- 締切済み
恋人に浮気されたと仮定して考え、教えてください。
私(あなた)は、何故それを怒ることが出来るのでしょうか。 「浮気」について考えていたら、なぜ浮気してはいけないのか、ということが、よく分からなくなってきました。 人が誰を愛するか、それは自由だと思います。ということは、私の恋人が誰を愛そうと自由だ、ということです。ということは、私の恋人が私以外の誰を愛そうと自由だ、ということです。 これは、人が誰を愛さないか、ということも同じです。ということは、私の恋人が私を愛さないのも自由だ、ということです。 そう考えていたら、何故、私は恋人の浮気を怒ることが出来るのか、分からなくなってしまったのです。 なんだか、私が浮気されているような文章になってしまいましたが、浮気はされてません。浮気されたと仮定して、です。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
浮気されて怒るのは、恋愛は相手を支配することであり、相手の言動はもちろん心まで思い通りになると思っている人の発想ですよね。 恋愛は責任を伴う義務的な関係で、自由も喜びも楽しみもすべて相手に差し出さなければならない、自己犠牲に基づく関係であるってことなんじゃないですか。 私はそうは思わないので、浮気されても怒りません。我慢して怒らないんじゃなくて、まったく嫌だと思わないです。世の中にこれだけ人がいて、魅力的な人もたくさんいるのに、恋人を作ってしまったら、素敵な人を好きになってもいけないとか、人の心がそんな都合よくコントロールできるわけないですし、そもそも、好きな人を独占したり思い通りにするために恋愛するわけじゃないので。
- makaay5
- ベストアンサー率32% (255/790)
浮気という表現だと「浮気した後に場合・自分の都合によって戻ろう!」という意志を回答者は感じますね。他の人間をより好きになったので別れたい!という感情は否定できないものだと思いますが、自分の感情の自由のために他人を傷つけて、その原因は自分あるのに、逃げ場は確保しておくやり方は姑息・狡猾に回答者にはうつります そして、その狡猾なやり方を愛とか呼ばれても「う~ん・・・なにいってるのかな?」と回答者は思います。小手先の言葉で「朝三暮四」しても、回答者は猿でないので小細工に気がついちゃいますからね。「今の彼女が大好きすぎて、前の彼女とは別れた」と他人に話せる人はいるでしょう。「今の彼女がいいな♪って思ったから浮気して、前の彼女とは保険で付き合って、確信出来たから乗り換えた」とは普通は話せいないでしょう。浮気を「感情的な自由・愛」だと肯定するなら、堂々と話せることだと思いますが、回答者は未だそういう人に会ったことはありません
お礼
多くの回答を頂いたのですが、その全てが、例えば内心の自由云々であるとか、それらは私の思考過程に何度も登場し、何度も考えてきたことであって、何ら私に新しい見識を与えてくれるものではありませんでした。 今では、私の中では、浮気を怒るということは、全く可笑しなことであるという結論に至っています。 人を殴りたいと思うのは自由だが、実際に殴ったら相手は怒るだろう云々というような詭弁を弄する方もいましたが、私には通用しませんでした。 「私は貴方を愛している。貴方も私を愛しているなら、私たちは愛し合うことが出来ますが、それは貴方の自由です」 私達は、「告白」ということをしますが、その「貴方が好きです」という言葉の意味は、つまり上のようなことでしょう。 もし貴方の好きな人が貴方を好きでなかったら、俗に「フラれる」などと言いますが、そうしたら貴方は悲しいでしょうね。傷付くでしょうね。 でも、「なぜ私を愛さないのか」と責めることは正当ではないでしょう。 貴方は、ただ心の中で残念に思うだけです。いちど愛し合っているからといって、それは変わりません。人の心は揺れ動くもので、それは婚姻という契約以外では、否定することが出来ないのです。
- utyatopi
- ベストアンサー率49% (1127/2257)
おばさんです。 私も自由だと思っています。 心は縛れないし、縛り付けるものでもないと思っています。 お付き合いをしていても、その座に甘んじられるものでもないと感じます。 好きな人を、他の誰かが好きになることだってあります。 その場合には、いくら付き合っていようと、おんなじスタートラインに並ぶのだと思います。 そして…どちらを選ぶかは…相手の自由。 そうあるべきだと思っています。 もちろん、こちらもおんなじ。 他に素敵な人ができて、気持ちが揺れることだってあります。 その場合には自分の気持ちに正直に行動して構わないと思いますし、責められることではないと思っています。 お互いに恋愛に関しては<自由>であるべきです。 お互いに縛らず、縛られず…それでかまわないと思います。 体だけの浮気をされた場合には…貴方の見る目が無かっただけです。 他の人に本気になられた場合には…貴方の愛情が届かなかっただけです。 恋愛はお互いが同じ自由を持ち合った中で、愛情を相手にやさしさとして、いたわりとして、思いやりとしてかけて<育てて>いくものだと思います。 なので、大事なのは、縛りあうことではなく、2人の間の<愛情と絆の強さ>だと考えています。 ご参考までに…。
お礼
多くの回答を頂いたのですが、その全てが、例えば内心の自由云々であるとか、それらは私の思考過程に何度も登場し、何度も考えてきたことであって、何ら私に新しい見識を与えてくれるものではありませんでした。 今では、私の中では、浮気を怒るということは、全く可笑しなことであるという結論に至っています。 人を殴りたいと思うのは自由だが、実際に殴ったら相手は怒るだろう云々というような詭弁を弄する方もいましたが、私には通用しませんでした。 「私は貴方を愛している。貴方も私を愛しているなら、私たちは愛し合うことが出来ますが、それは貴方の自由です」 私達は、「告白」ということをしますが、その「貴方が好きです」という言葉の意味は、つまり上のようなことでしょう。 もし貴方の好きな人が貴方を好きでなかったら、俗に「フラれる」などと言いますが、そうしたら貴方は悲しいでしょうね。傷付くでしょうね。 でも、「なぜ私を愛さないのか」と責めることは正当ではないでしょう。 貴方は、ただ心の中で残念に思うだけです。いちど愛し合っているからといって、それは変わりません。人の心は揺れ動くもので、それは婚姻という契約以外では、否定することが出来ないのです。
- 0000cb0000
- ベストアンサー率33% (21/63)
人が誰を愛するかは自由でしょう。ですが「愛する」と「浮気」はイコールではありません。 愛することが自由なのは「愛する」ということが自分の内面にのみ起こる電気信号でしかないため他者や世界に何の影響も与えないからです。 しかし浮気は実際に行動を起こすものです。これは他者や世界に影響を及ぼす行為です。そういった行為を野放しにすることを自由とは呼ばず無法と呼ぶのです。 例えば人を殴りたいと思うことは自由ですが、実際に人を殴ったら相手は怒ったり反撃してくるのは当然ですよね? それとも殴りたいと思うのが自由なら殴るのも自由でしょうか? それを怒る事は理解できませんか? 質問者様はどうして浮気を怒れるのか解らなくなってしまったようですが、それは愛することと浮気を同じものだと勘違いしているからです。 浮気をされたら怒るかどうかは状況次第、人次第なので一概には云えませんが、何故怒れるのかと訊かれれば相手が愛するだけでは飽きたらなかったからです。 愛するのも怒りを感じることも自由です。愛することに対して「怒る」という行動をとることが理不尽に思えるのは至極当然です。 しかし浮気という行動に対して何らかのリアクションを起こすのはおかしな事ではありません。
お礼
多くの回答を頂いたのですが、その全てが、例えば内心の自由云々であるとか、それらは私の思考過程に何度も登場し、何度も考えてきたことであって、何ら私に新しい見識を与えてくれるものではありませんでした。 今では、私の中では、浮気を怒るということは、全く可笑しなことであるという結論に至っています。 人を殴りたいと思うのは自由だが、実際に殴ったら相手は怒るだろう云々というような詭弁を弄する方もいましたが、私には通用しませんでした。 「私は貴方を愛している。貴方も私を愛しているなら、私たちは愛し合うことが出来ますが、それは貴方の自由です」 私達は、「告白」ということをしますが、その「貴方が好きです」という言葉の意味は、つまり上のようなことでしょう。 もし貴方の好きな人が貴方を好きでなかったら、俗に「フラれる」などと言いますが、そうしたら貴方は悲しいでしょうね。傷付くでしょうね。 でも、「なぜ私を愛さないのか」と責めることは正当ではないでしょう。 貴方は、ただ心の中で残念に思うだけです。いちど愛し合っているからといって、それは変わりません。人の心は揺れ動くもので、それは婚姻という契約以外では、否定することが出来ないのです。
- moontree59
- ベストアンサー率11% (2/17)
内心の自由、、、好きになるのは自由だが、 行動するかどうかは別だよ。 「つきあう」と約束したんなら、 その相手だけを向き合い、愛し合うというのが、「誠実」ということ。 仮に、あなたが「誠実」ということばに価値を置かないとすれば、 相手に「幸せになってもらいたい」、「喜んでもらいたい」かどうかを基準にしてはいかが?
お礼
多くの回答を頂いたのですが、その全てが、例えば内心の自由云々であるとか、それらは私の思考過程に何度も登場し、何度も考えてきたことであって、何ら私に新しい見識を与えてくれるものではありませんでした。 今では、私の中では、浮気を怒るということは、全く可笑しなことであるという結論に至っています。 人を殴りたいと思うのは自由だが、実際に殴ったら相手は怒るだろう云々というような詭弁を弄する方もいましたが、私には通用しませんでした。 「私は貴方を愛している。貴方も私を愛しているなら、私たちは愛し合うことが出来ますが、それは貴方の自由です」 私達は、「告白」ということをしますが、その「貴方が好きです」という言葉の意味は、つまり上のようなことでしょう。 もし貴方の好きな人が貴方を好きでなかったら、俗に「フラれる」などと言いますが、そうしたら貴方は悲しいでしょうね。傷付くでしょうね。 でも、「なぜ私を愛さないのか」と責めることは正当ではないでしょう。 貴方は、ただ心の中で残念に思うだけです。いちど愛し合っているからといって、それは変わりません。人の心は揺れ動くもので、それは婚姻という契約以外では、否定することが出来ないのです。
- freshstart
- ベストアンサー率38% (151/391)
そうですよ。理屈では、その通りですよ。ですから、後はお互いの関係性の 深さによるということになってきてしまいます。 絶対に今ある相手を失いたくないと強く思うのであれば、誘惑で心が揺れても 最後の最後には、失うモノの大きさに負けて、踏み止まると思うんです。 もしくは、継続した浮気は避けるか。(欲求を満たす為の一時的なものとして) 浮気を見て見ぬ振りをする人もいれば、絶対に許せない人もいます。 これも、それぞれの権利ですよね。どちらか良い悪いということでも ないと思います。 私はあからさまには浮気をされた記憶がありませんが、もしもされた側に なったならば、怒るという気持ちよりも、虚しさが先に来て、自分から 引き下がって、自暴自棄になり、悲劇のヒロインに堕ちる日々を送る気がします。 他人の心変わりほど、どうすることもできないことは、ありません。 最終的には本人が決めて、結局は、惚れた者負けというのが、世の中の現実です。
- findingnimo
- ベストアンサー率41% (41/99)
いま、本気で好きな恋人はいますか? もし、いない状態で理屈だけでそういう結論にいたってるなら、 それは机上の理論だと思います。 もし、好きな恋人がいる状態でそう思うなら、彼氏さんにそう言ってあげたらいいと思います。 逆に質問です。 彼氏に、「恋愛は自由。人の心は誰にも縛る権利はないと思うから私がいても気にしないで、自由に他の 人を好きになっていいんだよ」って言ってあげたら、 彼氏はどう言うとおもいますか? または、世間の彼氏さんたちは、一般的にどういう反応をすると思いますか? 「なんて理解のある素晴らしい彼女だ!!!!」って 喜んで、あなたという彼女を一生大事にしよう!!と思うと思いますか?
- 桜島 一太郎(@komasa-26free)
- ベストアンサー率24% (110/445)
貴女の考えに付いて行けない何かがあります。浮気と結う行動は、動物的行動です 自分の彼女が世界で一番と思う また ここだけ治して欲しいと考え なんとしても 愛情の維持に努めていくのがパートナーですよ 恋人の時までは よく観察して 浮気癖の有る様な方とは 考えましょう そこにアンパンが有ったから、かじっただけだよ 何が悪いぐらいが 浮気する人の気持ちで 泥棒だときずいてない性格なのです 何回でも浮気は、繰り返される癖です。 私などは 一人の女性しか愛せない全てに責任を持つ こんな気持ち間違いですか? 貴女も彼に私の事は責任持たなくて良いよと言っている感じです 浮気ってSEXだけじゃないです 気持ちまで持っていかれる とんでもない病気です。そんな男についていけますか?貴女の考えが正解なら 貴女も 誰かに抱かれても良いとゆうことですが それは無いでしょう 相手を尊敬し 信頼して 口うるさく言わず 束縛しないで 頼り切って いけない恋は そのような 考えに変わるのでしょうか?考え直して 彼に尽くして 愛されてくださいね。
こんにちは。 貴方様の考え方は、別に間違っているとは思いません。ご自分なりに色々考えた結果でしょうね。 ただし、その考えを持っていたとしても、実際に恋人が浮気をしていたと知った時のあなた様の感情はどうなるのでしょうか? そこが問題です。頭で、理屈で納得していることが、全ての解決策になるのかどうか。 それはなってみないとわかりませんね。 ですから、浮気された時に貴方様が、ご自分の出した結果どうりの考え方が出来、そして絶対に責めることなく過ごせたら、それはすばらしいことですよ。 で、なぜ浮気がダメなのか?ということですけれど、まあ、恋人の浮気はありですよね。 ただし、結婚後の浮気については、法律で定められていますよね。一応。 これは、歴史を紐解かなければなりませんが、それなりに理屈があったと思われます。 それに国によっては、浮気というか、一夫多妻が認められているところもあったりと、常識というか、そういう貞操観念のようなものは、その時代、地域によってさまざまです。 ですから、貴方様の考え云々と言うよりは、貴方様の置かれている時代、場所、立場等によって、浮気がいけないとかいいとか、そう言ったものは変化しますが、今の日本では、婚姻関係においての浮気はいけないよ。ということになっている。とそれだけだと思います。 そして、浮気についての考え方ですが、人それぞれで良いと思います。貴方様の考えは、別に個人のものですから、かまわないと思います。 結論としては、浮気をされたから怒るか?というのも、恋人関係においては、個人の考えが尊重される。ということになるだろうと思います。
その恋人との関係が結婚を前提にお付き合いしている場合は 怒ることが出来ると思います。 何故ならお付き合いする=結婚にふさわしいかどうか? を判断しているわけですから、浮気をするということは 相手の信頼を裏切る行為になるからです。 でも結婚前提でなければ 何故怒ることが出来るのか私もわかりません。 でも、恋人との契約で「浮気をしない」という契約をしていたなら 怒ることが出来るのかもしれませんね。
- 1
- 2
お礼
多くの回答を頂いたのですが、その全てが、例えば内心の自由云々であるとか、それらは私の思考過程に何度も登場し、何度も考えてきたことであって、何ら私に新しい見識を与えてくれるものではありませんでした。 今では、私の中では、浮気を怒るということは、全く可笑しなことであるという結論に至っています。 人を殴りたいと思うのは自由だが、実際に殴ったら相手は怒るだろう云々というような詭弁を弄する方もいましたが、私には通用しませんでした。 「私は貴方を愛している。貴方も私を愛しているなら、私たちは愛し合うことが出来ますが、それは貴方の自由です」 私達は、「告白」ということをしますが、その「貴方が好きです」という言葉の意味は、つまり上のようなことでしょう。 もし貴方の好きな人が貴方を好きでなかったら、俗に「フラれる」などと言いますが、そうしたら貴方は悲しいでしょうね。傷付くでしょうね。 でも、「なぜ私を愛さないのか」と責めることは正当ではないでしょう。 貴方は、ただ心の中で残念に思うだけです。いちど愛し合っているからといって、それは変わりません。人の心は揺れ動くもので、それは婚姻という契約以外では、否定することが出来ないのです。