• 締切済み

うそに傷つきたくない

社交辞令ってあるじゃないですか、あれって要は「自分が印象悪くならないためのうそ」ってことですよね。 小学校低学年の時は、みんな正直で嫌なものは嫌だというし、好きなものは好きという。 しかしそこから年を重ねることで、すこしずつすこしずつ本音が言わず、うそをまぜていく。 別に嘘をつくことは悪いとは思っていないんです。俺だって嘘をつきます。 しかし、年を重ねていろんな人と接し、いろんな経験を積んでいくと 「あ、うそついているな。本音はこうだろうな」と察することができるようになってきて。 というのも、プライベートな話題なので内容はかけないのですが、昔すごい嘘をつかれてから相手を疑う癖ができました。 疑う理由は傷つきたくないから予防線を張りたい、たったそれだけです。 もちろん初対面ではこの人が嘘をついているなんて見分けがつかないんですが、接していく中でいままでの会話の内容やトーン、しぐさ、目の動きとかで少しずつ分かってくるんです。 うまいたとえができなくて申し訳ないのですが、旦那の雰囲気や言動で浮気をしていると見抜く妻みたいなものなのかな。 息を吸って吐くように嘘をつく人はともかく、人って嘘をつくと大小さはあれど必ず後ろめたさと気まずさからどこかしらに行動が出るんですよね。 それが長い時間接していくと、目が泳いでそらしたり、聞いてもないのに詳しい解説をはじめたり、話口調が早くなったりとかで、人それぞれどこか嘘をつく時にパターンも出て瞬時にわかってしまう。 疑うとネガティブにしかならない。嘘を見抜くなんて意味がない詮索なんです。 この疑心暗鬼を何とか追い払いたいんです。 なにかいい方法はありますか?

みんなの回答

  • demerger
  • ベストアンサー率26% (152/578)
回答No.6

真実の想いとは異なる発言の全体を「嘘」とひとくくりにすることには いささか・・言語表現の貧困を感じます。 ○意図的で悪意の 讒言(ざんげん) でたらめ 出まかせ 与太 妄言 デマ ○相手との融和をはかりたい 世辞 べんちゃら 社交辞令 ○相手を慮る 方便 それらをどのように使い分けるか、使わないか、で 人の値打ちや、友好関係、人脈の善し悪しが決まるように思います。 つまりは。 悪意で誰かを陥れる事を目的にしている嘘こそ、憎み恨まれる嘘、ということではないか、と思います。 しかし、自分の場合、そんな・悪意の嘘をつく人と、そもそも長らく人脈をつなげて居た事こそを自らの恥、と想い、たとえそれが身うちであっても、関係を断つ・・まぁ・・その見極めの試金石として使えるのが「嘘のつかれ方」ではないか、と思います。 おためごかしのなぁなぁよりも、よっぽど・役に立ちます。

noname#203856
質問者

補足

私も書いていて「ウソ」とは幅が広すぎているのなあ、とは思っていましたが題名で「ウソ」と書いてしまった以上はそれで統一しただけなので。並べられた言葉くらいは知っています。 というか、讒言や欺瞞とかって日常会話であまり使わないから、一番伝わりやすい「ウソ」と言ってしまったほうがまっすぐに伝わるだろうし。 何が問題って、受け身の視点、相手が主役なんですよね。 「ウソのつかれかた」にばっかりスポットをあてるのではなく、能動的、自分が主役として考えればいい。 と、そういうことを発言すると、調子に乗るな云々でてきて出る杭を打ってくる存在まで現れる。 そこで仕方なく謙遜の意味を込めて「そんなぁ~、たまたまですよ~」なんて私含めみんなうそをいうわけですが、うそをつかないと自分の環境がマイナスになる、これがとても気分が悪いです。 勉強できた、スポーツできるといっただけで嫉妬の嵐ですからね、陰湿ないじめも何度か経験しました。 自分を守るための「ウソ」ならば簡単につけるのに、相手のためになってしまう場合は相手を陥れる「うそ」をつく場面を見ると、人間が醜く見えて嫌になりますね。 私よりずっと大人の人たちは今の環境が嫌になって本当はパンチの一発でもしたくなるだろうによく我慢しているなあ、と感心しています。 たまに、自分ひとりの環境で過ごしたくなりますね。 願望か知らずか、睡眠中は自分一人で行動している夢ばっかり見ています。

  • mink6137
  • ベストアンサー率23% (595/2500)
回答No.5

「嘘も方便」と言いますが、日常生活でも時々見られる嘘です。 これは「自分が印象悪くならないためのうそ」ではなく、 「相手の諸々の事情」に配慮した嘘なのです。

  • momo1535
  • ベストアンサー率25% (21/82)
回答No.4

そうですね。 私は、人に裏切られたと勝手に思い、傷ついた過去があります。 相手は何とも思っていませんでしたが、私はものすごく傷つきました。 それで、悟ったんですが、人間は完全ではないと。。。 こちらは勝手に相手を自分の枠にはめてしまい、このような人でいて欲しいと思います。 しかし、人間そんな出来た人はいません。 皆、不完全です。 嘘もつくし、愚痴も言います。 弱い人も、見栄っ張りの人も嘘をつきます。 そういう人に出会ったら、この人はこういう人なんだと、あきらめる事です。 変えようとか思ったりすることないですよ。 その人には、それなりに、距離を置いて付き合えばよいだけですから。。。。 それなりの、付き合いをすれいいんですよ。

noname#203856
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >皆、不完全です。 完全は求めていませんが、人として最低限の振る舞いや言葉使いくらいは要求したいです。 ましてや血のつながった存在、長い治療が必要になるくらい精神を追い詰めて医者などから再三再四忠告を受けていたのにもかかわらず、嘘を吐き続け私を恐怖と絶望に突き落とした。 親以外にもひどい発言をされたことはありますが、すくなくとも親は不完全を言い訳にしていい領域を確実に超えていると思います。 また、それを免罪符にしている傲慢な社会人も少なくないと思います。 そんな言い訳と嘘を続けるなら、同じ扱いをしてやって痛みを知ってもらったほうが良いんじゃないかなとすらおもっています。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

>疑うとネガティブにしかならない。嘘を見抜くなんて意味がない詮索なんです。 そうかなー?。 私はそれはそれで、ひとつの才能だと思うけど?。 それに「外れること」っていうのも、必ずあるはずですよ?。 嘘をつく「理由」っていうのは、それぞれ違うと思いませんか?。 自分の欲を果たすためにつく嘘もあるし、誰かに苦痛を与えたくなくて、本当のことを言わないケースも有りますし。 要は「(嘘が)わかってはいるけど、まあ、いいか?」という気持ちになれるかどうかだと思います。 嘘をつく理由は人それぞれだから、それは個人的な理由なのだから、自分と直接的に関係は無いと。 悪意ある嘘なら適当に振る舞ってやればいいし、そうでなさそうなら「言葉の先」を自分で探ってやる。 傷つくと思うのは、自分が「嘘をつかれて嫌だった」という記憶からですよね?。 それで予防線を張ってしまうと。 でも、嘘が事前にわかっているのであれば「対応策」を練ってあげるほうがいい。 これは悪意か、それとも違うものか?というのを、推測し、確かめ、確信すれば、いかようにも先の対応策は出るはずです。 強かになればいいのです。 そうすれば「嫌な癖」だったものが「有用な世間を渡るためのツール」に変わります。 そうなれば立派な才能じゃないですか?。

noname#203856
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >要は「(嘘が)わかってはいるけど、まあ、いいか?」という気持ちになれるかどうかだと思います。 >嘘が事前にわかっているのであれば「対応策」を練ってあげるほうがいい。 はっきりいってどうでもいい人間ならばそういう気持ちに簡単になれるんですよね。 問題は自分の心の中では、大きな存在である人の場合です。 実際、親にも散々、振り回される言葉を投げかけられ、そのたびに苦痛を伴いました。 その言葉の連続に苦しみ、何年も心療内科に通った経験もあります。 親の発言に「まあいいか」と思えれば、私は恐怖から勝ったも同然ですが、「対応策」を練るために神経質になって病気になった以上は私にとって得策ではないのです。 立派な才能だとは思いますが、もっと違う、幸せになる生き方ってあると思うんですよね。 私の今まで生き方からいって、この才能は不幸にさせる生き方ではないか、過去の結果から疑ってしまうのです。

noname#189913
noname#189913
回答No.2

マイナス的な考え方だと思ってしまうこと自体に、問題意識を持って行ってしまう からだと思います。 考え方次第では、長所は短所になり、短所は長所にもなりうるのでは? 言葉の裏側が見えてしまうということは、裏返せば相手の気持を汲んであげること のできる優しい性格の方だとも言えますよね。 その上で、その先を読んであげて思いやりの言葉をかけてあげることもできるので すから。 <嘘を見抜く>と思うから自分が悪く思えてしまうのではないのでしょうか? 相手を陥れる悪意のある嘘でもない限り、実害があるわけでもないのですから、 わかっていても知らないふりをするのも大人の行動といえるのではないでしょう か。

noname#203856
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >言葉の裏側が見えてしまうということは、裏返せば相手の気持を汲んであげることのできる優しい性格の方だとも言えますよね。 >その上で、その先を読んであげて思いやりの言葉をかけてあげることもできるのですから。 汲んであげても一方通行なんだなあ、と悟ってくるんですよ。 最初のうちは、相手の気持ちを汲んであげることを徹底すればいつかは報われる! なんて自分の理想を掲げていましたが、現実は違うものなんです。 例えばやたらめったら厚意でいろいろしてくれる人っているじゃないですか。 たぶん、そういう人って人一倍気遣いが半端なくできて相手の立場に立って考えることができる。 しかし私たちはそういう人に対して 「そこまでしなくてもいいのに」「おせっかいかも」 という目線を投げかけて終了というケースがあると思います。 私の現実とは、たぶんそういうときがあるんだろうなあと思っています。 >相手を陥れる悪意のある嘘でもない限り、実害があるわけでもないのですから、わかっていても知らないふりをするのも大人の行動といえるのではないでしょうか。 大人の行動できても結局は結果が出ないと意味がないと思うんです。 大人の振る舞いやって周りが救われて、自分だけがうつ病になったなんて最悪です。 自分をよく知る人から 「あなたは自分を犠牲にしてまで周りに尽くしすぎ。みてらんない」 なんて警告されて、言われた当時は何を言っているんだこの人は、としか思いませんでしたが最近身に染みて感じています。

  • Sakura2568
  • ベストアンサー率42% (2134/5049)
回答No.1

あなたは相手に正直であってほしいと強く思っているのでしょうね。 信じたい、信頼に値する人であってほしいという期待も大きいのかも。 でもそれはあなたの願望であって相手はより自分に都合よく見せたいものですよね。 あいてが「私を料理上手と思ってほしい、そう扱ってほしい」という理由でうそをついたとしたら あなたは「そんなのウソじゃないか」と言いたいところでしょう。 でもそこを分かったうえで「じゃあ得意料理の作り方を聞かせて」と来れば相手はそれなりに満足なんですから そうしてあげるのも一つの処世術では? あなたは嘘が分かってしまうのですから、分かったからと言って追求するのではなく 分かった上でその先のなぜそういう嘘をつくに至ったかを想像してあげるのも頭のいい人の対応だと思います。

noname#203856
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >あなたは相手に正直であってほしいと強く思っているのでしょうね。 >信じたい、信頼に値する人であってほしいという期待も大きいのかも。 もちろんです。 人を信じてはじめて新しいことができるのです。例えば生徒が教師を疑ったらそのつながりはおしまい。 だから信じることを期待することは当然だと思っています。 私が今後、仕事をするうえで一番大事なことは「信じること」なのです。 >あいてが「私を料理上手と思ってほしい、そう扱ってほしい」という理由でうそをついたとしたら >あなたは「そんなのウソじゃないか」と言いたいところでしょう。 言葉が足りませんでした、すいません。 私が言いたいのはただただ破壊を生み出すだけのウソがいやなんです。 私が過去に傷ついた嘘は破壊を生み出すだけのウソです。 このウソは嘘を使ってでも関係を維持したいという気持ちですよね、破壊とはほど遠い。 >あなたは嘘が分かってしまうのですから、分かったからと言って追求するのではなく >分かった上でその先のなぜそういう嘘をつくに至ったかを想像してあげるのも頭のいい人の対応だと思います。 それをやりつくした努力ですけど、結局の話、自分だけが滅入って頭がおかしくなるだけなんですよね。 それだったら、逆の立場になった方が楽なんだろうなあと。