>韓国には、ロクな新聞も無いのか?
韓国にも日本にも様々な新聞やマスメディアが存在するでしょうし、その構成する執筆陣も社員にも色んな価値観や歴史認識や個性があると思います。
商業主義・社是や沿革・スポンサーや購読層のマジョリティetc。
違うのは、韓国では、その思想信条や個人意見が、そもそも反日教育や家庭での家長や年長者の意向に色濃く影響されている土壌がある、休戦中と言う戦時体制の中に在って徴兵制に近い軍隊経験・軍事教練をほゞ全ての人が心身にて体験、その作り手(報道)と受け手(購読者)が反日無罪の世論や社会に沿わないと攻撃され受けず売れないという現実やリスクをバックグランドにしている点にあります。
かなりのウイングの広さが社風や個性として混在し許され、それなりにスポンサー・支持層や購読者が得れる、日本社会とは異なるのだと思います。
例えれば、宗教の中で1神教の排他性と八百万の神(言い換えれば無宗教)の違い、国民性としての、恨の精神・火病・事大主義の存在が有り異端者に対するバッシングや攻撃批判のシュプレヒコールやデモやボイコット運動の過激さと防御本能は日本社会の和の精神・寛容性・是々非々の価値観・性向とは、同じ見解の相違に対しては北風と太陽のように異なる。
アホかどうかは⇒知的レベルやIQや学歴とか進学率、民度や国力、民主主義の成熟度、社会的関心とかで一端を知るバロメーター成り得ても、普遍的な尺度や絶対的評価の基準がある訳ではないので立場の違いや視野視点の異なる相手との相対的評価は難しいと思います。
ただ言えることは感性の差、批判や反対への言動の排他性と攻撃性の違い、より感情的唯我独尊・押しつけアワーが強い、持論の無謬性を政府マスコミが主導している政策教育報道が、世論を形成した一定の方向に傾斜し阿るのは宿命なのだろうと思います。
そして、合意形成された世論・読者の見解に追従追随するのが、商業主義に支えられ束縛された現実のマスコミ(新聞)であり、とても木鐸や社会の警鐘として世論をリードし事象や環境を政策や風潮を公正にポジティブに国際感覚に沿ってジャッジしているようには思えない。
沖縄の2大新聞が普天間基地問題で反米・反安保・反基地を鮮明にしているのと同じように、社説や社風は社会&世論の鏡であるとともに、声の大きさに迎合する側面もある。
大勢翼賛的とかマジョリティによるマイノリティの無視、物言わぬ物言えぬ読者や声の切り捨てが見られるのでは・・・
その意味でアホと言うよりも衆愚・付和雷同の傾向が底流にあり、読者のチェックや情報への多面的な取材と論評、媒体ごとの比較検証する機会も限定・制約され選択肢が少ない脆さ危うさを感じる。
お礼
ありがとうございました。