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西武ライオンズ

長年西武ファンをやっています。 しかし今年の西武は弱すぎます。 原因は色々あるのでしょうが、ここまで弱いとファンとしてモチベーションが無くなります。 大変失礼ですが、DeNAのファンの方など万年下位チームを応援している方は、優勝することや強いチームであることのほかにどんなモチベーションでチームを応援しているのでしょう。 勝利至上主義だったら巨人でも応援すれば?みたいな批判もあろうかと思いますが、あくまで西武を応援し続けたい意図で聞いています。 よろしくお願いします。

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  • lions-123
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回答No.1

>西武ライオンズ 65歳 男性 私もライオンズファンの一員ですが、今でも西鉄ライオンズのファンであり続けたいと思っております。 それは、野球を知り始めた頃の最強球団であり、三原マジックや魅力ある野武士軍団の戦士に惹かれてのファンです。 そして、黒い霧事件や球団身売り、球団名の変遷やフランチャイズの移転等の経緯と長い低迷期を経ての、誰からも強制されず勧められなくても自分の意思で価値観で選んだ縁や相性、運命的な出会いや思い出が重なり、身内意識や戦友の様な思いや連帯感や愛着があるからです。 人気のセ・巨人に対し、実力のパ・西鉄ライオンズに強い憧れとアンチ東京並びにエリート意識の巨人打倒の思いがエネルギーに成っていたのかも・・・ 大阪生まれの私には、小さい頃にアンチ東京・巨人の気持ちが強くありましたが、その対抗球団としての阪神タイガースの余りの不甲斐なさと一部応援団の押し付けがましく下品でマナーの悪いのに嫌気がさし、九州出身でもないのに、三原VS水原の宿命の対決や神様仏様稲尾様と言われた鉄腕稲尾の活躍に、怪童中西の豪打に感動で胸踊らされ、当時珍しい西鉄ライオンズファンと成り、大阪球場や西京極球場に応援に出かけました。 そこで質問の件ですが・・・ <私見:順不同> ◇優勝・成績でファンなのか、それともプロの神髄、華麗なファインプレー、ダイナミックな打撃、ち密な作戦用兵の妙etcに惹かれ、選手や監督のプレーや手腕のファン・精神的追っ掛けの様なサポーターと成る。 ◇可愛い子の成長に目を細め楽しく眺める心境、でも逆に危ないことや不調時には親の気持ちの様に心配で悩ましく眠れぬこともあるが・・・一緒に頑張り育ち夢見る心でライオンズ一筋です。 ◇ライオンは可愛い我が子を谷底に突き落とす譬え話があるように、時には冷たく厳しくも必要かもしれないが・・・ 私は、ライオンズの攻撃中は視聴しても、相手チームの攻撃は心配で心配で見れない聞けないのですが、でも結果は受け入れ、勝てば素直に喜び、負ければ試練と諦めて、優勝は望めども、仮にどんな順位でも成績でもライオンズの歩みであり歴史アルバムだと思っています。 苦難の時期、長い低迷を経て、今ではライオンズファンである前に、一プロ野球ファンとしてライオンズを通じて野球をペナントレースを味わい、プロの迫力&迫真のプレーを堪能しています。 余談ですが・・・ ※ちなみに、私の「lions-123」は 大好きなプロ野球 私の中では史上最強チームであり、 巨人軍監督を非情&無意味な形で追われ、九州の弱小球団の監督と成った、知将三原脩が臥薪嘗胆、荒削りな集団を率いて、力強く伸び伸びとした魅力的な野武士集団<西鉄ライオンズ>に変身させ、宿敵水原巨人軍をエリート球団を破り日本一に、V3<昭和31年・32年・33年の日本一>を成し遂げた感動をネーミングにしております。 今は、悲しく寂しい変遷を経て、埼玉西武ライオンズとなっていますが・・・ lions-123 :西鉄lionsの31年の1、32年の2,33年の3と年号の最後の数字、今後も3連覇程度を、あの素晴らしい強さ・伸び伸び野球を何度か繰り返して実現してくれるように祈念したハンドルネームです。 「神様・仏様・稲尾様」がいて、中西・豊田・大下・関口・仰木・高倉・玉造・花井・城戸・田中・和田・滝内・小渕・西村・若生・河村が、三原マジックと共に暴れまくった平和台球場の侍メンバー達を・・・。 私の尊敬するプロ野球選手は「神様仏様稲尾様」 の西鉄ライオンズ故・稲尾和久投手です。 詳細は映画「鉄腕投手・稲尾物語」に描かれた通りですが、野球を覚え一日中、広場でグランドで三角ベースボールで楽しんでいた頃の史上最強軍団「西鉄ライオンズ」のエースであり、名将智将魔術師と言われた三原修監督の下、中西・豊田・大下・仰木・高倉・玉造・城戸・和田や西村・島原ら野武士軍団が居た。 あの稲尾和久投手です。 因みに、私は感動のあまり、その映画(2本立てでた作品は忘れました)を朝から晩まで3回観た記憶があります。 稲尾和久は昭和十二年六月十日、別府北浜の漁師の七人兄妹の末ッ子に生れた。 父の久作は一本気で曲ったことの大嫌いな男だった。和久もこうした負けん気な性格を受けついだ。 十一歳のある日、和久は友達に舟が漕げないだろうとからかわれ、憤然として荒海に乗り出した。 知合いの松源旅館の娘紀子の知らせで、母かめのは久作に救け舟を出すように頼んだが、久作は許さなかった。和久は父の期待通り、無事に舟を漕ぎ通した。 久作の父性愛は和久に不屈の精神を叩き込んだ。 その年、荒巻投手の星野組が全国実業団野球大会に優勝して、別府に凱旋して来た、和久はそれをみて心おどらせた。 前から和久の肩のいいのを知っている松源の源太郎は、自分のチームのキャッチャーになるようすすめた。 貧しい家のことを考えた和久は、一応は断ったが野球の誘惑には勝てなかった。 母は乏しい家計の中から、和久にグローブを買ってくれた。 中学に入って和久は父に内証で野球部に入った、父はそれを知って、やるなら最後までがんばれと、和久を励ました。 県立緑ケ丘高校に進学した和久は、二年の時にピッチャーに転向した、その頃から、和久は父も驚くほどのトレーニングに励んだ。 試合に負けると父に怒鳴られ、キャッチャーの栗原も良き友であり、美しい女学生節子に淡い恋心を抱くなど、和久の高校時代は楽しかった。 彼の才能をプロ球団が見逃すはずはなかった。九州男児の和久は、郷土のチーム西鉄ライオンズに入団した。 開幕第一戦、対大映戦にリリーフとして登板、見事にその責任を果した。 この頃から父は健康を害しはじめた。和久の活躍は自覚しく、その年は二十一勝六敗でパ・リーグ新人王、翌三十二年には最高殊勲選手並びに最優秀投手の栄冠に輝いた。 久しぶりに故郷に帰った和久の心は、父の衰弱ぶりが激しく暗かった。父のために日当りのよい二階家を建ててやろうと決心した。が、キャンプ中に父危篤の電報が届いたのは、それから間もなくであった。駈けつけた和久を、久作は大事な練習を休むなと追いかえした。 父死すの電報を秘めて練習に励む和久、それをみつめる三原監督の目は感動に濡れていた。三十三年、西鉄はシーズン末まで苦戦が続いた。しかし、悪戦苦闘の末三たび首位を獲得して、宿敵巨人と日本選手権を争うことになった。 その第一戦、長島を加えた巨人は見事稲尾攻略に成功した。余勢を買って巨人は三連勝、西鉄を窮地に陥し入れた。が、和久はくじけなかった。 第四戦以後、和久は投げて投げて投げまくった。そして球史始って以来の逆転優勝を成し遂げた。博多の街は西鉄チームの凱旋でわきかえっていた。和久は亡き父のはなむけに優勝の報告をした。そして母を東京見物に誘うのだった。 http://www.ishirohonda.com/works/195903-inao/195903-inao.shtml

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質問者

お礼

素晴らしい話です。 私みたいにまだ10数年のファンがつまらないことをいって申し訳ない気持ちです。

その他の回答 (3)

  • tratra60
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回答No.4

多分DeNAファンの方は、昨年の5位で少しだけ溜飲下げたのでは?と感じます。なぜなら6年振りに最下位(6位)だけは脱出しましたから。 憶測ですが、今年の同チームは週末のハマスタでのデーゲームだけを楽しみにしてそうな?雰囲気かも知れません。 さて、西武ですが実は一昔前の黄金時代ですら春先の最下位は結構ありました。5月6月辺りから本来の底力を出しはじめて夏場過ぎにやっと首位に立ってからそのままゴールインというシーズンもあったので、西武としては余り悲観しすぎることもないと感じますよ。 オカワリ中村選手も復帰したことですし…しかも監督はかつて伝説の走塁術を呼んだ(1987年の日本シリーズ)元三塁コーチ伊原春樹さん。 このまま沈んだままシーズン終わるとは思えません。 当方ソフトバンクファンですが、いつの時代でも西武の存在だけは不気味に感じてます。 かつて長年に亘って負け越し続けた相手ですし。 ソフトバンクは順位こそ今現在2位ですが、西武だけには苦戦してる?と思います。

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質問者

お礼

嬉しいです。ありがとうございます。

  • maimoi3
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回答No.3

私は長い間阪神ファンを続けていますが 世間でも良く知られている「暗黒時代」や、近年続いた補強に次ぐ補強による生え抜き選手の不遇(生え抜きの若手がふがいなかっただけとも言えますが・・・)で応援のモチベーションが下がった時期もありました そういう時、私の場合は『しばらく野球を見ないようにする』という選択を取ってきました 今の質問者様も恐らく試合を見てはストレスが溜まる・・・といった感じになっていると思われるので一度スポーツニュース、新聞を含め距離を置くのもいいと思います それでも野球が、ライオンズが好きならまた応援したくなるはずですし「今度は少し我慢してやるか」という気持ちにもなれるはずです ちなみに、私の知り合いのライオンズファンは「剛也が戻るまで応援しない!」と言っていました。これも一つの答えかもしれません 期待していた解答と違っていたら申し訳ありません。少しでも参考になれば幸いです

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質問者

お礼

ありがとうございます! おかわり復帰即やってくれましたね。 やっぱりこういうのがあるとたまりません。

回答No.2

西武が弱いのは伊原のせいです あいつは監督向きじゃないでしょ 全然 しかし西武と横浜は違います 横浜は万年弱すぎ 西武は弱くてもせいぜい1~2シーズン 定期的にAクラス もしくは優勝しているチームです

GalaxyS2
質問者

お礼

そうですよね。 カリスマがないのにスパルタではみんなついて来ないですよね。 井原辞めてほしい。