• 締切済み

僕は精神科への入院したほうがいいのでは

過去や現状を思いながら書く故に僕にはとても苦しく、よって、不安定な、そして見苦しく、重く、長く、文章になります。いつものことです。僕の抱えるものは多い。人は僕の話をそういった理由で聞きたくないので、どんどん人が去っていきます。どうか、ご了承ください。見て下さい。 ので、恐らくではありますが、一度ご回答頂いた場合、ご回答者様は僕に対して質問等が少なからずあるのでは? と想像します。その場合、ご回答する際に尋ねてくだされば、こちらもお答えさせていただきますので、この質問にはご回答後も暫くお付き合い頂く形になるやもしれません。 そして、大変なお手数をおかけしますが、この質問は他の回答、そこの僕とのやり取りも含めて一つの在り方とさせて頂きます。僕が一度に説明できればいいのですが、無理です。他の回答と織り交ぜながらじゃないと、僕は誰かの手を借りないと、この質問の全容に届かなくなる可能性があります。ので、他の回答を見た上で、一言申してくれれば幸いです。 僕は今、障害者認定3級、アスペルガーに鬱、強迫や、沢山の思考回路(記憶、感情、思考)の忘却、自分が中に何人も居る、混沌とした脳内、人以下に動かない脳内、過去の経験上から人への恐怖や不信、過去の恐怖から恐怖自体へのトラウマ、マイナス成長し続ける脳内、等、他にもまだいい足りないのですが、怖くて書けません。 つまり、問題だらけです。 ここで恐らく言われるのが、「自立して生活できるなら、自宅療法がいいのでは」というものだと思います。「精神的な悩みは解決までに長い時間がかかる。一生掛かることもある。それに世界には沢山患者が居る故に、僕に対しての万全な状態では治療することができない」だと思います。 僕としては、もう限界です。打つ手ないです。焼け石に水です。トラックに轢かれた患者に、他の患者がいるから、万全な治療ができない故、バンドエードで我慢して、と言ってるようなものです。 僕は小さい頃から強い怖がりと弱い体質故、だからこれらの理由がもっと引き立ちます。 クリニックには行ってます。でも薬飲んでも焼け石に水で、臭い物に蓋だということがわかりました。以前からそう思ってました。マイナス成長し続ける僕に薬は歯止めすることができず、薬の効果は確かにあるのかもしれませんが、その安定というのは応急処置であって、蓋をして見てみないふりに近いです。 カウンセリングでは30分という短い期間で二週間に一度しかありません。僕は当初これでいいと言ったのですが、今はもうこれじゃ足りないと確信しました。色んな僕がいる、その日その日に生み出される、思い出される悩み達が沢山ある以上、話が転々として、どれもさわり程度で終わって、一段落まで行きません。1つずつでは無理です。この問題達は全て繋がっている。芋づるなんです。皮肉にも、仮にその1つ問題が解決に進めば、さらに別の問題が際立って、発生して、って感じで、イタチごっこみたいなものになります。 増やすことも今度訪ねてみますが、恐らく無理でしょう。できたとしても一週間に一度、30分。僕は、30分という短い時間でできるのは、触り程度のもので、そして車で例えるなら、エンジンが漸くかかってきたところで終わるので、エンジンは止まること無く動き始め、カウンセリング終了後も不安や恐怖のエンジンは延々と絶好調に動き、僕を苦しめます。 デイサービスのような場所を探してもらうことも可能ですが、ケースワーカーさん曰く「探してはみるが」という空気で、恐らく少ないのでしょう。それにあったとしても、30分程度、職員に時間があれば、というものだと思います。それを見てきました。 いのちの電話は一度きりです。話し相手は掛けるたびに違います。その都度僕は説明しなければなりません。苦しくて、怖くて、それに相手は電話です。僕の側にいない。それがまた怖い。 とにかく。もう今のままでの治療は無理です。それでもやっていけとか、無理です。 入院すれば、今度話しを聞いてくるのですが、恐らくカウンセリングも30分とかじゃないはずです。それだとしても毎日か一日置きで、話す回数が増えるはずです。 というか、僕は、僕の心を何時間も何日も、継続ではなく連続で整理しないと、この鬱とか治らないんじゃないかと。 僕は入院したい。入院できると思いますか? した人は教えてください。助けてください。明日主治医に相談するのですが、僕は言葉が下手ですので、不完全燃焼のまま「このまま様子見しましょう」って言われる可能性が高い。 お願いします。助けてください。

みんなの回答

  • okei49
  • ベストアンサー率48% (72/147)
回答No.21

5回目です。 お礼を見て、遅くなりましたが書きたいことがあります。 私は善人を気取っているつもりは更々ありませんでしたが、そう受け止められても構いません。 しかし、私が幼い頃に母から受けた傷を「あきらめて」はいませんよ。 受け入れたのです。 私の母は、愛情を示す心の・時間の・余裕が無かったことを、理解しました。いえ…頭での理解なら、大分前からしていたから。 心で認めてあげることが出来た、が正しいかな。 私は母を許しました。 発病した時に、何度も謝ってくれて、薬の副作用に苦しむ私に、泣きながら付き添ってくれたから。 母は私を育てた時、小さな1人の「女の子」だったのだと。許してあげたの。 後悔して謝ってくれた。今出来る精一杯をしてくれた。だから許せた。 質問者様は、ご家庭に恵まれていない様なので、私の理屈は通用しないのだと思ってます。 何も信じられない状態で、生きていくのは本当にお辛いことだと思います。 また否定を頂くことを承知で申し上げます。 信じられないから、必要だと思う記憶が飛ぶんですよ。 何を信じろ? 難しいですね。 私が発病して回復段階で自分を信じられない時は、母に小さなことも常識と違っていないか確認しながら生活してました。 許したから頼れたのです。父は他界してるので頼れなかったし。 指針となる存在は探せませんか? それを探すために。 まず、他者の善意を否定から入るのを止めるのをおすすめします。 私の善意も疑われている様ですが、限りある時間をさいて、出来たら何かのきっかけになればと回答をつけているのに。 すごく悲しい気持ちになります。 恩着せがましい回答になりましたね。 だからお礼は無理せずつけずOKです。 私のわがままの回答だから。 ありがとうございました。

setuno_057
質問者

お礼

ご回答有難うございます。余裕があるとき、また拝見させていただきます。

  • okei49
  • ベストアンサー率48% (72/147)
回答No.20

4回目です。 再々度のお礼をありがとうございました。 そうです、私は女性です。らしくなくてごめんなさい。 お礼を読んで、泣いてしまいました。書ききれないでしょうが十分辛い過去を見ました。 辛かったでしょう。 書かせてしまってごめんなさい。 やはり親御さんは、愛を示してくれなかったのですね。 親が自身の子どもを愛するのに、理由なんて必要ないはずなんです。 「何をすればもらえるか?」…何も必要ないはずなんです! なのに、それが出来ない親が子どもの人生を狂わせる。 私もそのことにはすごく憤りを覚えます。 …私は、病歴もあり高齢なので、結婚も出産も難しいと思います。 そうさせたのは私の母親です。 もう、出来なかった私の親は許してはいます。 でも私の日々の苦しみは、消えない。 …正直、恨みが膨らむ日もあります。 私はやり取りをしていて、他の質問のお礼を見ても、質問者様が頭の良い方だと感じています。 きちんとお礼もつけられて、礼儀も正しい。 好感が持てる方と感じています。 親御さんに恵まれなかったのに、きちんと育ちましたね。 がんばりましたね。 私がそれを認めた所で、質問者様は救われはしないのでしょうが、書かずにはいれません。 普通に愛を示されて育ったのうのうと生きている人間には余裕があります。 愛されたいと、どうしたら愛されるのかと悩む時間が必要ないからです。 私はそれが悔しかった。 負けたくない。 子どもはもう無理でも、なんとかいつか結婚はしたい。私の夢です。 私は質問者様の何か、突破口になるようなきっかけを差し上げたいです。 救うなんて、大それたことは言えませんが… そんなに苦しんだ過去も捨てれないのですね。心に刻んでいるのですか。そう思うと、また涙が出ます。 親を嫌いにはなり切れなかった私とは違う。 救いがあった私とは違う。 何だか申し訳ない気持ちで一杯です。 質問者様の苦悩は、質問者様ご自身のせいでないことははっきりと分かりました。 母親って本当に、大きな存在ですよね…善くも悪くも。 私が示した質問者様の美点は、認めることは出来ませんか? 質問者様は礼儀正しい、きちんとした人ですよ。 …そんな私からじゃなく…ただ母親が、幼い頃に笑顔で抱きしめて育ててくれたらよかったのにね。 ごめんね。 きちんとしたお礼を毎回ありがとうございました。

setuno_057
質問者

お礼

>やはり親御さんは、愛を示してくれなかったのですね。 知りません。僕は他の家庭環境と比べることなんて、僕の頭じゃ難しいので。だから、他と比べて愛がないとかあるとか知りません。僕だって愛を語れませんしね。 >親が自身の子どもを愛するのに、理由なんて必要ないはずなんです。 弟が重度の難聴だと発覚した時は、泣くのを我慢して僕に伝えてくれました。 それ、どうだと思います? 弟の為に泣いてあげたのか、なんで私の人生ってこんなものばかりくるの? って嘆いてたのか。 >「何をすればもらえるか?」…何も必要ないはずなんです! なのに、それが出来ない親が子どもの人生を狂わせる。 私もそのことにはすごく憤りを覚えます。 貴方は優しくまともな人なのか。それとも不幸故に理想を求めて綺麗事を言う夢想家、理想家なのか。 >そうさせたのは私の母親です。 もう、出来なかった私の親は許してはいます。 でも私の日々の苦しみは、消えない。 …正直、恨みが膨らむ日もあります。 貴方は理解した上で許すことをしているのですか? それとも、許すことが善人であると考え気取っているだけの人間ですか? でも、どちらにしろ、貴方は諦めたのですね。無念と感じました。 >私はやり取りをしていて、他の質問のお礼を見ても、質問者様が頭の良い方だと感じています。 きちんとお礼もつけられて、礼儀も正しい。 好感が持てる方と感じています。 これを見てから僕は貴方を疑っています。敵意はありませんが。 お礼をつけて礼儀正しい? ちゃんと見てます? 僕は棘ある回答を何度もしてきましたよ。運営にも強引に書き換えられるくらいのことを発言しましたが。 まぁでも、ご心配いただきありがとうございました。 貴方にもまた、光あることを願っております。

  • okei49
  • ベストアンサー率48% (72/147)
回答No.19

再々度です。 再度のお礼ありがとうございました。 本当に見事に否定するなぁと感心してしまいました。 まず、処世術以前に別の何かが必要だという意見。 私もお礼を拝見して、同意致します。 質問者様は「人を信じられない」と書かれていましたね。 それ以前に、ご自分を信じられないのだと思います。 物事には順序があって、「まずは自分」なんだと私は考えています。 よく知っている一番身近な自分を信じられないのに他者を信じることは出来ません。 まずは自己卑下をやめることです。 ありのままの自分をそのまま受け入れる。 人と比べても、他人にはなれないのだから。 出来ない自分を受け入れる。出来ない自分は完璧主義で受け入れられないですか? ならば自分を「認める」ことも難しいのでしょうね。 他者に認められて、はじめて湧いてくる実感なんて儚いです。 要は、質問者様の心の底に一番必要なのは「自信」なのではないかと私は思います。 自信は、親から無条件に愛された子どもなら誰もが持つものです。 質問者様の親御さんはいかがでしたか? 私の場合、両親は無条件の愛を示して育ててはくれませんでしたので、自分で積み上げるしかありませんでした。 小さな成果を、確かな自信に変えていけばいい。 私にも出来ました。 質問者様にもきっと出来ます。 人は支え合って生きている、というコメントに「ならば僕という存在は許されるべき」とありました。 質問者様はそれ以前に、他者の存在を許していますか? 「傷付ける存在」として否定しているように感じています。 先程も書いた通り「まずは自分」からなのです。 他者に許して欲しければ、まず自分が許すのです。 自己防衛のために、時に身勝手で時にずるい他人を。 しかし時には時間を割いて自分を助けてくれる他者を。 また「僕には他者から受けた傷だらけです」とありました。 私は「自分の心を傷つけられるのは自分だけ」という言葉は真実だと思います。 他者から受けた評価や否定、暴言なども、受け止め方ひとつなのです。 彼女にはその能力がない、何故出来ないのか…私も色々言われた時代があります。 私には、確かに能力に欠ける部分がありました。 しかし、能力を持つ人を「知って」いて「助けて下さい」と頼むことでカバーしました。 上司は仕事があがればいいのです。 私は否定はされませんでした(と受け止めました)。 その後あいた時間に必要な知識を学び、仕事に差し支えることは無くなりました。 その一つ一つが自信になっていきます。 また、記憶に残らないと話をされていた「何から学んだかを忘れれば何を学んだかも分からなくなる」のコメント。 こちらも続きを読んでいて思いましたよ。 信じられないからです。 単純な人は、信じてしまうんです「この本の通り行動すればきっと上手くいく」と。 質問者様は半信半疑ですよね?それ以前に信じられないかな。 ご自分には出来ないと否定するかもしれませんね。 だから記憶に残らないのだと思います。 だから前言撤回です。 今、質問者様に一番必要なことは「信じること」です。 まずはがんばって生きてきたご自分を。 がんばって行こうとしているご自分を。 また何かあれば書いて下さい。仕事が終わったら考えます。 参考になれば幸いです。

setuno_057
質問者

お礼

>本当に見事に否定するなぁと感心してしまいました。 だって、僕だからね。他の人のように、此処をこうすればってことが様々な理由あってできないんですよ。 僕はそれほど最弱なんです。嫌になる。 敵意あって否定じゃないです。多分。 >まずは自己卑下をやめることです。 ありのままの自分をそのまま受け入れる。 人と比べても、他人にはなれないのだから。 えぇ、受け入れるもなにも、打ちのめされております。 >出来ない自分を受け入れる。出来ない自分は完璧主義で受け入れられないですか? 出来ない自分なんて嫌でも見ます。完璧主義者は誰かが言う言葉です。 「僕は何もできない! 抱えるものを多数解決して初めて一歩進めるんだ!」って言うじゃないですか。 そしたら誰かは「完璧主義者だねぇ。そんな多数解決することできないよ、人生そんなもんだよ」って言われるんです。 気持ち悪いですね。普通が弱者に対する余裕の見物ですか。 >ならば自分を「認める」ことも難しいのでしょうね。 他者に認められて、はじめて湧いてくる実感なんて儚いです。 ある意味認めてます。最弱で最低な人間だって思い知ってますんで。 >要は、質問者様の心の底に一番必要なのは「自信」なのではないかと私は思います。 自信は、親から無条件に愛された子どもなら誰もが持つものです。 質問者様の親御さんはいかがでしたか? なにをどうすれば、親からそれを貰えるんですか? 殴る叩くぶつける、僕を馬鹿にすることが殆どだった一人目の父親。 父と分かれて幾人もの男を連れてきたり、生活費を稼ぐだけで精一杯で、教育や鬱に関心を示さず、何も出来なかった僕を「ペット」と呼んだ母親。 刺青彫って母親に青あざつけるほど殴る蹴るの二人目の父親。 まだあるよ。でも言えない。心が不安定になるから。 でも、「そんな家庭環境なんてざらにある」?「日常茶飯事」?「それが普通の家庭環境」?「そんなもの当たり前」? 僕は夢見がちですか? 「そんなマイナスが無いのが家族」という、それだけを求めてた僕は、日和ってますか? 僕は心がざわついて、今、ここであなたに家族環境を説明するのができません。悔しいです。 親が信じられません。効率的に劣悪なんですよ、あの人達。 人は誰しも完璧じゃないのはわかります。 でも、悪い部分が凄い目立つほどマイナスに効率的なんです、あの人達の在り方が。 >人は支え合って生きている、というコメントに「ならば僕という存在は許されるべき」とありました。 質問者様はそれ以前に、他者の存在を許していますか? 「傷付ける存在」として否定しているように感じています。 先程も書いた通り「まずは自分」からなのです。 他者に許して欲しければ、まず自分が許すのです。 他者を許すの意味がわかりません。悪の人間の攻撃を許せというのでしょうか。 僕はいじめに遭いました。じゃあいじめの相手を許せと? 家族はあんな奴らでした。それも許せと? >自己防衛のために、時に身勝手で時にずるい他人を。 しかし時には時間を割いて自分を助けてくれる他者を。 僕は成長が許せない。間違っている場合に威張ってこれが正しいと信じて人を傷つける人間が許せない。 そんな奴らが成長するのが許せない。成長したから何なんです? 誰かを傷つけた結果は残ってるんです。 謝ればいいとか、償っていけばいいとか、都合良すぎます。 最低や最弱、最悪の代名詞とも言える「僕」と同じくらいに絶望しろ。心が狂ってどうにかなってしまえ。毎日辛苦に苦しんで、酷く情緒不安定で漸く償いへの第一歩です。 僕は大嫌いです。僕が。本能を満たすときだけ大好きですが。醜いですね。 >また「僕には他者から受けた傷だらけです」とありました。 私は「自分の心を傷つけられるのは自分だけ」という言葉は真実だと思います。 他者から受けた評価や否定、暴言なども、受け止め方ひとつなのです。 彼女にはその能力がない、何故出来ないのか…私も色々言われた時代があります。 失礼、貴方女性の方だったんですか。 >私には、確かに能力に欠ける部分がありました。 しかし、能力を持つ人を「知って」いて「助けて下さい」と頼むことでカバーしました。 この文章を見て心がざわつきました。 「助けてください」は「甘え」と言われた僕にとっては。「人任せ」と言われた僕にとっては。 >上司は仕事があがればいいのです。 えぇ、上司は。数十人の部下を束ねる上司は、そうでしょうね。 ですが、同僚、つまり部下の位に居る僕たちはどうです? 任せたら、頼んだら、それは「ズルをしている」と思われるのですよ? >私は否定はされませんでした(と受け止めました)。 その後あいた時間に必要な知識を学び、仕事に差し支えることは無くなりました。 その一つ一つが自信になっていきます。 >また「僕には他者から受けた傷だらけです」とありました。 私は「自分の心を傷つけられるのは自分だけ」という言葉は真実だと思います。 他者から受けた評価や否定、暴言なども、受け止め方ひとつなのです。 彼女にはその能力がない、何故出来ないのか…私も色々言われた時代があります。 私には、確かに能力に欠ける部分がありました。 しかし、能力を持つ人を「知って」いて「助けて下さい」と頼むことでカバーしました。 上司は仕事があがればいいのです。 私は否定はされませんでした(と受け止めました)。 その後あいた時間に必要な知識を学び、仕事に差し支えることは無くなりました。 その一つ一つが自信になっていきます。 さっきから心がざわつきます。今思えば、これは僕が心で設定したことなんだと気づけたかもしれません。 心がざわつけば、何を並べるとかそんなものを省いて、一度に僕を表現できる。 このざわつき、混沌と幾人の僕が一度に表現できるやり方なんだと思いました。 僕の中に何人もの僕が居て、混沌とした膨大なものが渦巻き続ける。 一歩進めるくらいに進化するには、それらに大打撃を与えるほどの最強のワクチンが必要です。 僕が何人もいるんですよ? 混沌が渦巻いているんですよ? 何を信じろと? >だから前言撤回です。 今、質問者様に一番必要なことは「信じること」です。 まずはがんばって生きてきたご自分を。 がんばって行こうとしているご自分を。 えぇ、僕は僕を救いたい。でないと、僕が可哀相です。 人も歩けば、どんな小さな幸福にでも当たるのに、僕は歩けば苦しさと恐怖しかないです。 助けたいですけどね。僕も、僕を。

noname#194156
noname#194156
回答No.18

No.16です。ご返信ありがとうございます。 自由を選べば自堕落に、非生産的で成長のない日々ということだったのですね。 どうせお金と時間を使うなら、ただ遊ぶだけではなくて、どこかサークルに所属したり、習い事や免許を取りに行けば良かったのかもしれませんね。 少なくともどこかに所属していることになりますから、社会的な居場を確保できますし、日々何かを学んでいるのですから心も満たされますよね。 私が最初に鬱になったときは、小学校に入学したての娘が学校に馴染めず、引きこもりがちになってしまったのが、立ち直りの切っ掛けでした。 自分のことよりも、娘から笑顔が消えてしまったことがショックだったんです。 「このままじゃいけない。誰かが助けてくれるのを、ネガティブな感情が薄れるのを待っているだけじゃだめだ。ただ嘆いているだけじゃだめなんだ。私が奮い立たなければいけないんだ」と。 そう思い始めたときに、娘が学校から持ち帰ったプリントに親子参加の野外劇サークルの案内が載っていたんです。 練習場所も娘が通っていた幼稚園だったので、「これだ!」と思いました。 その場で浮くとか浮かないとか、そんなことはどうでもいい。 ただ、娘が以前の元気な子に戻ってくれれば…と、藁にも縋る思いで申込書に記入しました。 決まった周期で決まった時間に終わり、適度なコミュニケーションが取れて拘束時間も短く、目的が皆同じだから連帯感もあってと、引きこもりがちになっていた私でも無理なく通えました。 皆に迷惑を掛けたくないからと、遅刻しないように時間を意識できたことも、体調を整えることに役立ち、いつのまにか謎の体調不良も焦燥感もなくなって、以前の自分に戻っていました。もちろん、娘もです。 それからは嘘のようにタフでいられたんですが、夫の仕事柄、また引っ越しをせねばならず、結局、鬱をぶり返してしまったのですが、鬱というのは目的意識がないと治りにくいし、適度なコミュニケーションと連帯感が特効薬なんだなと、少なくとも私の場合はそうなんだと思っています。 何かの集団に属することが苦手なら、登山をお勧めします。 独身時代にニセコの鏡沼に行ったことがあります。 山の中に浮かぶように見える鏡沼を目指して夫と二人で歩いて行ったのですが、山道は曲がりくねっていて、なかなか目的地にはたどり着けないのです。 春だったのですが雪解け水で道はドロドロ。気を付けていないとぬかるみに足が取られてしまうし、履いていたスニーカーは直ぐに汚れてしまいました。 登山道の入り口にいたときは沼が意外と近くに見えたのに、歩いても歩いても沼は遠く…。いい加減に飽きてきたというか、疲労を感じつつありました。 しかし、時折山道をすれ違う人は皆、こちらの姿に気が付くと「こんにちは」と挨拶をしてくれるのです。私も挨拶を返しましたが、どの人も必ず挨拶してくれることに少しとまどっている様子を見て取った夫は「山道ではね、すれ違う時に挨拶をするのがマナーなんだよ」と教えてくれました。 「そうか、そうだったんだ」と、時折すれ違う人の挨拶に励まされつつ、勇気づけられたように目的地へと歩み続けました。 私は人から構われ過ぎるのは嫌いだし、かといって無視されるのも嫌いだし、騒々しいのも寂し過ぎるのも苦手なので、山道のルールは良いな、性に合っているなと思いました。自然には気を遣わなくても良いし、汚さないようにしていれば自然に対するマナーは守れているわけだし、自然はこちらに、ああしろ、こうしろと命令をしません。 それに目的地の鏡沼の景色の素晴らしさと言ったら…言葉に出来ないです。 久しく行っていませんが太古そのもので、あそこだけ時間の流れが違っているとしか思えなかったです。 あの曲がりくねった長い長い道も、ドロドロになった靴も、あの景色を見てしまうと簡単にはたどり着けないからこそ神々しいまでに美しいのだと妙に納得してしまったし、たどり着けたときの喜びもまた ひとしおなんだと感激しました。 最初の鬱を経験してから周期的に気分の落ち込みがやってくるのですが(医者に行っても、あなたは自己分析できるから自力で直せると言われてしまうので、困っているのですが…)去年の夏、知床五湖を観に道東に行きましたが、あれは良かったです。 時間がゆっくり流れる場所で過ごすと、帰って来てからもしばらく心身ともにリラックスできて、時間が長く感じられたのです。 「あれ? まだ、これだけしか時間が経っていないんだ」と不思議で、夫に「知床に行ってから時間が長く感じない?」と聞いたら、夫も「そう感じていた」と言っていました。「そう言えばこの人、この頃あまり怒っていないな」と、こちらも内心 思ったりもして…。 旅行中は、お土産屋さんの木彫り職人さんと話が出来たのも楽しかったですね。ずっとお付き合いするような間柄ではないですから、あまり固くならずに気軽に話が出来ます。 深く関わる訳ではないけれど、おもてなし感覚で話を聞かせてくれる人、そういう人との関わりは心の中に灯をもらえたようで良い思い出です。 鏡沼ですれ違った登山客も、道東で出会った土産店のご主人も、私という人間と話すことで、少しは退屈しのぎになったのだろうから、私も何かの役には立っているんだろうと思います。 そんな風に、人と深く関わるのは好きじゃないけれど、一人なのは寂しいというタイプであるのなら、自然の中で気を養うこと、重くないコミュニケーションが取れる場に出かけることをお勧めします。 暖かくなったら、ぶらりと遠出してみてください。 回答が、ご質問者にとってピンポイントじゃなくても、ぶれぶれに思えても、そこは勘弁してください。 人間は誰しもスペクトラムなので、皆、自分の色があるのですから。 発達障害を非定型発達と呼ぶ人もいます。 発達というのは、スペクトラム状に繋がっています。 だから、完全に一致する人はいないけれど、近い色を持つ人はいる。 近い色に惹かれたり、真逆の色や中間層の色に惹かれたりもする。 人は皆、そんな関係なんです。 同じにはなれないけれど、虹のようにどこか重なっていて、その重なる部分を頼りに生きているし、生きて行くんです。

setuno_057
質問者

お礼

寂しいですが、一人がいい。 一人で不安な自分もいれば、誰かが怖いし嫌だから一人がいい自分もいる。 何らかの理由で寂しい自分もいれば、何らかの理由で一人でいい自分もいる感じですね。 苦しいなぁって。だから奮い立たすのは分かりますよ。僕だってこんな自分のままじゃ危険だって、だから僕を救うんだって思い始めました。 奮い立たすというか、なんというか。厳密に言えません。でも奮い立たすという言葉も間違ってると思うんで、代替の言葉が浮かびません。 羨ましいですね、貴方には伴侶が居て。愛してくれて、支えてくれている人が、貴方という精神的なこともありますが、肉体的(いやらしい意味ではありません。僕にはいのちの電話やネットといった言葉だけのコミュニケーションが多数を占めていますので、現実に目に見える形でという意味です)にも側にいるのは、僕には非常に羨望します。 でも、僕の味方は、それでもいるそうです。少しだけですけど。だからまだ、この世界全てを厭世するには、早いのではとは思い始めました。 それに、もっと早く気付けば良かったのにね。

  • okei49
  • ベストアンサー率48% (72/147)
回答No.17

再度です。 お礼をありがとうございました。 やはり質問者様は、負の記憶を刻み込んで、忘れるのが苦手の様ですね。 記憶の棚上げはおっしゃる通り「逃げ」です。負のスパイラルからの逃避です。 「逃げるが勝ち」の気持ちでした。 私が記憶を棚上げしたのは忘れられないからです。 必要な時に下ろして使いたかったからです。 でもね、必要な時はほとんどありませんでした。 辛さやトラウマは、刻みつけなければならないほどに、本当に大切なものなんですか? そう感じてしまっているだけではありませんか? 私は前に進みたかった。 「明日が失敗のない新しい日」であるなら、真っ白なキャンパスに絵を描きたいと思った。 だから過去を一旦無かったことに決めました。 私の「動く、食べる、寝る」「心の休息」という言葉に、質問者様は「ニート」や「遊び」を書かれていましたね。 私の言う意味は少し違います。 「動く」身体をスポーツ等で動かすことや、社会活動の一役を担い行動することです。それはニートや遊びではない。 質問者様は、行動をする時に必ず強い意識と思考を持っていらっしゃる。 それはとてもよいことなのだと思います。 ならば何が違うか。 失敗から学ぶのは大切なこととは思います。 でも大切なのは「何を学んだか」で、何から学んだかは忘れていいし、傷はかさぶたをきちんとはって癒すべきだと思います。 また、失敗からしか人は学ぶことが出来ないのでしょうか? 違うと思います。 「本」があります。 ご自分の過去からばかり学ぶのではなく、過去に存在した偉大な人々から教えてもらうのです。 有名な戦国大名たちも、「孫子の兵法」から戦い方を学んで戰に挑んでいたのです。 「孫子」は、20代の頃に処世術を学ぶために読んだことがあります。 読みやすい単行本も出てます。 読んでみてはいかがですか? 立場を理解し戦い方を学べる本を活かせば、大変な苦労も減るのではないでしょうか? いかに自分の意見を通すかです。 自分の立場をわきまえれば、長いものに巻かれることが必要な時もあるでしょう。 でも私はどんなに小さな立場でも、もう絶対に、今掴んでいる自分の「立てる場所」を手放したくない。 人は時にずるくもあるし、逃げるし、自分勝手でもあるのです。 いつでも聖人君子であろうとすれば壊れるのが必然。 人は弱い。だから仕方ない。 だからみんなで支え合い、補い合いながら生きている。 それがあるべき姿なのだと思います。 ご自分の得意なことは何ですか? それを伸ばし、苦手な部分は他者に「力を貸して下さい」という少しの勇気だけで生きていけるのに。 質問者様が学ぶべきは、処世術だと私は考えます。 間違っていましたら、またご指摘下さいね。 参考になれば幸いです。

setuno_057
質問者

お礼

>失敗から学ぶのは大切なこととは思います。 でも大切なのは「何を学んだか」で、何から学んだかは忘れていいし、傷はかさぶたをきちんとはって癒すべきだと思います。 この僕に貴方の思考は通用するとは思えない。これは貴方を侮蔑してるわけではありません。僕への卑下です。 何から学ぶことを忘れれば、延長線上である何を学んだかもわからなくなる。「何から学ぶ式」を忘れれば、答えの「何を学んだか」というものが実感が湧かなくなる。答えだけ残っても何故か実感も理解もできないんですよ。 答えに衝撃が無ければ僕は忘れてしまう。頭にあっても重要じゃなくなる。僕の能力のようなもので「知っているが気づいてはいない」というものがありまして、その言葉通りです。存在は知っていても、内容を、意味を、力量を、重要さに気づけない。失ってから初めて気づくことってあるでしょう? それのようなものです。 僕は、人を信じられない。怖いから。 怖いと知ったのはその後のことです。 でも、人を信じられないから刺を出すことは、知っていたはずです。 それが、この前の職場で大失敗を起こしている。 知っていたのに、気づけなかった。 >また、失敗からしか人は学ぶことが出来ないのでしょうか? 違うと思います。 勿論。本を読むなり、誰かの話を聞くなり。 記憶が忘れる僕。覚えられない僕。稚拙な頭の僕。不器用な僕。 僕はある種「新人類」です。普通以下の粗悪な人間。 そんな普通が通用しない劣化新人類の僕に、できると思いますか? 助言は嬉しい。本当です。僕にもこれができたら、って思います。 >いかに自分の意見を通すかです。 僕はリアルタイムで言葉が話せません。 >でも私はどんなに小さな立場でも、もう絶対に、今掴んでいる自分の「立てる場所」を手放したくない。 僕には今立場が無いので、これは分かりません。 >人は時にずるくもあるし、逃げるし、自分勝手でもあるのです。 一層、厭世になりますね。 >いつでも聖人君子であろうとすれば壊れるのが必然。 人は弱い。だから仕方ない。 僕は、そんな聖人君子になりたがってるように見えますか? >だからみんなで支え合い、補い合いながら生きている。 ならば僕という存在は許されるべきです。それなのに僕には他者から受けた傷だらけです。 >ご自分の得意なことは何ですか? なんでしょうね。好きなことでも誰かにあっという間に抜かれる僕ですから。 僕は時折センスはいいと思います。これをこうすればいいんじゃないかってものは思えますが、じゃあそこから僕に伸びしろはなく、誰かにその成果を奪われ、誰かが得し、僕が損する。 >それを伸ばし、苦手な部分は他者に「力を貸して下さい」という少しの勇気だけで生きていけるのに。 苦手な部分は多すぎでしょう。世界はそれを「他人任せすぎ」と言うのです。 処世術。 何でも否定する僕。それは怖いこともあるし、僕の中の混沌としたものが次々出てきて、それを全て解決じみたことをしなければ信じられないという厄介すぎることもある。 人はそれを「完璧主義者」と呼びます。 僕はそれこそを「僕より上の普通人が言える余裕の言葉」と呼びます。 ごめんなさい。僕は、悪気あってか、無いのか、僕には否定しかできてませんね。 処世術もそうですが、僕にはもっと、以前に、また別の何かが必要なんだと思います。 完璧主義者と言われようとも、やはり必要なんだと思います。 この「僕」をどうにかする、何かが。 また何かあればご回答くだされば幸いです。

noname#194156
noname#194156
回答No.16

No.10です。ご返信ありがとうございます。 入院の件ですが、希望は通ったのでしょうか? それとも、今の治療スタイルのまま通院(二週間に一度、30分カウンセリングを受ける)ということになったのでしょうか。 ご質問者のこれまでのご返信を見る限り、掛かり付けの病院は、きちんとした病院で、先生もカウンセラーもちゃんとした方だという印象です。 今なお入院を希望していて、通院先の入院施設が整っているのなら、無理に転院せずに今のスタッフにお任せして良いと思います。 解離性障害の症状については補足で詳しく書いて下さるということでしたが、かなりの集中力や制御力が必要とのことなので、こちらから催促するのはやめておきます。 しかし、ご質問者が書くことによって、進展が得られるとお考えなら、いつでも補足欄を利用して書き込んでいただいて構いません(ご質問者の心理状態や病状が明らかにされている方が、読んだ方から的を射た回答が集まりやすくなると考えられますので、気が向いたらいつでも書いてください)。 No.14さんへのご返信で、解離性障害に関する症状について書いていらっしゃったので、こちらにも、おおまかな状況は伝わったと思っております。 解離も鬱も強迫観念もアスペルガーの二次障害で、ご質問者が自分という人間が解らなくなってしまったから、自分とどう付き合って行ったらいいのか解らなくなってしまったから出て来た症状なのでしょう。 一言でいうのなら「前に進むのが怖いという感情が症状になって表れている」ということなのだろうと。 そして、「自分のことが解らないのに、他人のことまで解る訳がない」と。 今は、好きと嫌いぐらいしか解らないのかもしれないですね。 ご質問者の中にいる複数の人格とは、他者の意見を受け入れ成長したいと考える人格と他者が信じられず裏切られるのではないかと恐怖し変化を嫌う人格、大きく分けると この二つなのではないですか。 理性的であろうとする人格と恐怖心に支配された人格。 大人であろうとする人格と大人になることを拒否する人格。 それらは誰にでもあることだけれど、「程度が大きくなれば統合は適わず、その状況が病と呼ぶよりないのに、それが理解してはもらえないのが辛い」のですよね。 鬱は、ゆっくり休んで好きなことをやるのが一番良いと言われていますよね。 でも、家族がそれを許してくれないのなら、病院に一時避難するのも良いのではと思っています。 別居が可能ならば別居も良いのでしょうね。 家族にあれこれ気を使うことで病状がよくならないのならば…。 __________ これについては追記ですので返信は無用です。 気力があるとき、気が向いたときにさっと読んでいただく程度で結構です。 EMDRに関しては、カウンセリングの際に繰り返しトラウマについて語ることに恐怖心があるのなら…と情報提供しましたが強制ではありません。 資料を読むこと自体が怖いなら、どうしようもないので…。 しかし気分が安定していて、前回の回答の参考リンク1を開く気持ちがあるのでしたら、リンクページの上端に『EMDR治療者リスト』という黒帯で表示された目次がありますので、これにカーソルを合わせると最寄りの地域が表示され、地域を選択後クリックすることで医療機関と治療者名、電話、メールといった情報を見ることが出来ます。実際にはリスト以外にも治療者はいますので、最寄りの病院のホームページなどでも探すことは可能です。 なおリストを開くと治療者名のすぐ下に修了レベルが記載されていますが、日本EMDR学会では、Weekend2 / Part2トレーニング、もしくは大学院コースを修了者を治療者として選択するように勧めているとのことです。 この詳細については、『EMDR治療者リスト』の表示を直接クリックすることで確認出来ます。 (前回ご紹介した)参考リンク1と2、このページのことですが、あまり心配なさらないでください。患者さん向けに書かれたものなので、脅すようなことや怖いことは書かれていませんので。

setuno_057
質問者

お礼

>入院の件ですが、希望は通ったのでしょうか? 相当キツかったら、入院は可能と言われました。 >それとも、今の治療スタイルのまま通院(二週間に一度、30分カウンセリングを受ける)ということになったのでしょうか。 今は薬を強くして、今までのサイクルで行くことになりました。 >No.14さんへのご返信で、解離性障害に関する症状について書いていらっしゃったので、こちらにも、おおまかな状況は伝わったと思っております。 解離も鬱も強迫観念もアスペルガーの二次障害で、ご質問者が自分という人間が解らなくなってしまったから、自分とどう付き合って行ったらいいのか解らなくなってしまったから出て来た症状なのでしょう。 解離とは先生にも伝えましたが、解離かもという感じですね。解離に似たような状況です。多分。 >一言でいうのなら「前に進むのが怖いという感情が症状になって表れている」ということなのだろうと。 そして、「自分のことが解らないのに、他人のことまで解る訳がない」と。 混沌とした頭には、その言葉も渦巻いてることでしょう。それだけではないと思いますが。ほんと、厄介ですね。 >今は、好きと嫌いぐらいしか解らないのかもしれないですね。 ご質問者の中にいる複数の人格とは、他者の意見を受け入れ成長したいと考える人格と他者が信じられず裏切られるのではないかと恐怖し変化を嫌う人格、大きく分けると この二つなのではないですか。 理性的であろうとする人格と恐怖心に支配された人格。 大人であろうとする人格と大人になることを拒否する人格。 それらは誰にでもあることだけれど、「程度が大きくなれば統合は適わず、その状況が病と呼ぶよりないのに、それが理解してはもらえないのが辛い」のですよね。 分からない。それもあると思うけど、僕は他にもいると思います。諦めて死にたい自分とか。 >鬱は、ゆっくり休んで好きなことをやるのが一番良いと言われていますよね。 僕は一人暮らしです。そして、二年はずっと、何もせず過ごしてました。好きなように金を使って、生きてました。 そしたらどうです? そこは最悪で甘美な優しい死があったんです。 「自由」な生活でした。確かに自由でした。 でもそこに何も無いのです。何一つ進まず、生きるだけなのです。 僕という人間は何もできないという事実を浮き彫りにするだけでもありました。 遊んで暮らすとは、優美に優雅ではありませんでした。世界はおろか、自分にすら見捨てられた、ただのエゴの存在に成り下がったのです。

  • okei49
  • ベストアンサー率48% (72/147)
回答No.15

前回の質問に「明日は失敗のない新しい日」とお答えした者です。 私は寛解している精神疾患を持っているだけの者で、詳しい知識はありません。 他の回答者様の様に、詳しく難しい病気のことは分かりません。 経験でだけ書くことをお許し下さい。 質問者様は「忘れる」ことが苦手なのではありませんか? 発病する以前の自分がそうでした。 私の心を傷付けた言葉や出来事、その経緯、会話…こと細かく記憶から消えてくれませんでした。 記憶とそれに対する思考が限界を越えた時に、私は統合失調症を発病しました。 医師にも重いエピソードだと言われる程に、私の症状は大きなものでした。 絶望したことは前回書きましたね。 その私が回復に向けてしたことは、記憶を棚上げして、動くことでした。 忘れられたらいいのにね。失敗もそれによって起きたあらゆる不幸も。 忘れられないにしても、そのあとに起きる幸福感などにより、一般的には負の記憶は薄れていきます。 人は忘却の生き物なんです。 私は思います。 質問者様に必要なことはややこしい知識でも難しい話でも無いのではないかと。 「考えないこと」って出来ますか? ただひたすら動く。食べる。寝る。… 質問者様に必要なのは「考えない休息時間」ではありませんか? 考えるから混乱する。 考えるから失敗を想像してしまう。 考えないことを意識しても、つい考えてしまうのが人間。 だから怖がらずに考えずに動くことを意識してみませんか? いつも臨戦体勢でいては、いざという戦いの時に力が出せず闘えません。 私は「普通の人」が、いつもそんなに気を張って生きていないことを知って、衝撃を受けました。 立派になんかならなくていい、ほめられなくていい、普通で十分。 私は立派な人間になりたかったです。ほめられたくて、誰からも好かれたくて…必死に生きてました。 そのこだわりを捨てて、普通を目指して、それなりに幸せを模索出来る様になれた、今の私がいます。 質問者様は、心に沢山の重荷を抱えてらして、私よりももっと大変だと思います。 ベッドにいるだけになるかも知れない入院も、外界から逃れ、自分を上手くコントロール出来る様になるためなら、よいかもしれません。 でも忘れないで下さい。 入院しても、そこに人間社会は存在します。 私はそこで失言をおかし、いじめにもあいました。 病気から来た失言でありましたので、後にはだいたいの人と和解出来ましたが、許してくれない人もいました。 謝罪してもダメだったので仕方ないです。 忘れられませんが、その事実が私を苦しめることはもうありません。 それは、そのたった一人にこだわっておらず、仲良くなれた人の方が多かったことに目を向けれたからです。 小さなことに、こだわって来た自分を捨てたから。 大きな目標を果たすために、小さな問題は忘れるようにしました。 だから、入院はしてみてもいいと思いますよ。 出たい時に出れない可能性は捨てきれなく、私はもうしたくないですけど。 本当に苦しい、助けて下さいと泣きついても、入院は難しいですか? 何かご質問がありましたら、お礼等をつけていただけたら見れます。(補足だけだと見ない場合もあります…ごめんなさい) お力になりたいのでよかったら。 参考になれば幸いです。

setuno_057
質問者

お礼

>質問者様は「忘れる」ことが苦手なのではありませんか? 僕は記憶を忘れます。要るものが忘れてしまうことが殆どじゃないでしょうか。 でも忘れないのです。トラウマや嫌な記憶は僕を苦しめます。 でも忘れちゃいけないのです。過去の失敗から学ぶことを僕はやらなくてはいけないのに、でも忘れる。嫌なことが忘れて、僕はまた同じような失敗をする。 記憶は、僕にとって殆どが真逆になります。覚えたいのに覚えれない。忘れたいのに忘れない。悪循環です。 >発病する以前の自分がそうでした。 私の心を傷付けた言葉や出来事、その経緯、会話…こと細かく記憶から消えてくれませんでした。 記憶とそれに対する思考が限界を越えた時に、私は統合失調症を発病しました。 医師にも重いエピソードだと言われる程に、私の症状は大きなものでした。 貴方も同じ、精神的な悩みを持つもの故、その苦しさや痛みは、同感し、心痛します。 >絶望したことは前回書きましたね。 その私が回復に向けてしたことは、記憶を棚上げして、動くことでした。 申し訳ない。僕には、棚上げはどうかと思います。貴方への中傷ではないのです。それもまた一つのやり方なので、僕が批判することはないです。 ただ、僕にとって棚上げとは、逃げるのです。上記しましたが、過去から学ばなければならないところがある。 >忘れられたらいいのにね。失敗もそれによって起きたあらゆる不幸も。 僕は分からない。忘れれば、忘れちゃいけないとか、僕には判断できないが、でも、忘れれば僕は、何かまた失敗をするのではと、確信染みたものを感じます。 >人は忘却の生き物なんです。 身勝手。自分勝手。自己中心。 その言葉は、僕にとって敵に思えてしまいます。 でも、貴方はそんなつもりで言っているのではないと思います。 >「考えないこと」って出来ますか? できてしまっていました。僕は、僕を見てみぬふりしていたのです。 ただひたすら動く。食べる。寝る。… 質問者様に必要なのは「考えない休息時間」ではありませんか? その日が数年も続きました。ニートです。 でも、そこにあったのは、甘美で緩やかな死でした。 優しく過ぎていく一切の時。その間、僕は文字通り何もせずに生きてきたのです。 成長がない。回復もない。ただ遊んで、食って、寝て。そこに、自由はありましたが、幸せはありませんでした。 >考えないことを意識しても、つい考えてしまうのが人間。 だから怖がらずに考えずに動くことを意識してみませんか? 考えなければ僕は失敗してしまう。考えてもまた別の失敗をするのですが。 >私は「普通の人」が、いつもそんなに気を張って生きていないことを知って、衝撃を受けました。 ふざけるな。だったらなんで精神的な敗北者が生まれるんだ。お前たちはいつも「立派」を求めておきながら、そうやってできない人間を攻撃しながら、誰も手を抜いているのか。 って思います。貴方への言葉じゃありません。世界にです。 >立派になんかならなくていい、ほめられなくていい、普通で十分。 私は立派な人間になりたかったです。ほめられたくて、誰からも好かれたくて…必死に生きてました。 そのこだわりを捨てて、普通を目指して、それなりに幸せを模索出来る様になれた、今の私がいます。 僕は立派ではなく、普通が欲しかった。でも、僕という存在には、普通以下のことも及ばなかったのです。 >入院しても、そこに人間社会は存在します。 私はそこで失言をおかし、いじめにもあいました。 病気から来た失言でありましたので、後にはだいたいの人と和解出来ましたが、許してくれない人もいました。 謝罪してもダメだったので仕方ないです。 忘れられませんが、その事実が私を苦しめることはもうありません。 それは、そのたった一人にこだわっておらず、仲良くなれた人の方が多かったことに目を向けれたからです。 小さなことに、こだわって来た自分を捨てたから。 大きな目標を果たすために、小さな問題は忘れるようにしました。 小さなことに収められるのは、僕も同じだと感じました。 この前、職場で対立し、僕は仕事を辞めました。でも、相手もA型就労の長である立場ながら、配慮がなかったようにも思えます。 僕だけが大きく傷ついて、相手は少しの迷惑を被っただけで「僕という自分が知らなかった存在がいるのだ。今度から気をつけよう」と沢山学べただけ。相手は僕を「小さなこと」として仕方ないと切り捨てて、成長した。 僕はどうだ。僕だけ大損だ。僕が、哀れすぎるじゃないか。 僕はそうやってどんどん追いやられる。仕方ないとか、切り捨てる側で。僕は必要以上に傷つけられる。 とても悲しい。なんで、僕だけは。 こんなに考えてる僕だけが馬鹿みたいじゃないか。 こんな世界に人がしてるくせに、それでも身勝手に生きてる人間のほうが利口みたいじゃないか。

  • JP002086
  • ベストアンサー率34% (1538/4408)
回答No.14

No7 でアドバイスした者です。 >先生は「解離が始まっている可能性があるやもしれない」とは言ってましたが をご自分で確認する方法があります。 まずは、解離性障害に関しても色々な症状をみせる疾患があるので、メモ程度で構わないので記憶しておく事ためにも、少しだけ書いておきます。 あくまでも、解離症状の例ですので流し読みするだけで良いです。 1.数時間・数日・数ヶ月の記憶が空白になっている 2.痛みや気分的に不快を感じない 3.周囲の人や物が薄いベールで覆われたように見える(これは、感覚的なものなので“無い(感じていない)”場合もあります) 4.確かに自分がしたと思われることについて記憶がない 5.周囲の出来事が自分とは無関係に進んでいるように感じられる 6.まるで別人のようだったと他人に知らされるが、そのような覚えがない 7.気がついたら、まったく見知らぬ場所(あるいは見知らぬ人と一緒)にいた 8.気がついたら怪我をしていたが記憶がない これは、人格が交代したが故に記憶の引き継ぎが行われない現象がある為、この様な症状が出てくるのですが、自分自身で確かめるには 一昨日寝た時から昨日寝るまでの間、なん時に何をしていたか?をテレビ番組表みたいな物を作り埋めてみてください。 どうしても埋めれない・思い出せないと言った時間帯があれば、この表を埋めている人格とは違う人格と入れ替わっていたと疑う事ができます。 頭の中で、複数の人が会議をしているみたいな感覚は、統合失調症の方でもおきますので専門的な経験を数多く携わったことのない医師ですと判断ミスが起こってしまうかもしれません。 処方の薬を2点書かれていますが、製品名からすると多分、医師は統合失調を疑っていると思います。 (私の感覚的で申し訳ないですが)

setuno_057
質問者

お礼

1.数時間・数日・数ヶ月の記憶が空白になっている 空白というか、数ヶ月前のことは誰でも覚えていないだろうし、数日前は何となくしか思い出せません。数時間前もなんとなくしか。多分。 自分は記憶が持ちにくいと感じています。忘れっぽいんで。あれ? でも忘れてるってことは? 解離のせい? 僕の元々の頭のせい? よく分からなくなってきましたね。多分僕のせい? でも、例えば負に感情的になってたら思い出せないこともあるのですが、それは怖くて思い返せないという点もあります。というか、今僕は過去自体を思い出すのが怖いんです。 2.痛みや気分的に不快を感じない これはないと思います。痛みは痛いし、苦しければ苦しいし。僕が怖くて意図的に無意識に無視しているものは忘れると思います。見返したいんですけどね。 3.周囲の人や物が薄いベールで覆われたように見える(これは、感覚的なものなので“無い(感じていない)”場合もあります) そう思えばそう思う程度ですね。だから無いと思います。 4.確かに自分がしたと思われることについて記憶がない そんなこと言ったっけ? は顕著にあります。あと、そんなことしたっけ? というのは、多分あると思います。健忘か、それとも解離かは知りません。 5.周囲の出来事が自分とは無関係に進んでいるように感じられる ある意味無関係です。世界とはそういうものです。 6.まるで別人のようだったと他人に知らされるが、そのような覚えがない 以前、君の中に何人も君がいるような、とは言われました。僕も以前からそう思ってたので、これはそうだと思います。 7.気がついたら、まったく見知らぬ場所(あるいは見知らぬ人と一緒)にいた これはないですね。 8.気がついたら怪我をしていたが記憶がない これもないです。でも、寝ぼけて足を打ったりとかして、こんな傷いつの間にとかはあります。 貴方が言うのは、恐らく行動認知療法のことですね。これはできてました。でも、もう辞めました。同じような日常ばかりの時にしてたんで。多分、大体は思い出せて書けたと思います。 ので、恐らくは、僕の場合は、貴方の考察を参考に考えれば、厳密に言えば、統合失調のように頭の中で何人も僕が会議している状態が、分裂のようなことになっている感じなんでしょうね。ある種解離です。

noname#192472
noname#192472
回答No.13

でなければ、対応のいい場所に行くしかないでしょう。 入院したって、ベッドの生活が待ってるだけです。 食事は自分で作らなくても出てきて。単にそんな生活ですが…? ものすごく高額になれば、付き合ってくれるかもしれないけど… 入院とは、辛いからするので、話を聞くとかじゃないと思うんだけど 自分の通院している病院はそうなのでしょうか? しかも定期的に薬を飲まされるわけでしょ? どういう展開を期待しているのか知りませんが…それですっかり良くなって よくなった暁には別人のような自分で生活できるということではないのですよ。 病院は薬を処方するところです。だもので入院とは…薬を定期的に飲み 定期的な生活、食事時間、そして、休息です。 自分がアスペルガーであるとして、問題は、それが生活にどのような困難をきたしているか だけだと思うんです。だって、それって言い換えれば個性だからね。 テレビ特集だと、そういう人にプレゼントされた才能…なんて取り上げられてるけども 下手すりゃ、その個性が、医師に「変」と言われて潰される可能性だってないわけじゃないし。 ダイヤモンドも理解しなけりゃただの石。 そういったことも踏まえて、それでもかつ、入院したいのでしょうか?

setuno_057
質問者

お礼

自分じゃどうしようもないんです。

setuno_057
質問者

補足

僕のアスペルガーは個性とすれば、ただの迷惑すぎる厄介な性格にしかなりません。 明日医者に話していきます。

  • smi2270
  • ベストアンサー率34% (1640/4699)
回答No.12

smi2270です お互い様ですよ~♪ 助け合って 生きていかなければね~(笑顔) 主治医に 紹介状を書いてもらってくださいね あなたも 入院したら 悩んでる方や 困ってる方の質問に 回答やアドバイスしてあげてくださいね 私もここで 少しでもお役に立ちたく 書き込んでいます いろいろ 勉強にも なりますしね♪

setuno_057
質問者

お礼

ご回答有難うございます。

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