• 締切済み

あなたの寝台特急の思い出を教えてください

トワイライトエクスプレス、引退へ 老朽化で存続断念 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140528-00000006-asahi-soci どんどん寝台特急が減っているようにおもいますが、あなたの寝台特急の思い出を教えてください。 私はすごい小さいころに乗った記憶がありますが、はしゃいで走り回ってた気がしますw

みんなの回答

  • yas03126
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.8

連投失礼します。 tzd78886さんのご意見、参考になります。私、ちょうど逆なので。 夜行バスはどんなに良いシートでも眠れないのです。 要は身体が真っ直ぐ水平にならないと眠れない。(T_T) ヨーロッパからビジネスクラスで帰ってきた時もあまり寝付けませんでした。 そういった意味で、サンライズののびのびシートは床が固いけど身体真っ直ぐなので寝れます。 24系のB寝台であればぐっすりです。(笑) ただし寝台料金が高いのは全く同感です。寝台特急がすたれた原因は料金の高さだと思います。 確かに新幹線が早朝から晩まで走ってますが、一番需要の多い東京⇔大阪であっても、 8時より前に着くとか、飲み会に参加してから帰るとか無理です。 前泊や後泊は費用やスケジュール的に避けたかったり。そんな時に寝台特急があればなぁと。 JRさんもそろそろ公社時代の固定観念を改めて寝台特急の料金体系を見直せばいいのに・・・。 例えばですよ、 大阪を0時頃に出て、新大阪・京都・新横浜で乗客扱いをして、6時台に東京に着く寝台特急。 料金は、のびのびシート:特急料金のみ、B寝台:新幹線並み、個室:設備に応じた追加料金。 日常的に利用したくなりませんか?。 -----

  • yas03126
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.7

トワイライトエクスプレスの引退、寂しいですね。最後の大阪発着の寝台特急だったのに・・・。 トワイライトエクスプレスは家族で2回乗りました。いずれも札幌⇒大阪です。 初めての乗車の時は順調でしたが、昨年の乗車では青函トンネルを越えると豪雨で足止め。 朝になって動き出し、ウヤにはならなかったけど、大阪駅到着が翌々日の0時(11時間遅れ)。 途中、東北新幹線への振り替えもありましたが、日中の東北地方の風景をのんびり楽しんだのが かえって思い出深いです。車掌さんをはじめスタッフの方々がすごく良くしてくれました。 他は、昨年春に子供と大阪⇒東京の移動にサンライズエクスプレス(のびのびシート)、 古い話では、新入社員の頃、翌朝に大分のお客さんのところに物を届けなければならなくなり、 上司が急遽手配した切符とブツを渡され、0時に大阪駅から乗り込んだのが確か寝台特急富士、 あと、スキーブームのころ、シュプール号にも乗ったことがあります。 こう見ると計5回ですね。古い2回は写真もなく、ほとんど覚えていませんが。(笑) -----

  • sss457180
  • ベストアンサー率34% (398/1162)
回答No.6

あいうえお順で あかつき:夜行バスに対抗するために指定券のみで乗れる「レガートシート」 良い思い出です。 あけぼの:最初に乗ったのは「あけぼの5号」3往復もあった時代。 最後に乗ったのは台風で、陸羽東線迂回で4時間遅延も今はよき思い出。 あさかぜ:生まれて初めての父子旅行で小郡(今は新山口か)まで利用。 SLやまぐち号は今も健在ですね。 出雲:食堂車の営業はとっくになくなってたけど、自由スペースとして 残っていた東京発着最後の客車食堂車利用。 さくら:東京発着最後の寝台食堂車の営業が終わる、ということでわざわざ 乗りに行ったなぁ。 サンライズ出雲・瀬戸:現役なので省略 なは:鹿児島に住んでいたときがあったので、よく利用してました。 はやぶさはすでに熊本発着に短縮されてて、西鹿児島発時刻が便利なので、 新大阪から新幹線で東京へ。当時は東京~西鹿児島の往復割引切符が あったからそんな利用も可能だった。 日本海:青函トンネルを初めてくぐったのが函館行きの日本海だったな。 はくつる:583系も客車も両方乗ったな。 はやぶさ:熊本発着に短縮されてから利用。それでもきつかったな。 今では出来ない体験だけど。 富士:かつての最長距離特急。乗ったのは宮崎まで短縮されてからだけど 食堂車もついててお昼をそこで食べた思い出が忘れられない。 北斗星:辛うじて現役だね 北陸:北陸フリー切符が使えたので、片道は新幹線+はくたか、もう片方は北陸 のパターンが多かったかな。 トワイライトエクスプレスは乗りたいのだけど関東住民にはなかなか難しい 列車で、引退の文字が出たということはますますプラチナチケット化 してしまいそうで、乗れないのかな。残念です。

回答No.5

20代でしょうか 北海道に行きました 青函トンネルが完成してしばらくたったころだと思います 北海道の周遊券がありまして、車内伯2泊三日の強行軍をしました。 行きは急行「まりも」のドリームカー、帰りは「北斗星」のB寝台でした。 その北斗星です。 シャワーでさっぱりとした後寝台でウトウトしていました いやロビーカーでくつろいでいたかも 青函トンネルを通過したときに コーーーっというスーパーロングレールの音が思い出としてあります。 朝食は食堂車で「競馬で30万スッた」という なんだかなー、の人と同席となりました(笑) 今はサンライズ瀬戸となっていますが 客車時代の瀬戸に乗ったことがあります 自分で録音した音声のものでけですが、 「瀬戸のアナウンス(一部)」と「路面電車のアナウンス」があります http://www.youtube.com/watch?v=cHXfCVPZlWY 寝台特急以外にも「急行まりも」「ムーンライト(急行型車両改造のもの新潟行など)」 「大垣夜行(ムーンライトながら」などなど乗りました。 今は思い出の中にしか存在していません。 新幹線ができて効率化されて目的地に早く着くのがあたりまえで いろいろな、現実があるかと思いますけど。 夜行列車が懐かしいというのはノスタルジックな思いなのでしょうか。 残念です。 思い出すと色々乗ってましたね。

  • chm95954
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.4

30年くらい前です。 寝台特急ではありませんが、寝台急行「銀河」に乗ったときです。 乗降扉が手動での開閉で、京都駅を発車する際、車掌さんから、「発車したら閉めておいて」と言われ、 二度と経験できない大役を仰せつかったと興奮した記憶があります。もちろんきちんと閉めました。

  • matsu_kiyo
  • ベストアンサー率42% (683/1590)
回答No.3

そのトワイライトに、企画旅行と言う触れ込みで、登場初期に乗った記憶があります。 さすがにディナーは食べられませんでしたが、ゴージャスな弁当を、車窓を眺めながら食したのが凄く印象に残っています。 いまや大阪から北海道まで行くのに、ちんたら鉄道で、などと言う時間を犠牲にしても旅を楽しめる世代は50代以降の人たち。LCCもバンバン就航しているご時勢に、高くて時間もかかりすぎる寝台の旅は、時代遅れ感が半端ないのでしょう。 料金の抜本的な見直しをして、寝台列車にも日の目が当たるような体系にしないことには、全滅も時間の問題でしょう。 いやはや、残念なことです。

noname#251407
noname#251407
回答No.2

現役の頃、東京及び関東地域出張だと何時も「あさかぜ」を利用していました。   広島発20.00  東京着7.28   東京発19.00  広島着6.36  東京の場合は駅中で朝食を済ませ、他地域の場合は車内で朝食  広島帰着ではモーニング・サービスをゆっくり済ませて出社    懐かしい思い出です。    一度だけ台風に出会い東京着が16時頃になり会食だけ出席して     帰った事があります 長距離鈍行も無くなり「旅」の楽しみも少なくなりました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

 私は鉄道ファンですが、実は一回しか寝台特急に乗ったことはありません。  1996年に「出雲3号」シングルツイン(一人利用)で東京から安来まで行きました。料金は馬鹿高く、停車するたび目が覚めてろくに眠れず、山陰本線に入ってからはすれ違いなどで実にとろとろと走り、ろくな思い出はありません。  帰りに高速バスを利用したところ、料金は格安、、高速内では休憩を除いて停まることもなく安眠でき、定時の1時間前に着きました。渋滞を見越してダイヤには余裕を持たせてるようです。  それ以来寝台特急には乗っていません。寝台特急が衰退したのはこれだけ高速バスと新幹線、航空機が発達した以上当然と言えます。