屁理屈を考えて、そんなもん答えが出てくるはずもないのに、自問自答を繰り返し・・・。 間違えんとってくださいね。 たとえ2本の足が無くても、寝たきりになっても、ちゃんと立っとるんですよ。 人は。

noname#202739
noname#202739
回答No.3

好みの問題です。 ひとりが好きかどうかというだけの話。 「人間はひとりで生まれ、ひとりで死ぬ」ってのは単なる事実を言ってるだけ。 そりゃあそうだし、人はまわりに人がいても孤独を感じる。 「1+1=2だよ」ってのと同じです。 それとは別にもっと身近な問題に照らし合わせるなら、ひとりで行動するのが好きか、 群れるのが好きかっていうライフスタイルの問題です。 その人の言ったことで変だなって思うのが「人はひとりで生きるべきだ」っていう部分。 「人はひとりだ」とか、「ひとりが好きならひとりで生きればいい」ならわかりますけど、 べき論ではありませんからね。

noname#205122
noname#205122
回答No.2

gjncis さん、こんにちは。  小さんの「粗忽長屋」という落語に「あいつとは、仲良く付き合っていてねぇ、生まれたときは別々だが、死ぬときも別々の仲だ、……そりゃ、あたりまえだ……そう、あたりまえの仲だ……」というくだりがありますが、そういった面では、人間はひとりとも言えます。  ただ、生まれることと死ぬことのほかに、「生きる」ということを考えると、そんなに単純ではないと思います。人間は社会性を持った動物です。社会……お互いが自分の役割を発揮しながら、それぞれの生活をお互いを支えあっていく……と、そして他の人間と職場や家庭や、その他いろいろな集団で関わりを持ちながら、そして心身ともに支え合いながら生きていっているのです。生物学的に言っても、異性と関わりを持たなければ、繁栄はありません。決してひとりでは生きていけませんし、どんなに粋がっても、ひとりでは生きていないのです。  「大切な人」の言った意味は、「その役割を発揮するためには、他人に極力頼らない、自立した生き方が必要だ。」ということだと思います。それにしても『ひとりである「べきだ」』というのは、少し極端すぎる考え方だと感じます。私は、生きていく上で、また生活していく上で、頼るべきは頼り、自立すべきところは自立する心構えが必要だと思います。そうでなければ、この巨大な社会の中で生きていけません。「ボッチ飯」が好きだからといって、「ひとりで生きている」ことにはなりません。社会に支えられているのです。  gjncisさん読んだ本の「ひとりで生きることはなんら怖い事ではない。」というのも、「本を書く」という行為自体も、多くの人々に支えられているからこそ書けるのです。そのことをはき違えているとしたら、単なる「思い上がり」に過ぎません。  彼の言うことは、『自分と向き合い、自分の可能性と向き合っていくこと。それが生きるうえでの「ひとり」なのかな』とあなたの書かれているように理解してあげれば良いのではないでしょうか。  人には、それぞれ生き方と考え方があります。吉田沙保里の生き方、考え方を見て、自分を「なんて私は情けなく愚かなのだ」と卑下する必要はありません。そんなこと考えていたら、世の中の人間、誰も、恥ずかしくて街を歩けなくなります。(*^_^*)  「この先の人生をどう生きたらいいのか。一人で生きるとはどういうことなのか。」……難しい質問ですね。参考にはならないと思いますが、私は、自分で考えて、自分で選択し、結果の如何に関わらず、後悔の少ない生き方と、自分らしさを見つめる生き方を心がけています。  「ただ誰かと出会い、平凡な人生を送るべきなのか。」ということと「自分を高めることだけを考えた人生を生きるのが正しいのか。」ということとは、選択の問題ではないし、次元の異なる問題だと思います。平凡な人生の中にも、自分を高める生き方というのはあると思いますよ。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.1

深く考えておられるのですね。 私の意見を述べます。 人間は一人で生きているのではありません。しかし、それでもなお一人で生きていると言うときには、それは心構えを言っているのだと思います。自分自身を信頼して、他者の孤独を察し、自ら孤独でありながらもそれに飲まれず、心が自立している、そんな状態を、一人で生きると言うのでは無いでしょうか。

関連するQ&A