- 締切済み
なぜ科学者は「死」を真剣に研究しないのか?
世界には多種多様な人種があります。それぞれ言葉も文化も違います。経済的な格差については、 年収何百億という大金持もいれば、明日の食事もままならない貧しい人たち、もいます。 世の中は本当に格差だらけです。 しかし、全ての人に例外なく平等に訪れることがあります。これはどんなに権力のある人、 どんなに慈愛に満ちた人、どんなに極悪な人にも訪れます。それは「死」です。 我々はある日ある時突然、ある国のある女性から生を授かり、数十年、人によっては数年生き、 ある日突然、この世を去っていきます。 こんなにも、人種や思想に関わりなくはっきりと平等に訪れ、人々を苦しませているにも関わらず、 人は忌み嫌うように、この問題に対しては目をそらします。 なぜ科学者たちは真剣にこの問題の解明に取り組まないのでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
研究していますよ。 最近では、寿命を司るDNAも発見 されています。 このDNAを除去すれば、長生きする そうです。 しかし、子孫は残せない。 そういうことまで判っています。
- Sakura2568
- ベストアンサー率42% (2134/5049)
>人は忌み嫌うように、この問題に対しては目をそらします。 >なぜ科学者たちは真剣にこの問題の解明に取り組まないのでしょうか? 科学者はこれでもかっていうくらい「死」をなるべく回避する研究はしています。 しかし人が忌み嫌うことに関して研究はそんなに大々的にはしていないでしょうね。 だって誰だって怖いし、すでに訪れてしまった死にはどうしようもないですから。 回避するすべを研究すれば 「これで少しでも生きられる!素晴らしい!」となりますが 死を忌み嫌う人間の本能に関しては研究したところで 「そりゃそうだよな」ですから。それによって死が避けられるものではないからです。 せいぜい落ち着いた気持で死を受け入れられるかどうかでしょう。 その手の研究だって科学者以外がさんざんやっています。 「死」に関する本能に関する研究は科学者よりも 死生観を研究する宗教や精神の分野になるのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろん、死を回避する研究ということも大事なことだと思います。 ただ、私が知りたいのは、「死」の後に、私の「意識」はどうなるのか。という問題です。 このような問題は、科学というより、哲学の問題ですかね。
- gooyskaao
- ベストアンサー率30% (143/476)
えっ? 私は真逆。 そのためにみんな研究しているのでは? 例を言えば、iPS細胞。 将来。肝臓病だろうが、糖尿病だろうが、心臓業だろうが、 足だろうが、手だろうが、 悪くなったら、自分のiPS細胞でパーツ作って取り替えて、死ねなくなるんじゃない? ガン研究だって、地球温暖化だって、 利便を求めながら、健康も求めてる。 ダイエット(食)だって、なんだって。 全部、生きるためじゃん。 「死」のメカニズム、ってこと? アポトーシスっていうのもあるね。 でもそれは違うね。進化のメカニズム。 ダイレクトに「死」って意味だろうけど、 それって裏を返せば、「生」を考えることであり、 要するに、みんなそのことしか研究していない、と言っても過言で無い。 私はそう思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろん、死のメカニズムに関しても興味はあるのですが、それよりもなによりも私が知りたいのは、 「死」という区切りの後に、私の「意識」はどうなってしまうのか。という問題です。 これは科学というより、哲学の問題ですかね。
- vayasicof
- ベストアンサー率39% (141/354)
真剣に解明には取り組んでいるけども 宇宙とか時間とかと同じように 絶対的な答えがないから 研究してないように見えるだけなんじゃないですか? 解明した!と言っても 何をどうすれば、また何を知ることが解明したことになるのかも 曖昧ですし、まぁ、我々が生きている間の 解明は不可能でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すみません。もっと具体的に問題提議すればよかったですね。私が知りたいのは、「死」そのもの というよりも、「死」の後に、私の「意識」はどうなるのか、という問題です。
- momnation
- ベストアンサー率100% (1/1)
ふぇ? 様々な分野の研究者が死について、真剣に研究していますよ? 哲学、神学、宗教学、医学、薬学、工学…世界中の多くの人たちが研究しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すみません。私の言葉が足りませんでした。「死」そのもの、というより、「死」の後に、 私の「意識」がどうなるのか。という問題です。 肉体の消滅とともに、私の意識も、無になるのか、それとも、意識は何かの形で残るのか、という ことです。
お礼
ご回答ありがとうございます。