妄想と現実の間で彷徨い死のうか迷っています。
発達障害が高じて統合失調症になった37歳女性です。34歳の時に詩を載せたブログを軽い気持ちで始めたところ、同じ病気のパソコンに詳しい男性からコメントが来て、結婚してあげるなどメールが来るようになり、ストーカー妄想が始まりました。いつからか誰かの視線を感じるようになり、欲望を抱かれている気がして、確証はないため3年間放っておいたところ、私も再発して今は私が死なないと家族が被害に遭うかもしれない、もう死ぬしかこの人から逃れられないと、そこまで追い詰められた気持ちでクリスマスに死のうかどうしようか悩んでいます。同じような境遇で苦しみはわかるのですが、私も病気で人助けするほどの余裕がなく、また性的虐待の経験があるみたいで男性は基本的に怖く、たぶん恋愛も病気で心が弱くて傷つき易い自分には無理なのです。ストーカー妄想から救世主妄想へと妄想は高じ、妄想の中で私はみなのために死なねばならないキリスト的存在ですが、現実では私は思い込みの激しい家族に呆れられている精神病の女です。妄想では有名人ですが、現実では話し相手が兄しかいない孤独な人間です。私は東大卒で金髪とカラーコンタクトにしたら、見た目もそれらしくなったため、信じた人がいたら、妄想だと思い込まされているだけで実際にどこかで有名になっているかもしれないのです。私が買った商品が売れ筋になぜかなっていたり、子供が私の名前を読んだり、株価が動いたり、いくつも現実と妄想が妙に符合して・・・怖くて。
自分で自分が何者かわかりません。兄と母は妄想と言うのですが信じきれずにいます。誰のことも信じられなくて、否定されても嘘をついていると思えます。このままでは、妄想でみなの期待通りに死なねばなりません。私の想像では私が死ぬことが予定調和なのです。私が生きていれば、家族に迷惑がかかるし、もう友人ひとりいない世界を私は孤独に生きるか、陰謀で処刑されるか、本当に暗い未来しか浮かんできません。どうしてこんな妄想を抱いたのか、何が妄想で何が現実か、相談できる信頼する友ひとりなく、家族との間にもそれほど固い信頼関係を築いてこなかったため、誰も信じられず、どうしたらいいのかわかりません。
弱い立場の人たちの役に立てたらと始めたブログで、こんなことになるとは思わずに、自分の妄想で迷惑をかけたことが苦しいです。すべての信頼をはぎ取られた世界で、自分が死ぬことを望まれ、期待通り死ぬことの哀しさに涙が止まりません。
とはいっても、現実は少しの目標と希望と兄の支えがあり、占い師に来年には病気も治ると言われ、快適に過ごしてこたつの中でアイスを食べたりささやかに幸せを感じたりしています。現実と妄想の落差の中で、未来に迷っています。悲しんでいることがすべて妄想なら、それで死ぬ自分が愚かと思えますし、家族のために死ぬようでかえって家族を悲しませるでしょう。夢半ばで、最近ようやくいい小説が書けるようになってきましたので、自分勝手な人のために命を失う自分が哀れにも思えます。生きることが私の自分勝手にも思えます。何のために生きてきたのか、私の人生のすべてが茶番だったと思え、生まれてこなければよかったと、言葉にならない涙がちな日々を送っています。